サギタリウス賞

「両親に対する私の気持ち」

法学部 法律学科 2年次生 金 麗花(きん れいか)

審査員講評

 冒頭で留学生の作品だと知れるのだが、それでも、日本語表現の巧みさに、そのことを忘れて作品世界に引き込まれた。幼少よりの極貧生活。追い打ちをかける父のリストラ、借金の日々。娘を祖母に託し、父母は韓国へと出稼ぎに。しかし、「お涙ちょうだい」話に終始しないところが、すぐれている。一人っ子に8歳から炊事洗濯をさせる母を継母かと疑い、「実の母を捜しに行く」という言葉を浴びせてきたという書き出し。冬の寒い日、アイスクリームが食べたくなり買いに行くが、貧しくて袋までは買えず、じかに掌に受け取って家に帰ると、掌ごと凍りついて取れない。感覚の無くなった真っ赤な掌を、母はその胸にあてがって暖めてくれた。その瞬間、実の母はこの人だ、と悟った―。挿入されるエピソードは情景が目に浮かぶようで、構成・展開もうまい。さりげなく韓国への留学をすすめる両親。そばに来て欲しい気持ちを痛いほどわかりながら、日本留学を選択する娘。教科書の固定観念で見ていた日本がすっかり好きになり、将来は日中両国の架け橋になりたい、と両親を安心させる決意表明も忘れない。「一所懸命」など正統な日本語も随所に。充実した留学生活が、行間からほの見えるようだ。

作品内容

「両親に対する私の気持ち」金 麗花

 お父さん、お母さんへ

拝啓  お元気ですか。

 去年の夏、韓国で別れてもう一年が経ちました。いかがお過ごしでしょうか。私は今年4月に京都産業大学の二回生になりました。毎日とても充実した生活を送っています。外国での生活もだいぶ慣れてきましたが、お父さん、お母さんへの思いは募るいっぽうです。日本に来てはじめてお父さん、お母さんの私への思いがわかるようになり、「ありがとう」の一言さえ言えなかった自分が憎らしくてたまりません。

 子供の頃は、おやつも買ってもらえない貧しい家庭に生まれた自分を、とても不幸な子供だと思っていました。しかも、一人っ子の8歳の私にご飯を作らせたり、洗濯させたり。お母さんは実の母ではなく、継母ではないかと思ったことさえありました。何度も実の母を捜しに行くと言い出したことも記憶に生々しいです。その時、幼かった私はお母さんの辛い気持ちをちっとも察することができませんでした。今考えてみると、その時のお母さんがいなかったら、今日本での一人暮らしはとても無理だったと思いました。回りの友達も料理や家事が上手な私を、とても羨ましがっています。

 お母さんのことをずっと実の母ではないと思っていた私でしたが、あることをきっかけにその考えが覆されました。それは、同じく私が幼い頃のある冬のことでした。寒い冬なのにアイスクリームが食べたいとお母さんからお金をもらって、アイスクリームを買いに行きました。アイスクリームを売っている人は当時袋もお金がかかったため、袋をくれずにアイスクリーム10個をすべて私の小さい手の上に乗せました。私は落とさないように家まで、一歩ずつ、慎重に歩いて帰りました。家に帰って手の上からアイスクリームを取ろうとしましたが、凍り付いてしまい取れません。手も凍って真っ赤になり、感覚さえなくなりました。母は私の手をお湯に入れてアイスクリームを取ってくれましたが、凍った手はなかなか暖まりませんでした。その時、お母さんはなんと私の手を自分の胸に当ててくれたではないですか。その瞬間凍っていた手が暖まっただけではなく、胸も急に熱くなり、こんなに優しいお母さんのもとに生まれてよかったと何度も心の中で叫びました。その後から、お母さんは実の母親だと堅く信じるようになりました。

 私が感銘を受けたのはこれだけではありません。中学校一年生の時、お父さんがリストラされ、これまでお父さんの収入だけに頼っていた家計はさらに苦しくなりました。貯金もなく、唯一の収入もなくなり、中学校の学費も払えなくて近所や親戚に頭を下げながら借金を余儀なくされました。それで、お父さんは人力三輪車で引越しの荷物を運んでお金を稼ぎ、母は野菜畑で一所懸命働き、家計を支えてきました。寒い冬の日まで汗だらけで帰宅するお父さんとお母さんをみても何にもできなくて、とても辛かったです。体をあまり無理しないようにとお父さん、お母さんにいうと「あなたのためならいくらでも働けるよ」と言ってくれました。この時、我が家にも転機が訪れました。お父さんは韓国にいる友人に韓国に来て仕事を手伝うようにと頼まれました。こうして、お父さんとお母さんは、私をおばあさんに任せて韓国に出稼ぎにでました。それから中学校の学費は韓国からの仕送りで賄い、専門学校に進学したあともお父さん、お母さんの仕送りで同年齢の子よりも裕福な生活を送ることができました。お父さん、お母さんと離れ離れになってから、両親への感謝の気持ちは一段と強くなりました。

 専門学校を卒業して韓国企業に就職し、社会人になった後も、ずっと私のことを心配してくれました。両親から離れて、生活している私にそばにいてほしくて、韓国に留学することを勧めてくれたお父さん、お母さんの気持ちも、実はよくわかっていました。しかし、私は、親に頼らずに外国で自力で生活する立派な様子を見せたくて、日本に留学することを選択しました。しかし、日本での留学生活はそんなに楽なものではありませんでした。毎日アルバイトと学校の勉強に追われる日々を送っていましたが、なかなかお金がたまらず、またもお父さん、お母さんに救いの手を求めてしまいました。その時も、一言も言わずに私の留学生活を全面的に支えてくれました。5年も異国で汚いきつい仕事を、選ばずに働き、辛かったことは決して少なくなかったと思います。しかも、そのお金で私の留学生活を支えてくれたと思うと、申し訳ない気持ちでいっぱいです。親孝行の年頃なのに親に頼っているばかりの自分が本当に情けないです。

 お父さん、お母さんのおかげで日本に留学し、貴重な体験がたくさんできました。ここに来て、さまざまな人と出会い、自分自身もだいぶ成長したような気がします。日本に留学したことで、中国のことも客観的に見ることができ、ずっと教科書で習ったとおりの固定的観念でみていた日本のことも、すっかり好きになりました。将来は大学で学んだ法律の知識をきちんと生かして、日中の架け橋になるような仕事に就きたいと思っています。

 このような夢をくれたお父さん、お母さん。本当にありがとうございます。また、どんなに厳しい状況のなかでも諦めずに、私を一所懸命支えてくれて、ありがとうございました。

敬具
娘より
2006年10月22日

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