入賞

「ブライダル・アーティスト」

理学部 数理科学科 4年次生 瀬島 正大

審査員講評

 本作品の独創性は、自分の身近なところに「アーティスト」を見出そうとした点にある。
 筆者が「愛染倉」で出会い憧れを抱いたスタッフの面々は、第一級のアーティストであると同時に、筆者自身の創造意欲を高めてくれる存在でもあったにちがいない。筆者は、スタッフの抱く「喜びを創造したい」という真摯な思いに触れる中で、賓客に対する誠実さ・敬意・献身の心、妥協を許さないプロ意識などを学んだと語る。この仕事を通してまた本作品を書く中で、「愛染倉」の従業員としてのみならず、社会人として人間として大切なことへの気づきがあったのではなかろうか。この無二の経験は、卒業後、社会に出てからますます輝きを帯びるであろう。実体験にもとづく力のこもった作品であった。

作品内容

「ブライダル・アーティスト」瀬島 正大

 身近で好きなアーティスト、と聞いて真っ先に思い出したのは京都上賀茂に位置する、イタリアンレストラン「愛染倉(あぜくら)」スタッフの面々だ。

 愛染倉はイタリアンレストラン事業・ウェディング事業・貸し会場事業を行っている。苑内には、三百年の時を経て江戸時代後期より脈々と息づく風情をそのままに現代京の地にその姿を残す「本倉」・飛騨高山より移築、竹林に抱かれ笹の清漣に包まれる元庄屋屋敷「高史屋」・京都市内を眼下に臨む数奇屋風講堂造りの茶室「翠風閣」の三会場を構え、モダンとノスタルジアの融和するその独特な雰囲気でもって、足を運ぶゲストへ迎接している。

 私が愛染倉の方々にアーティストとしての姿を見るのは、ウェディング事業に於いて顕著だ。というのも、私はここで(アルバイトではあるが)従業員として働いており、主として関わるところがウェディング事業なのだ。実は最近シフトの入り日数が増えている。秋を迎え、結婚披露宴の開催頻度は最盛期といっていい。即座に勤務先を思い出したのはこのためかもしれない。

 採用面接に愛染倉を訪れたのは去年の夏頃だっただろうか。求人情報誌を頼りに玄関まで来て、少々圧倒された覚えがある。一方で接客対応を課されることに対し不安とも期待ともつかない、不思議な高揚をもまた感じた。

 あれから一年半近くが過ぎた。業務内容もある程度全体を俯瞰出来るようになり、見える事も多くなった。そしてそれと比例するように増えたのは、場を創造し提供する者として自らを捉えた時に感じる、アーティスティックな人間側面への内省的考察と感慨だ。

 ウェディングとは人生の結節点であり、その創造はとりもなおさず新郎新婦両人のなせる業である。「人は生まれながらにして芸術家であり、万人が共通して行うその創作活動は過去を原材料とした自身の未来像のクリエーションである」と述べた哲学者がいたが、この観点でいくとウェディングの場とはその集約と言えるだろう。しかしながらここで注意したいのは、あの華やかな場は主役の二人だけで創造されるものではない、という点だ。

 もちろん両人が披露宴に必要不可欠である事は明白である。主役なのだから。ここで述べたいのは特定の人物の物理的在・不在とかそういうことではない。披露宴の構成に関与しそれを肯定し、「その場」の成立に欠かせない者。この場合ゲストや我々スタッフであるが、そういう人間が空間に、主役に喜びを与えようとして取る行為――この行為の「理由」として、「義務」とは離れて根底に流れる、「喜びを創造したい」という精神性についてである。ここに言及したい。

 アーティストの一つの定義が「創造せんとする者」であるならば、前述のとおり披露宴に関わった者は一様にアーティストである。披露宴という場において、ゲストおよびスタッフが創造するものとは何なのか。思うにそれは次のようなものになるのではないだろうか。 ゲストが創造するのは祝辞による新郎新婦の喜びであり、我々スタッフが創造提供するのは新郎新婦を含めた全賓客の満足である。

 この創造の価値は創造者の意識する以上に重い。なぜならそもそものこの「披露宴」は概して主役にとって一過性のものであり、かつ複数回経験するということは元来想定されるものではないからだ。そうしたものに関わるという事は、真の当事者―つまり主役―でない者に相当な真摯さが求められるような気がしてならない。敬意を持たなければならない、と。そしてこれはスタッフに対してなのだが、献身の心もまた同様である。

 私の信ずるところとして、「敬意を、礼意を伴う行為は美しい」というものがある。おそらくこれは真として認められるだろう。喜ばしい日に食事の面でも満足していただきたいという、シェフ達のゲストに対する敬意は、その作品とも言うべき料理に美として如実に現れている。味はもとより盛り付け、彩色は一枚の皿というキャンバスに描かれた、芸術作品のそれだ。

 料理に限った話ではない。司会やプランナーの仕事もまた、あの空間を作り出すためのキー・ファクターだ。心地良い進行スピード、行き渡った配慮、なにより主役の意向に限りなく沿った式内容の構築等、提供されるそれらもまた、美を備えた創造物である。

 主役二人の作る未来への贈答花ともいうべき、こうした愛染倉スタッフの「創造」は、アルバイト従業員である一介の学生の心にも、その芽を咲かせるようである。

 愛染倉が提供する、喜びを喚起する創造には妥協というものがない。先に述べたように基本的には「一度しかない」空間と時の創造であるためだ。ともすれば最悪のものを提供しかねないため、彼らのプロ意識の在りかたは堅固である。この姿勢が、業務を通し長年愛染倉に関わっている者には自然と備わっていくのだ。

 即座の判断と妥協のない行動。披露宴でのより良いサービスというのは、喜ばしい事実に対する、「各人の持つ祝福の思いと当事者を支えようとする献身性」、ここから沸き起こるようにして生まれるのではなかろうか。愛染倉の従業員はこれを常として創造を続けている。その真摯さと、ウェディング関係者のみならず(その精神性の伝達という面で)我々アルバイト学生にすらも好影響を広げているという点で、アーティストとしての姿をそこに垣間見る。

 学生生活ももはや僅かだ。残る期間で披露宴に関われるのは、それほど多くの回数ではないだろう。だからというわけではないが、これまで以上に誠実さを持って仕事にあたりたい。なによりも、あの創造空間に居ることに対する、感謝と礼意をもって。

PAGE TOP