ドイツ国際平和村でのボランティア活動報告が届きました

ドイツ国際平和村 研修報告

ドイツ国際平和村 研修報告

写真提供:ドイツ国際平和村

 私たちは、日々の生活の中でどれだけ平和について考える機会があるでしょうか。 日本にいて、メディアを通し世界で起きている内戦やテロの現状を知ることがあっても、日本では想像もできないような光景にあまり実感がわかず、どこか遠い国で起きていることというふうに感じてしまっているかもしれません。しかし、幼い命が戦争の犠牲となっているということ、毎日を安心して暮らすことさえできない国があるということ、ニュースや新聞では感じることも知ることもできなかった現実がまだ世界中にはたくさんあるということを、私は「ドイツ国際平和村」を通して知りました。

 ドイツ国際平和村は、ドイツのオーバーハウゼンというところにある小さな村で、母国では治療のできない怪我や病気を抱えた子どもたちが親元を離れ世界中から集まり、心と体のリハビリを行いながら生活している施設です。現在、アフガニスタン、タジキスタン、ウズベキスタン、キルギス、グルジア、アルメニア、カンボジア、ナイジェリア、アンゴラ、ガンビアなどの国から子どもたちが来ています。とても国際的な村ですが、この村に決して国境などありません。足に障害をもったアフガニスタンの子の車椅子を押してあげるグルジアの子、両腕を失ってしまったアンゴラの子の靴紐を結んであげるタジキスタンの子・・・。ここで暮らす子どもたちは、傷の克復だけでなく、異なる言語や文化、宗教の壁も乗り越えながら、そして助け合いながらたくましく生きています。生きる強さも他人を思いやる心も彼らは強くもっているのです。

 私がこの村の存在を知るきっかけとなったのは、小学2年生の時に見た「世界ウルルン滞在記」という番組でした。この時、当時の自分と変わらない歳の子どもたちが母国を離れ異国の地で治療を受けながら生活しているという現実に、幼いながらも強い衝撃を受けたのを今でも覚えています。そして学生であるうちにここで働きたいと思い1年間の休学を決意しました。

ドイツ国際平和村 研修報告

写真提供:ドイツ国際平和村

 平和村での研修には主に、「子どもたちのお世話」「キッチン」「リハビリセンター」という3つの分野があり、私は2013年7月末から2014年4月1日までの8ヵ月間、「子どもたちのお世話」の分野の中の“小さな子どもたち”を担当する部署で働かせていただきました。仕事内容はたくさんありますが、例えば、決まった時間に決まった子どもたちの体温や尿と便の量を測ったり、赤ちゃんのオムツを替えたり、お風呂に入れてあげたり、歯磨き、食事の準備や補助、宿舎内の掃除、その日病院に行く予定がある子の服を着替えさせて準備をしたり、もちろん子どもたちと楽しく遊ぶこと等もお仕事です。働き手が少ない日は40人近い子どもたちを2〜3人で見ることもありました。他にもこなさなければならない仕事があるので子どもたちから常に目が離せない分なかなか大変でしたが、そんな時も少し大きな子どもたちが喜んでお手伝いをしてくれます。小さい子の靴を履かせたりコートを着せてあげたり、運ぶ物が多い時は「持つよ!」と言ってくれたり、すごく頼りになる優しい子たちばかりで何度も助けられました。

 私が平和村で働いていた頃ちょうど日本では、マララ・ユスフザイさんの「わたしはマララ」という本が出版されました。パキスタンの情勢がリアルに伝えられているとともに、 ”教育の大切さ”を彼女は強く訴えています。実際、平和村で子どもたちと暮らしてみて、“知ることの大切さ”については深く感じさせられました。

 私たちの住む世界には、飛行機でたった数時間、十数時間の場所に、戦車や銃、不発弾の絵をかけるほどそれらを見ている子どもたちがいます。何気ない日常で子どもたちが命の危険に瀕し、また不衛生な環境のせいで骨折などの怪我から骨髄炎を発症し手足の切断を余儀なくされる子どもたちもたくさんいます。貧困や宗教などさまざまな理由で教育の機会から遠ざかってしまった人々は、恵まれない環境に疑問を感じることもなく、それ以外を知らないために、貧しい現状を受け入れて生きている状態です。平和村の子どもたちも、本当の「平和」というものを知るべきです。そして「戦争」「武器」「不衛生な環境」ということに、もっと疑問を抱いてほしいと思います。そのために私たちは、彼らに「平和」を伝えていかなければなりません。私にとって8ヵ月間という短い研修期間でしたが、この村で学び感じたことは数えきれません。まだまだ母親の愛情が必要な子供たち。親元を離れることなく母国で治療を受けることができればどれだけいいだろうか。彼らの国に整った医療施設さえあればきっとそれは可能なのに。

 私は研修期間中、南ドイツにあるUlm(ウルム)という町の大学病院に3日間ほど派遣された際、ある11歳のアフガニスタンの少女に出会いました。彼女は手足ともにひどく負傷し、点滴や痛み止めであろうたくさんの管がうたれていました。それが空になると再び傷が痛むようで、笑顔が印象的な明るい彼女もその時ばかりは看護婦さんが来るまではじっと痛みに耐えていました。想像を絶する痛みなのだろうと思います。しかしそれにもかかわらず彼女は、「痛い」とは泣かずいつも「お母さん」と泣きます。一緒に遊んでいても、ふとした瞬間に母親を思い出すのでしょう。「お母さん」「アフガニスタンに帰りたい」と言って泣きだしてしまうこともありました。

 私はよく、「平和村に来ることができる子どもは恵まれている。」という言葉を耳にすることがあります。治療を受けることさえできない子どもたちがたくさん世界中にはいますから、その子どもたちに比べると確かに幸せなのかもしれません。しかし家族のもとほど安心できる場所が彼らにあるとは思えません。どれだけ辛い環境でも、例え貧しくても彼らは母国を愛しているのです。彼らが安心して家族のもとで暮らしていけることが一番大事で、平和村で活動をしている人々もまた同じ気持ちです。

 人間が血や涙を流す日に終わりがくるようにと願いながら、私はこれからも生きる強さを教えてくれた彼らに自分のできる恩返しをしながら生きていきたいです。

 外国語学部 ドイツ語学科  岡本美早

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