サギタリウス賞

「私の大好きなアーティスト」

理学部 物理科学科 1年次生 仲 千春

審査員講評

 タイトルは「私の大好きなアーティスト」である。このタイトルから容易に想像されるのは、画家や小説家、あるいはミュージシャンである。しかし、この仲さんの作品は、身近な人物である「Kさん」に焦点をあてたことで、他の作品と異なる「輝き」をもつ。
 高校生の時の就業体験の授業で、地元の科学館でのKさんとの仕事(プラネタリウムの番組作成やサイエンス・ショーの構成と運営)を通した交流の様子が、活き活きと描写されている。その真髄は、「幼いお客さん」への気遣い・心遣いである。
 わずか1週間ほどの間、Kさんの「創造活動」にふれることで、仲さん自身が将来の道を天文学に見出してゆく。平凡な言葉でもある「出会い」や「ふれあい」という意味を、アーティストというに言葉よって表現し、具現化した作品である。

作品内容

「私の大好きなアーティスト」橋爪 明美

 アーティストとは芸術家のことで芸術家といえば芸術、つまり自分の思っていること伝えたいことを作品として創るという活動をする人のことである。そう聞くと私はあまりアーティストを知らない。最近のミュージシャンや昔の画家などに幼い頃から興味を持てなかったので、今でもそういうものに疎いのだ。しかし、そんな私でも自分の伝えたいことを作品として創る人を知っている。しかもその人の作品作りに触れたから私は今理学部にいる。普通のアーティストとは少し違うけれども、そんな私の好きなアーティストについて少し書きたいと思う。

 私の住んでいる町にはプラネタリウムの付いた科学館がある。五年前までそこでは「夏休み星の学校」という夏休み限定の教室があり、星についての話やプラネタリウムの投映、実際に泊りがけで行く観測会などがあった。私はそこに小三から中二まで通っていた。初めは両親の勧めで通っており、まあまあ楽しかったのだが、年を重ねるほどに内容は難しくなり、重複することもあったので飽きてきた。そのころ私は絶対に天文に関する分野を進路にはとらない、と強く思っていた。

 そして私は高校生になった。私の高校では一年生の時に自分の進路について考える授業があった。その授業の一環で自分でアポイントメントをとって企業で就業体験をさせてもらう機会があった。これといって進路が決まっていたわけでもなく、知らない企業にアタックする勇気もなかった私は軽い気持ちであの科学館に依頼をしにいった。科学館の人々は私のことを覚えてくれていたので快く引き受けてくださった。こうして私はこの科学館で一週間働くことになった。

 私はKさんという教室のころお世話になった女性の仕事を一緒にさせて頂くことになった。彼女の担当はプラネタリウムの番組作成とサイエンスショーの構成・運営だった。私はこの二つともにかかわることができ、サイエンスショーにいたっては一つのコーナーを担当させてもらえることになった。

 まず始めにおこなったことは来月投映するプラネタリウムの番組作成だった。「プラネタリウムの番組は借りてくることもあれば自分達でつくることもあるの。」と聞いたときはとても驚いた。来月の番組は台本から投映まですべてこの科学館でおこなうそうで、その日はその番組を完成させる日だった。番組とはテーマにそったプラネタリウムを投映しその合間に絵や音楽、解説文をいれたものであり、見たお客さんに知識や興味を与えるものである。そんな大切そうな仕事に私が参加してもいいのだろうかと少し不安になったが、なんだか少しわくわくした。ここの投影機は旧式だったのでどの絵がいつ何秒間出ているのかを一つ一つコンピューターで打ち込んでプログラムしなければならなかった。Kさんは打ち込んでは試し、打ち込んでは試しを何度もおこない、物語がスムーズに流れるようにした。「少しでも流れが変だとお客さんの興味が薄れてしまうの。」と彼女はいいながら作業を続けた。また、同じような惑星の写真が何枚かあり投映してみては別のものに変えるということをおこなった。「写真が明るいと急に目の前が眩しくなって目が痛くなってしまうから。」といって明るさを調節していた。私はそれまでにこのプラネタリウムで何度か手作りの番組をみたことがあった。しかし、それはプラネタリウムという暗闇では当たり前のことなのだろうが、そこまで見る人のことを考えて作っていたのかと驚いた。その後も彼女は照明のオン・オフのタイミング、BGMや効果音の長さや音量までもを決めてひとつの番組は完成した。「少しBGMが気に入らないけど。」といって彼女はできた番組を最初から見せてくれた。いつも見るときはその内容をいかに理解できるかということばかりに気をとられていた私であるがこの時は素直に面白くKさんのこだわりを感じながら見ることができた。

 次の日、Kさんと私は最終日に行われるサイエンスショーの台本作りにとりかかった。このサイエンスショーは幼稚園から小学校低学年ぐらいの子供たちを対象としておりその子たちに地球の南極大陸の位置を教えるというのが私の仕事であった。当然これまでの人生でこのようなことはやったことがなかったのでKさんに台本を見てもらっては「子供達にわかりやすい言葉で。」と言われパフォーマンスでは「もっと語りかけるように。」「子供達にこっちを向いてもらえるように。」と言われた。結局紙で作った地球儀を全員に配布して南極大陸の位置を確認してもらい、私のほうを向いてもらうために張りぼてのペンギンの置物を使った。これらはすべて私たちが手作りしたものである。自分たちが伝えたいことを伝えるためにはそれまでにできるだけのことをする。そういうことが大切なのだなと感じた。そして当日、なんとか自分の番を終わらせるとKさんが残りを進めていった。自分が知っていること、面白いと感じているものを子供達に一生懸命に伝えようとしているのがひしひしと感じられた。いつの間にか私は久しぶりにまだ教室に通い初めて間もない頃のように楽しくそのショーを見ていた。それは、自分がかかわったから少しえこひいきした気持ちだったのかもしれないけれども。

 この科学館には他にも多くの人が働いている。その人たちの作る展示会や観測会には必ずテーマがあって、そのテーマにはそのテーマを決めた人の「このことを知ってもらいたい。」「これが面白いのだ。」という気持ちが少なからず込められている。そういうものが入っているからこそ科学や宇宙に対するロマンや好奇心を子供や大人に与えることができるのではないだろうか。そしてもっと知りたいと思う人々が増えてくるのである。あるミュージシャンの音楽を聴いて自分もギターを始めようと思う人がたくさんいるのと同じように。現に、私はこの一週間を終えたころから将来の道を天文分野にしようと考えていた。あれほど嫌だと思っていたのにそう思うようになったのは、あの“作品”たちに込められていたKさんの宇宙は面白いという思いに影響されたからなのではないだろうかと思う。こうやって人の気持ちに変化を与えられる“作品”を創ることができるのだからKさんはアーティストである。

 理系分野と呼ばれている人々の中にもアーティストはいるのだ。私自身、今はまだKさんみたいなアーティストではないし、今のまま進んでいけるかもわからない。でも、いつに日かその道に行けた時に私はKさんのように自分の伝えたいことを“作品”にできるアーティストになりたい。そう思わせてくれているのだからKさんは私の大好きなアーティストである。

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