優秀賞

「『ご近所付き合い』の在る町」

文化学部 国際文化学科 4年次生 中村 由佳

審査員講評

 京都市内で生まれ育った「私」は、自分の生まれた町が好きではなかった。大学入学時に、憧れである京都のど真ん中に一人暮らしをするという目標を立てて実践した。半年ほどして、町内会の実行委員を任された母から、鴨川の川床での町内行事昼食会に誘われて参加し、母を手伝って受付に立つ。「私」は、年配の参加者らから次々と声をかけられることで、たくさんの人々と言葉を交わして心が通じていくのを実感し、生まれた町の人々との交流が深まっていく様子を瑞々しく描写している。翌週の休日に、実家に帰省して散歩すると、町内会の行事で同席した女性に出会う。そして多くの地元の人々が対話している姿を目撃し、ゆったりとした時間が流れている地元の良さを実感する。一人暮らしの経験を契機とし、「ご近所付き合い」の大切さに気づき、「私」の生まれた町のすばらしさを再認識したことが、自然な筆致で描かれており、優れたエッセイと評価できる。

作品内容

「『ご近所付き合い』の在る町」中村 由佳

 つい最近まで私は自分の生まれた町が好きではなかった。その理由は、私の生まれた町が京都市内中心部から少し離れた地区にあるからだ。京都市内中心部にある中学校へ通い始めた私は、通学路に通るお寺や商店街、すべてのものが珍しく、そんな場所に自転車で移動できるような距離に住む友人を羨ましく思っていた。さらに、強盗事件の報道がされるなど何かと物騒な私の地区は、友人に治安の悪さを指摘されることもしばしば。自分の地区以外に住む子達と接する中で、私は自分の生まれた地をあまり好きにはなれなくなっていた。その当時、私にとっての住みたい町は、近くに有名なお寺があったり、賑やかな商店街があったり、住んでいることを自慢できるような町だったのである。

 高校を卒業し、京都市内の大学へと通うことになった私は、入学時に1つの目標を立てた。それは、大学在学中にアルバイトで貯金をし、憧れである京都のど真ん中で一人暮らしをすることである。そんな目標からアルバイトに励んだ私は、毎日帰宅する時間が日付を越えることも多く、私が家に帰る頃、町はすっかり眠りについているという日々が続いた。いつしか私は自分の住む町からどんどん疎遠になっていった。

 目標の貯金額を達成し、私は念願の京都市中心部、それも京都駅や有名なお寺も近くにある好立地の町で一人暮らしを始められることとなった。住み始めてからは、バイト先から自転車10分ほどで帰宅できる手軽さや、通学するときにすれ違う観光客を横目にするときに味わうちょっとした優越感など、今までと違う便利な暮らしに毎日が楽しかった。友人に今こんな場所に住んでいると言うと皆声を揃えて羨ましがり、私は鼻高々だった。

 一人暮らしを始めて半年ほど経った頃、母から今度町内会で鴨川の川床に昼食を食べに行くが私も行かないか、という誘いを受けた。私の住んでいた町内では毎年町内の人々とどこかへ出かけたり、食事をしたり、という恒例の町内行事があった。しかし、そんな行事に参加したのは私が小学生のときが最後で、それからはどんな行事が催されていたのかさえ知らない。もともと引っ込み思案の母もそういった行事には消極的であったはずである。話を聞くとその年は母が町内会の実行委員を任されていたらしく、なるほどそれで参加するということだった。会席料理と鴨川の川床に惹かれた私は母と一緒に町内行事へと出掛けて行った。実行委員である母を手伝い、私も受付に立つ。やはり私のような若者は一人もおらず、年配の参加者が多く何となく気恥ずかしかった。そんな中、「あら、お母さんとよく似てらっしゃるね。」「娘さんこんなに大きくなってたんやなあ。」といった言葉を次々とかけられ、心が解れていくのを感じた。実行委員であったうえに、朝夕と欠かさず愛犬の散歩をしている母は、町内で顔見知りも多いようで、結果私はたくさんの人と言葉を交わすこととなった。

 その翌週、休日に私は実家へと帰り、母の代わりに愛犬の散歩をしていた。すると「あら、今日は娘さんがモアくん散歩しているんやね。」と、ふいに声を掛けられた。声を掛けてくれたのは、先日の町内行事で相席をした笑顔の印象的な年配の女性。外を歩いていて急に声を掛けられることに慣れていなかった私は気の利いた返事をすることはできなかったが、私は笑顔で応じた。町内を愛犬と一緒にぐるりと歩くと、道端でキャッチボールをしている親子や、石垣に腰かけて日向ぼっこをしているお爺さん、クリーニング屋さんの前で立ち話をしている女性など、多くの人を見かけた。普段人々の寝静まった深夜にしか町内を歩かない私にとってその光景は新鮮なものだった。と同時に、現在私の住む市内中心の町のことを思い返すと、人の姿こそあるものの、一心に目的地に向かって歩く人々ばかりで、立ち止まって言葉を交わしたり、くつろいだりする人の姿など見かけたことがないことに気が付いた。

 近年、人々の繋がり、特に地域の繋がりが少なくなってきているという話をよく耳にする。内閣府のホームページ内の生活白書のページでも地域の繋がりをテーマとするものが近年とても多い。近年の携帯電話、スマートフォンの普及によって、近隣の人々と密接な人間関係を築かなくても、困ったときには遠くの友人に連絡を取れば済む、というような考えが人々にあるからなのだろうか。人々とのリアルな付き合いを奪ったという点で、携帯電話、スマートフォンの功罪は大きいと改めて感じる。また思い返せば、私が現在住んでいるマンションに引っ越してきたときも、隣近所の住人への挨拶はしなかった。たまに同じマンションの住人とエレベーターで乗り合わせることもあるが、会釈をする程度で、中にはこちらが会釈しても視線を逸らされることさえある。現代、人々の入れ替わりの激しい賃貸マンションで、もはや「ご近所付き合い」なんてものは存在しないのかもしれない。

 「ご近所付き合い」、なんだか響きからして古臭い考え方だ、そのように私も思っていた。小学生のころ、母に近所の人に会ったら挨拶しなさいよ、と言われることも照れくさくて嫌だった。しかし、久々に近所の方々と言葉を交わしたことで、その心地よさのような、安心感のような、そういう温かいものに最近になって初めて気が付いた。現代、慌ただしい街中では、誰もが足を止めず一心に目的地へと急いでいる。住宅地の間の路地は、もはや通過点でしかない。近所の人とお喋りをしたり、子供たちが遊んだり、そんな場所にもなり得るのに…。私の生まれた町内では、なぜそれが実現しているのだろう。その理由は、そこに住む人々が自分の町のことが好きだから、だと思う。具体的にいうと、私の生まれた町は「家の中にいるより、ちょっと外に出てみようかな。」と思えるような町なのではないだろうか。山の麓に位置する私の町は緑が豊かで、季節折々の表情がある。また、有名な散歩コースの入り口も近くにあるため、ハイキングを目的とした、住人以外の人々が通過することも多い。また町内会での行事も盛んで、このような町だからこそ自然と近所付き合いが生まれるのではないかと思う。

 自分が好きになれるような町、つい散歩したくなるような町、漠然としているがそんな町こそがまさしく今の私の住みたい町である。それはきっと忙しい日々の中で、スマートフォンから目線を上げ、少し視野を広げて、いつもよりゆっくりした速度で自分の町を歩いてみれば、どんな場所でもその理想の町になきっかけが転がっていると思う。自分の町を好きだと感じる人が多く住む町に巡り合えれば、「ご近所付き合い」だって生まれるだろう。いつも通り過ぎていた町内の掲示板の前で立ち止まって、町内行事に参加してみるのもいい。参加するだけでなく将来、母のように町内会の役員を引き受けてみるのもいいきっかけになるだろう。

 この先私はどんな町に住むのか分からない。大都会に住むかもしれないし、コンビニもないような田舎に住むかもしれない。どこに住んだとしても、私は自分の生まれた町の人が教えてくれた、「ご近所さんの温かさ」を忘れないだろう。人との繋がりが途絶えていない素敵な町はきっと日本にたくさんある。もしかすると少しの工夫で、今住んでいる町が理想の町だと気づくことができるかもしれない。

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