第2回目 法金剛院について

2020.09.17

夏の法金剛院境内
法金剛院は京都市右京区花園にある律宗の寺院です。
四季折々の姿が楽しめる法金剛院は、特に「蓮の寺」として著名で、初夏になると華麗に咲き誇る蓮や睡蓮を求め、早朝から多くの参拝者が訪れます。

法金剛院の概要

法金剛院の寺地は、右大臣清原夏野(782-837)が建立した山荘跡で、清原夏野の死後、天安寺と改められました。その後、寺院は衰微しましたが、大治5(1130)年、鳥羽天皇の中宮である待賢門院がこの地に寺院を建立することとなり、法金剛院として供養が行われます。
境内の中心に池を掘り、西に本堂、東に御所を建立した浄土式庭園で、北側には「青女の滝」と呼ばれる滝がつくられました。
池庭の造営には徳大寺静意が、「青女の滝」は徳大寺静意と仁和寺の林賢が滝石組を行いました。
法金剛院は治承5(1181)年の御所の火災や応仁の乱等の影響で徐々に衰退していき、堂塔は失われ、園池は水田へと変化し、境内も縮小していきました。
このように法金剛院庭園は時代とともに変化していきましたが、発願者や作者の名前、作庭の過程が明白である数少ない貴重な平安時代後期の庭園遺構です。
 

法金剛院の整備

森氏は昭和7(1932)年頃より法金剛院庭園について研究を開始し、昭和34年には法金剛院一帯の実測調査、翌年には滝石組の電気探査*を行っています。
昭和40年代、右京区丸太町通りの拡張により法金剛院境内の南側が削られることとなったため、本堂を移設して礼堂とし、本尊を安置する仏殿や庫裡を新設します。また、寺観が一変したことに伴い、荒れるままとなっていた境内全体を整備することになりました。
法金剛院住職である川井戒本氏から依頼を受けた森氏は、発掘調査の結果を踏まえ整備計画を立て、滝口部分から整備を開始しました。
整備は昭和45年に完了し、 翌年には「法金剛院青女滝附五位山」として国の名勝に、昭和62年には特別名勝に指定されました。
令和2(2020)年、法金剛院は整備完了より50年を迎えます。


旧本堂。現在の礼堂は東向きだが、旧本堂は西向きだった。
本堂跡を西から望む(2018年1月3日撮影)
園池の西北隅に本堂を移設して礼堂とした。(2017年8月10日撮影)
*電気探査…岩石の示す電気現象を地表で測定し、鉱床の所在や地下構造を推定する方法。(『デジタル大辞泉』参照)
参考文献:森蘊『庭ひとすじ』(学生社、昭和48年)、森蘊『日本庭園史話』(日本出版協会、昭和56年)

青女の滝

法金剛院庭園の整備の大きな成果の一つに、「青女の滝」の発掘・整備が挙げられます。 
昭和45年に発掘整備が行われる以前は、滝の大部分が埋もれてしまっており、上部がわずかに見えるだけでした。調査により上下二段の石組が確認され、全貌は5m程であることが判明します。また、雄大な滝壺も検出され、池へと続く遣水も発掘されました。整備後は、滝水が落とされ、現在も参拝者の眼を楽しませています。


冬の青女の滝(2019年11月28日撮影)
夏の青女の滝(2020年7月30日撮影)
青女の滝から遣水を望む(2019年12月4日撮影)
 



※現在、法金剛院は新型コロナウイルス感染拡大防止のため、拝観停止中です。詳細、最新情報は法金剛院HPにてご確認お願い申し上げます。(2020年9月17日時点)


次回は近日中に更新予定です。公開までしばらくお待ちください。
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