入賞

「ていねいに、ていねいに、ね?」

外国語学部 中国語学科 4年次生 高木 絵理

審査員講評

 「ていねい」であることを「ていねい」に綴った心温まる作品です。「丁寧」という漢字ではなく、敢えて平仮名で表現することによって、読者の柔軟な解釈を許容しているように思います。現代社会は、ともすれば効率主義、成果主義へと走る危険性を秘めています。そのような時代にあって、物事に「ていねい」に取り組むことは、それを根本から見つめ直すきっかけとなるのではないかと思います。「ていねい」に行うこととは、プロセスを重視し、ゆっくりと確実に、そして「心」をこめて行うということです。筆者は「『ていねい』と『愛』には、強いつながりがあるのです」と語りますが、「愛」とは他者への「思いやりの心」や「おもてなしの心」と言い換えることもできるでしょう。現代人に必要な「立ち止まること」を優しく教えてくれるエッセイでした。

作品内容

「ていねいに、ていねいに、ね?」高木 絵理

 ここだけの話だけれど、私はとても「テキトー」な女の子です。ここで「適当」と書かずに、あえて「テキトー」としたのは、私の類い希なる軽率さと行き当たりばったりの生き様を、的確に表現したいと思ったから。カタカナは、とても身軽で意味を失いやすい。和菓子というよりは、スナック菓子のようね。

 閑話休題。

 そんな私が最近、とてもあこがれているもの。それは、「ていねい」。物事のひとつひとつを、「ていねい」に行うというのは、とても意識が必要です。料理ひとつをとっても、野菜や調味料、包丁や食器など、ていねいに料理をしようとすると、全てのものに命をふきこまなければいけません。これは、根気のいることだし、なにしろ、愛がなくてはできません。

 しかし「ていねい」であることはとても素敵なこと。ていねいに作られた料理は、愛がたっぷりで、味も香りも見た目も、素晴らしい出来となるのです。

「ていねい」と「愛」には、強いつながりがあるのです。
私が「ていねい」にあこがれ始めたのは、暑い暑い夏の日。京都の夏は蒸し暑く、なにをするにも気だるいため、私のテキトーさにも、より一層磨きがかかっていました。そんな夏のある日、あくまでも暑さしのぎのために、大学の図書館にふらりと立ち寄った私は、暇つぶしのために何気なく一冊の雑誌を手にしました。それが「ていねい」のキーマン、「暮らしの手帖」です。そのページをパラパラとめくっていくうちに、私は体じゅうの言葉という言葉を失いました。言うまでもなく、とても「ていねい」だったのです。編集の仕方から、写真や文章のひとつひとつ、そして内容。編集にも写真にも文章にもスキがなく、それでいて無駄が多い。無駄が多いというのは、必要ではないというのとは違います。無駄が多くて私たちの日常にとても近く、美しいということです。無駄な空白や、地味で味のある写真、話しかけるような息づかいの文章。どれも必ず無駄があり、ひとつひとつの無駄が非常にていねいです。

 「暮らしの手帖」には、たくさんの「ていねい」が詰め込まれています。いいえ、「並べられて」います。ひとつのテーマについて、徹底して調べられているのはもちろんのこと、暮らしのなかの「ていねい」が、どんなに幸福で重要であるのか、心にとても深く染み渡ります。「部屋の換気をこまめにすること」、「椅子に腰かけるときは背筋を伸ばすこと」、「一日に何かひとつ学ぶこと」、時には、「鼻毛が出ていないかチェックしてみましょう」なんて書いてあることもあります。

 編集長のあとがきが必ずあるのですが、終わりには「今日もていねいに。」と必ず書かれています。

 私はこの雑誌から、「ていねい」の大切さと幸福と豊かさと愛情を学びました。そして私は、少しずつでも、暮らしのなかに「ていねい」を潜ませることにしたのです。

 例えば、「ていねい」に料理をすると、食材のひとつひとつが輝いて、味つけにこだわり、見た目も美しく仕上げようとします。

 そんな料理を作ってしまうと誰かに食べてもらいたくなり、お友達を家に招きます。 お友達を招くために、部屋中を「ていねい」に掃除します。

 お友達が料理を食べてくれれば、心から小さな幸せが湧き上がり、ひとつひとつに感謝したくなります。

 そしてまた次の幸福のために、「ていねい」に食器を洗います。
自分のなかにある全てに、「ていねい」という魔法をかけることで、少しずつですが、周りも幸せになります。幸せは、連鎖しますからね。

 お金をかけずに、自分自身の内側にも磨きがかかり、周りのひとまで幸福にしてしまう「ていねい」。

 今までの「テキトー」な生活では、様々なことが物凄いスピードで通り過ぎて行っていました。食事や掃除や約束や友情や恋愛、人生の全て、小さな幸福たち。

 そこに突如やってきた、「ていねい」。

 おいしいものをさらにおいしく、美しいものをさらに美しく、甘くて軽率な学生生活、男同士の小さくて確かな友情、女同士の大袈裟でもろくて華やかな友情、不確かだけど全てを注げる恋、自分自身、生活、人生。全ての私の要素に、これからも「ていねい」を潜ませたいです。「ていねい」を人生のテーマにしてしまうと、なんだか堅苦しくて息苦しいから、潜ませる程度に。

 「ていねい」な生活が、これからの私を支えてくれます。オトナになってからも、今以上に「ていねい」は私の人生を豊かにしてくれるはずです。オトナというやつは、しばしば「ていねい」を見失いますからね。要領の良さを身につけてしまうと、「ていねい」を見失い、「ていねい」を見失うと、小さな幸福や痛みに気づけません。私はそんな「要領の良いオトナ」にはなりたくないので、いつだって「ていねい」をスパイスにして、自分の人生を豊かなものにしていきたいです。
全てを失っても、愛が人を救い出し、小さなその人なりの幸福が、みんなの幸福につながるのは確かなのですから。
すなわち、今日も「ていねい」に。

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