若者の投票率と「行けたら行くわ」の受け止め方について

この記事のポイント

投票に行かないことで、若い世代は損をしていると言われている

  • 投票率だけなく絶対数(実際の投票者数)を見ても、若い世代は高齢層に適わない
  • しかし選挙制度の影響によって、「小さな変化」が「大きな変化」をもたらす可能性がある
  • 政治家や政党に対して、有権者(=自分たち)のほうを振り向かせるためにはどうしたら良いのか?

「行けたら行く」という人は、本当に来るのか・来ないのか?

新型コロナウイルスのパンデミックによって、2020年のはじめからこの方1年半ほどは、食事会や飲み会という機会がすっかりなくなってしまいました。ですから最近はこういうことで悩むことはないのかもしれませんが、食事会・飲み会の幹事になった時に戸惑うのが、「行けたら行くわ」という人の扱いです。

2016年に行われた大学生に対する調査(マイナビ)によると、「行けたら行く」と言う人が本当に来る確率が30%以下だと考える人は、およそ7割を占めていました【表1】。つまり、7割の人は「『行けたら行くわ』と答えた人はまず来ないだろう」と考えているのです。

さて、もしもあなたが食事会や飲み会の幹事になった場合、「行けたら行く」と答えた人の「○○が食べたい」「●●を飲みたい」という希望も考慮するでしょうか? それとも「必ず行きます」という人たちの意見を中心にして、お店のセッティングを考えるでしょうか?(他人の意見を聴かずに自分の趣味で押し通す、という選択肢もありますが…)

ここでは、若者の低投票率と、若年層の意見が政治に反映されていない(と思われている)現象について考えてみましょう。解く鍵は「行けたら行くわ」です。

投票に行かないことで、若い世代は損をしている?

若い世代の投票率が低いことがしばしば指摘されています。そして実際に、若年層の投票率は全体の平均と比べて低く、高齢者層と比べるとずいぶんと低い水準にあります。【図1】は年代別の投票率の、約半世紀の推移です。全体的に投票率は低下する傾向にありますが、1993(平成5)年以降、2014年(平成26)年までは、20代、30代が最も低くなっています(18歳選挙権導入後の2017(平成29)年は、10代がワースト2位となり、30代がワースト3位)。

このような状況であるために、投票率が低い若年層の意見は選挙を通じて政治家・政党にくみ取られることがなく、若者は損をしているのではないか? という議論があります。一票の価値が公平なはずの選挙民主主義の実際は、「シルバー民主主義(高齢者優先の政治)」なのではないか、ということです。例えば、投票率と国の予算の関係を統計分析することによって、20代から40代の投票率が1%低下すると若い世代にとって年間13万5,000円の損になるという試算があります。

20代から40代の投票率が低下すると、①将来の負担となる国債がより多く発行されるようになり、②若年世代と高齢者世代との間で一人が受け取る社会保障給付の差が拡大しているというのです(※3)。その一方で、より厳密な時系列分析をすると、若年層の投票率と世代間格差との間に相関は見られないという指摘もあります(※4)。社会保障制度の発達と展開は長期にわたるものなので、単純な因果関係を考えるべきではないのかもしれませんが、若年層の政治的無関心や投票への不参加によって、世代間分配において高齢者優先の姿勢が維持されてきたと考えられているのです。

若い世代は高齢者世代にかなわない?

若年層は高齢層に比べて投票率が低いだけではありません。日本の人口構成は若年層が少なく、高齢者層が多いという、逆ピラミッド状態にあります【図2】。

若い世代は人口が少ないのに投票率も低く、その一方で高齢者は人口が多くて投票率も高いのです。人口と投票率を掛け合わせると、実際に投票した人の絶対数を比較することができます。直近の衆院選である、2017年総選挙で概算してみましょう【表2】

70歳代以上は80歳代、90歳代、100歳以上を含みますから、10年刻みよりも大きな集団になるのはしかたないでしょう。しかし「30歳代以下」と「60歳代以上」とを比べてみると、じつに約2.4倍もの差が付いていることになります。

ここまで大差が付いてしまったのであれば、しかも若年層は母数が少ないのであれば、若年層がどんなに頑張って投票率を上げたとしても、「シルバー民主主義」を克服することはできないのでしょうか?

もちろん、話はそんなに単純ではありません。世代によって支持する政策が自動的に決まるというものではないからです。確かに高齢者は、すでに終えてしまった子育てや教育よりも、自分の将来に直結する年金の支給額に関心を持つかもしれません。しかし、人は自分の利益だけを考えて政策の選好や投票先を決めているわけではありません。高齢者の中には、社会の一員として将来を支える世代のために、教育や保育にもっと資源を割くべきだと考える人も相当程度に存在することでしょう。

若者は選挙に「来ない」人だと思われている

しかしながら若い世代は、人口数が少ない上に投票率も低いのですから、「行けたら行く」と言ってはいても「どうせ来ない」人たちだと、政治家・政党から見られていることは、想像に難くありません。その結果、高齢者向けの社会保障に比べると、現役世代や子育て世代への支出は低い水準に抑えられてきました。それでは、絶対数で少数派であり投票率も低い若年世代は、「シルバー民主主義」を受け入れて諦めるしかないのでしょうか?

そうとも言い切れません。たとえ絶対数では小さな変化であっても、選挙の結果が大きく変わる可能性はあるからです。その理由の1つが、小選挙区制という選挙制度がもたらす影響です。

わずかな票の移動で結果が大きく変わる、小選挙区制

現在の日本において、有権者が政権選択を行う衆議院総選挙は「小選挙区比例代表並立制」のもとで行われます。この制度は小選挙区制と比例代表制という異なる選挙制度を組み合わせたものですが、そのうち小選挙区が大きなウエイトを占めています(465議席中289議席、約62%)。

日本で採用されている小選挙区制は、相対多数つまりは過半数を取る必要はなく、単純に1位になった候補者が当選するしくみです。他の候補よりも1票でも多く得られれば当選が決まります。この制度の下では、比較的に大きい政党が実際の得票率よりも多くの議席率を得ます。

【表3】は、2017年衆院選小選挙区制における、各党の相対得票率(投票者全体を100%とした時の得票率)と議席占有率、そしてそれらの差(すなわち制度がもたらす「利益」・「不利益」)を表しています。比較第一党の自由民主党が、他の政党と比べて多くの「利益」を得ていることが分かります。

【表4】は絶対得票率、つまり有権者全体を100%としたときの得票率を見たものです。議席占有率との差を見ると、比較第一党である自民党がより大きな「利益」を得ていることが分かるでしょう。

※クリックで画像が拡大します。

総務省「衆議院議員総選挙・最高裁判所裁判官国民審査結果調」から作成

このように小選挙区という選挙制度においては、得票率での少しの差が議席数では大きな差を生み出し、比較的上位の政党がより大きな「利益」を得ることになります。

次に、小泉純一郎首相のもとで自民党が大勝した2005年、鳩山由紀夫代表が率いる民主党が大勝して政権交代を成し遂げた2009年、そして安倍晋三総裁の自民党が政権を奪還した2012年について、相対得票率・絶対得票率・議席占有率を見てみましょう【図3−1~3】。

 

【図3】政党別相対得票率、絶対得票率、議席率の変化(2005年→09年→12年)
総務省「衆議院議員総選挙・最高裁判所裁判官国民審査結果調」から作成
※但し、日本維新の会は2012年のみ

これを見ると、得票率や絶対的な票数の変化が、議席の変動では大きく増幅されていることが分かるでしょう。例えば、2005年から2009年の絶対得票率の変化を見ると、自民党が5ポイントほど下げて民主党が8ポイント上がっただけで、小選挙区の半分以上の議席が移動しています。また、2009年から2012年の絶対得票率を見ると、自民党はわずかに減らしているにもかかわらず、民主党がそれ以上に大きく減らしていわゆる「第三極」も一定規模の票を獲得したために、地滑り的な勝利を収めたことが分かります。

ですから、小選挙区制においては、少しの有権者が投票行動を変える(例えば、「与党→野党」という投票先の変更、「与党に投票→棄権」、「棄権→野党に投票」など)ことによって、選挙結果はオセロゲームのように大きく変わり得るのです。

たとえ絶対数が少ないのだとしても、若い世代が選挙に参加することの意味

政治家や政党は、有権者、もっと直接的に言えば投票に来る人たちが望むことを「忖度」して、彼ら・彼女たちの支持を得るために政治を行っています。政府・与党であれば、次の選挙でも勝利して政権を維持するために、「民意」がどのように反応するかを予想して、政策決定をします。ここにこそ、民主政(デモクラシー)の意味があります。

選挙があったわけでもないのに、大規模なデモや世論調査の結果によっても政策変更が起こるのは、「次の選挙で自分たちが負けるかもしれない」というおそれを、政府・与党の政治家たちが抱くからです。先に見たように、現在の選挙制度では有権者のうちの数パーセント規模の票の移動が大きな結果の違いを生むのですから、なおのことでしょう。逆に言えば、政治家や政党、政府は、選挙に来ない人のことをおそれたり忖度したりはしません。

最後に少しだけ、冒頭の飲み会の幹事さんの話に戻りましょう。「行けたら行くわ」と答えておきながら、ほぼ毎回参加をして、その都度「今日の食事会は楽しかったね」とか「今日のお店は今ひとつやったなぁ」という感想を伝えてくる人がいたならば、幹事はとてもその人の意見を気にするようになるでしょう。

「やりたい」と手を上げればおそらくできる飲み会の幹事とは違って、議員は投票に「参加した人」の支持がなければその立場を失い(失業し)ます。ですから政治家のほうが、「気にする」効果は絶大です。つまり、与野党を問わず、政治家や政党に自分たちのことを顧みさせるためには、彼ら・彼女たちに「投票にはまず来ないだろう」と思わせていてはいけないのです。「行けたら行く」と言っている人たちが、「来るかもしれない人」になること。この政治家・政党に振り向かせるという長期的な効果にも、投票することの重要な意味があります。

自分の一票は、その時の選挙では自分が支持する候補者・政党の勝利という、直接的な結果をもたらさないかもかもしれません。しかし選挙は、政治家・政党に対して「本当に来るかもしれない人たちだ」と思わせることができる、(数年に一度しかない)貴重な機会なのです。

 

中井 歩 教授

政治過程論専攻


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