ロシア訪問印象記

2011年9月30日
世界問題研究所所長 東郷 和彦

 9月11日から18日まで、モスクワを訪問してきました。一番の目的は、河原地英武先生と一緒に、これからの世界問題研究所とロシアの研究所・大学との間で、どのような協力を進めていくかについて幅広い懇談をすることでした。

 その目的を達成するために、できるだけたくさんの大学・研究所そのほかの機関の方々と懇談してきましたし、ロシアとの学術報道専門家会議の主催する会議で、最近の日ロ関係についてお話しするなどの機会ももち、専門家会議出席の日本の方々と各方面のロシア人と話をする機会ももちました。

 以下そういうロシア人との懇談のなかで感じた、ロシアや日ロ関係についての印象をしるすことにします。

(1)懇談の相当部分が次期大統領選挙の動向とその背景になるロシア社会の権力についてでありました。ロシア側回答者は、例外なく、権力はプーチンが保持しており、メドベージェフはプーチン権力の一齣でしかないと無いと述べていました。9月24日の「統一ロシア」党の大会で、プーチンが、メドベージェフの推薦を受けるという形で来年の大統領選に出馬することになった経緯から見ますと、「プーチン再登場」の印象は、見事に当たったと言わねばなりません。

 他方、その場合、メドベージェフがどうなるかについて意見が分かれていました。もしもプーチンが大統領に返り咲いたら、結局この4年間の「二頭制」が失敗に終わることを意味する、だから、メドベージェフが大統領として存置されるという理論的帰結がありうるという意見を述べた人もいました。その観点では、メドベージェフを首相に持っていったことは、「彼のよさを今後も生かす」という意味で、過去4年が必ずしも失敗ではなかったということを意味します。なかなか鮮やかだと思いました。

 ちなみに、新しい制度を「二頭制」の継続とする論評が多いですが、プーチン大統領――メドベージェフ首相というのは、「二頭制」ではありません。大統領の方が首相の任免権を持つ圧倒的に強い立場にいるわけで、そこに政治的実力ナンバーワンのプーチンがつくわけですから、完全な「一頭制」にもどるわけです。

(2)けれども、プーチン絶対権力と言ってもよい状況で、ロシアという国がどう発展してきたかについては、非常に厳しい見方があいつぎました。基本的には、安定と国家権力の強化を目的としたプーチン(+メドベージェフ)政権のこれまでの12年間は、権力の担い手は強化され、石油価格の上昇に助けられた経済発展はあったものの、ロシアを近代国家として更に飛躍させるための手立てを講ずることに失敗したという見方が多かったのです。

 「メドベージェフは近代国家としての力を増やすためになんらの貢献もできなかった」、「2004年のベスラン事件に端を発し、それから数年をかけてプーチンは権力による抑圧体制強化に腐心してきた」、「社会的な格差が急速に拡大するなかで、不満を持つ若年層などの間に、排外的なナショナリズムが登場し、政権側はこれを抑えてはいるものの、対応は微温的であり、抑制のための社会的な基礎は薄弱である」、「政権党がプーチンを支持しているといっても、選挙には巨大な不正がつきまとい、また、言論の自由は、テレビの完全な統制、地方出版物の全般的規制、中央出版の自己規制など、大幅な制限が続いている」などの見解が相次いだわけで、こういう課題を克服して、いかなる政策を実施していくか、プーチンの指導力とロシア人の底力がこれから試される時代に入るのでしょう。

(3)そういう国内的に暗い見方に対応し、ロシアの対外政策についても、総じて、ロシアが目覚ましい対外政策をうちだしているという意見は聞かれませんでした。特に、「ロシアにはいま、統一的な対外戦略は存在しない。文書によるつじつま合わせ的なものはいくつかあるが、本当の国家目標、それを担保する明確な手段、実際にそれを実行する戦術ということになると、ほとんど何もない。近代化の推進という目標があるのであるならば(それは正しい目標だと思うが)、それに応じた対米和解、OECD諸国との協力が実施されるべきだが、現実には冷戦思考から抜け切れない政策が続いている」という批判が、強い印象を残しました。

(4)そういう状況の下で、中国との関係については、種々考えさせられるものがありました。一方において、中國の力は圧倒的であり、ロシアはこれから、決して中国と対立する政策をとることはできない、中国に経済的・知的に大きな投資をやらざるをえない、という見解は、あらゆるところで感じられました。「中国は今海軍力を中心に大幅な軍事力の増強を図っている。Blue Sea Navyの創出、第一次列島線及び第二次列島線への拡大などの動きがある。然し、大陸国家ロシアにとって、こういう動きは本質的な脅威の増大とはならない。むしろ、この動きに脅威を感ずる、米・韓・日・台・越・印が中国との均衡をつくりあげるために、大陸国家ロシアとの提携を必要とするということだろう」といった意見です。

 他方において、それでは、ロシアよりも激しい伸び方をしている中国との関係が最適な形で進んでいるのか、将来共にこのような関係でよいのかという点については、不安を覚えるという意見は底流として、例えば去年の秋にモスクワを訪問した時よりも強まっているように感ぜられました。

「経済力・人口・シベリア極東への進出すべての面で、脅威である」と、一刀両断で中国の脅威を指摘し、「現下の中国の拡大は東と南をむいており、ロシアに対する脅威は中心的な位置をしめていない。けれども、ロシアとしては、ウラル以東の国境とロシア国内での立場の強化が課題である」という覚めた見方を提示すると言った見方です。

(5)そういう中で日本との関係は、興味深い状況を呈していました。中国に対する「絶対に一緒にやっていかざるをえない」という見方と呼応し、また、最近の日ロ政治関係の崩壊状況を反映し、実に冷たい、90年代の日ロ関係では想像もできなかった対日軽視というふんいきがあり、それは明らかに去年よりはっきりしていたと思われます。他方において、中國への不安感の裏返しとして、現状のような日ロ関係でよいのかという声は、通底奏音として、これもまた昨年より強まっているように思われました。

  • ロシアのリベラルの方からは、「中国への脅威に対しては日本は協力国となる」、「ロシアが戦略的に提携すべきOECD諸国の中に、もちろん日本も入る」他の発言がありました。
  • ロシアのアイデンティティをユーラシアの見地から議論したさる教授も、地政学的・歴史的な日ロの戦略的提携の必要を強調していました。
  • 「ロシア人の中にある中国人に対する脅威認識や警戒感と異なり、日本人に対しては、脅威感や警戒感なはい。三島由紀夫の著作が尊敬を持って読まれている」、「ロシア世論の調査で、発注主の希望により外国人に対する好感度について世論調査をすることもあるが、日本は好感度のほうにいつも入る」という民心についての意見もありました。

(6)北方領土問題についても、この両面性が、あらわれていたように思います。多数は、「いま交渉にはなんらの可能性はない」というもので、これらが多数説を占めていたことは疑いがないと思います。

  • 「領土問題は、日本側が、「原則」を固執するアプローチをとった結果、これまで開かれていた数回の機会の窓はしまった。いま現実的に考えて、ロシア側にとって、なんらかの妥協をすることにより、いかなるメリットが生ずるのか。他の問題と同じく、厳しいナショナリズムの世論が問題を困難化する点もある」。
  • 「領土問題について、これ以上ロシア側からシグナルがでることはないだろう。中国は台頭する国として、早く国境線を決めておかねば不利になるということで、妥協に入った。日本にはそういう力はない。ロシアからすれば、なんのために日本と妥協するのかということになる」
  • 「現代の世代は、領土について妥協しない。日本はまず、50年代に妥協の機会があった。次に、90年代に妥協の機会があった。それを逃した今の日本には、地政学的な利益上、ロシアには日本と妥協する意義はない。妥協案を考えるとしても、日本に対して屈辱的でない案を考えるにはどうしたらよいのか」。
  • しかしながら、発言のニュアンスの中に、少なくとも、このまま「零回答」で終わらせるのはロシアの国益にかなわないのではないかということをうかがわせるものもありました。
  • 「中国の台頭が日本にとって脅威となる。その戦略的な思考が、妥協によって問題を解決するという気持ちを日本側にもたせるということはないか」
  • 「56年宣言は法的に有効文書である。いま双方に必要なのは、国境線の画定である。領土の引き渡しというコンセプトを持ち込む必要はない。国境線に合意できたら、その基本を含む平和条約を結ぶことができる」
  • 「日ロの政治的な低迷は、領土問題について、日本側が原則的な立場を譲らなかったことが原因である。最近でいっても、56年宣言による妥協という提案をしたが日本側はこれにのらなかった。もう少し巧妙(hitrui)な案も考え、「ロシアから見れば二島、日本からみれば四島」といった案も考えられたが、これもまた、日本は受け入れなかった。そういうことが交渉を停滞させ、政治的な雰囲気の悪化につながっているのだろう」

(7)来年春には、プーチン体制が名実ともに再興されます。今は、ゴルバチョフ登場以降の25年の努力の幕がいったんは閉ざされ、ロシア政府には、北方領土については、「四島のロシア化」というカードしかなく、「交渉」というカードはなくなっています。このような事態になったことは、大統領の対日不信が大きな原因となっており、このことは総じてモスクワ各界の日本に対する目つきを厳しいものとしています。

 けれども中国に対する目下のロシアの心情は、かなり複雑なものがあり、その反映としての、「対日関心」の底流は東京で思っていたよりも、議論の端々に現れていました。このような対日関心は、プーチン政権再登場のあとに次回の「日本への機会の窓」を開くに足る要因となるかもしれません。そうだとすれば、これからの北方領土を含む対ロ政策は、これからの一年から二年が決定的に重要になります。今から、半年程度は、大統領選挙の準備の後に展開すべき対ロ政策実施のための勉強の期間として、とても重要な次期になります。 以上の領土についての大きな危機と可能性を前にして、この問題に関心をもつ日本人は、それぞれの立場でできることをすべてやるほかないように思いました。政治は政治で、官僚は官僚で、学者は学者で、報道は報道で、オピニオン・リーダーはオピニオン・リーダーで。そのような、複雑な思いをいだいて、学ぶ点の多かった、モスクワから帰ってきました。
(了)

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