優秀賞

「緑――これぞ星の巡り!?――」

文化学部 国際文化学科 4年次 草野 友子

審査員講評

 歯切れの良い文章である。 作者の思いが飾り気なく表明されていて、みずみずしい。 高校時代からの「漢文を中国語で読みたい」という思いがふとした機会にその存在を知った文化学部で叶う歓び、ゼミの仲間や指導教授との心の結びつき、天文同好会での天体観測から得た体験、そして進路を巡る気持ちの揺れと決断。 作者の4年間の学生生活がこれからの人生の「夢」へと広がっていく過程が素直に語られていて、読んでいてこちらが心弾まされ、励まされる。 「縁――これぞ星の巡り――」というタイトルも、言いえて妙である。 「夢」に向かってprogressiveに歩んで行って欲しい。

作品内容

「緑――これぞ星の巡り!?――」 草野 友子

 今だから言えることだが、私が高校三年生の頃、京都産業大学に入学することになるなんて、思いもしなかった。なぜなら、夏頃に取り寄せた大学案内を「文学部がない」という時点ですぐにゴミ箱に捨ててしまったのである。しかし、11月頃になって、ある日ふと見つけた。「2000年度 『文化学部』設立」という文字を。

 私の志望する分野は、「東洋史」もしくは「アジア文化」であった。もともと中国の歴史や思想に興味があり、高校時代から「漢文を中国語で読みたい!」という願望がずっと胸の中にあったのである。だから、それが叶えられそうな学部・学科を探していた。
 文化学部では、「アジア文化コース」があるらしい。文学部ではないが、きっと文化学部という名に意味があるのだろう。しかも国際文化学科となれば、中国だけでなく各国の文化も学べるに違いない。何よりも、この時期に新設されることが、運命めいたものを感じる。そんなことを思いながら、受験を決意した。
 そして、見事に合格し、晴れて京都産業大学文化学部国際文化学科に入学が決まった。

 一年目は、大学生活に慣れるのに精一杯だった気がする。とにかく、語学の授業が多くて、てんやわんやの毎日だった。特に英語に少し苦手意識があるおかげで、週4回の英語はなかなか厳しいものだった。初めて学ぶ中国語は、発音が難しいものの、一番やりたかった語学だけに興味深かった。そして、この頃の一番の楽しみは、一般教養の「東洋の伝統思想」。「私はこれを学びに来たんだ!」と思わせる内容だった。中国古代の思想家、孔子、孟子、荀子…。聞いていて、楽しくて仕方がなかった。そして、運良く試験で満点を取るという快挙を成し遂げ、自分の思いに偽りがないことをあらためて実感したのである。

 二年目は、専門科目が増えることが嬉しかった。一年生の時と比べて、授業一つ一つの内容が深くなってきた。やっと、本格的に中国文化が学べる。中国だけでなく、色々な地域・国を学ぶのにも良い機会だ。二年目から三年目にかけては、アジア文化を中心にしつつ、日本・アメリカ・ヨーロッパの授業を満遍なく受けることを心がけた。
 この頃、「中国語U」で、内容の難しさに何度も挫折しかけたことを今でも思い出す。この授業を担当していた先生が、後にゼミでお世話になることになるとはこの時はまだ考えていなかった。

 三年目に入って、「漢文を中国語で読む」授業に出会えた。予想以上に苦戦をしてしまったが、かといって嫌になるわけではなかった。念願が叶ったのだから。
 いよいよ、この年から「アジア文化演習」いわゆる「ゼミ」が始まる。これから二年間学ぶ場である。もちろん選んだのは中国文化で、小林武先生のゼミに所属した。このゼミのおかげで、私はより一層大学生活が充実したと断言できる。なぜなら、ゼミ生がみんな真面目なのだ。個性的で楽しいメンバーが揃っており、さらに自分の意見を主張しつつも、他人の意見を取り入れることができる柔軟性を併せ持っている。我々が団結できたのは、小林先生のお人柄もある。難題を課せられたことがしばしばあったが、それをみんなで乗り越えたおかげで、今の我々があるのだろう。時には息抜きもあり、合宿やゼミコンなども行った。年度末にはレポート集を作り、もともと編集作業が好きな私は、気合を入れて製作に臨んだ。そして、100ページ近くに及ぶレポート集が完成し、一年目を無事に終えた。一年を通して本当に仲の良いゼミとなり、二年目に希望と意欲が湧いてきた。

 そして、いよいよ四年目。単位をきっちり取ったおかげで授業数はグンと減り、ゼミが中心となった。卒業論文も進めなければならない時期だ。就職活動が本格化してきて、なかなかメンバー全員が揃わなくなったが、それでもアットホームなゼミとして心地よく過ごしている。進路の悩みをずっと語り合う日も多くなった。仲間というより、「同志」に近い気がする。
 そういえば、ふと思い出したが、私が大学に行きたい理由の一つとして思っていたのが「卒論が書きたい!」であった。中学生くらいの時にそんなことを言っていた気がする。文章を書くことが好きな私には、卒業論文が大学生活の集大成であり、すごく長い論文を書くという経験が楽しそうに思えたのである。この話をすると不思議がられることが多いが、私は真剣にそう考えていた。そして今、私はその卒論に向けての作業で苦戦しているのであるが、当時の気持ちと今の気持ちは何ら変わらないし、初心に帰るというか、やはり気合を入れてがんばらねば、と思う。

 そんな私だが、勉強ばかりやっていたわけではない。当初クラブ活動をやろうとは思っていなかったが、気が付けば「天文同好会」に入部していた。中学・高校とずっと陸上競技部に所属していたため、「天文」という分野は私にとって未知なるものであった。が、ここでは何かが得られるという確信があったのである。今思えば、まさに「星の巡り」がそうさせたのであろう。
 天体観測、太陽観測、流星群観測、神山祭、合宿など、クラブ活動をしていなければ、経験しなかったであろうことをここでたくさん経験した。文系理系の枠を超えて「天文」のすばらしさ、宇宙の広さを実感した。「文系だから専門的な観測なんてできるはずがない」という勝手な思い込みをしていた私が、自主的に観測を行い観測報告で発表するまでに至ったのは自分でも驚くべきことであった。その観測というのは、太陽面を特殊なフィルターを被せた望遠鏡で見てスケッチするというものである。データの集計などはある程度の知識を持っていなければならないが、スケッチともなれば私にもできることだ。慣れるまでは大変だったが、結果的に60枚ほどスケッチをし、それなりに観測者の端くれとなった。正直、望遠鏡が使えないまま卒業してしまうのではないかと思うこともあったのだが、太陽観測のおかげで使えるようになったのでほっとしている。さらに、天体写真撮影という新たな趣味も増え、カメラや写真に対する意識が変わった。自分で限界枠を作るのではなく、自分が挑戦できることをやる、行動に移す、それが如何に大事なことかを実感した。視野を狭めるのも広げるのも、結局は自分次第なのだ。また、仲間の大切さ、人を思いやる、互いに尊重しあう、そういった基本的なことの大切さをあらためて思い知った。先輩、同期生、後輩、良き仲間に巡り会えたことは、私にとって貴重な財産である。
 “晴れたり、曇ったり。”天文同好会に入って以来、普段気にも留めなかった、太陽や月、星が身近なものとして感じられた。“泣いたり、笑ったり。”クラブ活動の大変さと、そこで得る喜びの大きさは、それを体験した者にしかわからないだろう。
 私には絶対に学業と部活動を両立させようという信念があるため、クラブ活動が忙しい時でも勉強をおろそかにしたくなかった。それは自分自身への試練、というのは少し大袈裟かもしれないが、自分を高めるためには絶好の機会であった。
 私が「天文同好会」で得た経験は、計り知れない。
 ちなみに、正直なところ、私が京産大創立者である荒木俊馬先生が偉大な天文学者であることを知ったのは、後々のことであった。これも何かの「縁」であろうか。

 私は今、四年目、最終学年である。就職ではなく、大学院進学を希望している。一時は就職活動をしていたのだが、自分の中で常に迷いがあった。このままでいいのか。せっかく勉強が楽しくなってきた。もっと続けたい。そんな私に、両親は言った。
 「あんたが大学院に行きたいと思うなら、行ったらええ。就職してから自分のやりたいことをやろうと思ってもそんな簡単にできひん。やりたいことは、今やったらええんやで。」
 ストレートな言葉は、私の胸に突き刺さった。そこそこ順調に就職活動をしていた娘に向かって、このような説得をする両親が一体どこにいるだろう。両親の言葉に私はかなりの衝撃を受けた。この二人の子供であることを誇りに思った瞬間であった。
 それから決断するには相当時間がかかったし、かなり頭を悩ませたことは事実である。しかし、家族、先生、友人に後押しされて、私は一歩前進することができた。本当に感謝の気持ちでいっぱいである。
 運良くというべきか、大学から学業成績優秀者として二度も選んでいただけたことは大変光栄であり、勉強することへの意欲が増幅する結果となった。
 私は勉強がしたくて大学に入った。そして今、もっともっと勉強したいと思える自分がいる。そのように思えることが本当に嬉しい。それだけ、文化学部で学んだこと、勉強したことが私にとって非常に大きなものだったということである。大学院に進学したいと考えるなんて、入学当初の自分には考えられないことだったのだから。これから先は生半可な気持ちではいられないことはわかっている。しかし、京都産業大学に入って文化学部で学んだこと、クラブ活動で経験したこと全てが、必ず力となると信じている。
 私には「夢」がある。今後どうなるかはわからないが、「夢」はこの先きっと変わることはない。その「夢」に向かって、日々着実にprogressiveに歩みたいのだ。

 残り半年もない大学生活、文化学部第一期生として巣立つ日は近い。

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