田中 史朗さん(2007年 経営学部卒業)
日本人初のスーパーラグビー選手
ワールドカップ2011/2015日本代表
今のスポーツを始められたきっかけを教えてください。
近所の仲のいいお兄ちゃんがラグビーをやっていたのですが、小学生の頃、遊びでパスを教わったのが初めてですかね。そのお兄ちゃんに、中学生になったらラグビー部に入ってはどうかと薦めてもらって、ラグビーの世界に足を踏み入れた、という感じです。
田中さんが世界を意識し始めたのはいつ頃ですか?
はじめは京都産業大学ラグビー部時代に、ニュージーランドへラグビー留学をさせてもらう機会がありました。実際に世界のレベルを体感して、正直無理だな、と思っていました。しかし、2011年のW杯で日本代表として一勝もできずに帰ってきた時、支えてくれた方たちに対して申し訳ない、という気持ちを強く感じていました。そんな中、パナソニックのコーチから、海外のクラブチームでトップを目指さないか、と声をかけていただいたんです。「日本人でも何かできる」ということを証明したいと考え、挑戦することを決めました。決めてからは、とにかくがむしゃらに練習しましたね。それがスーパーラグビー出場にもつながったと思います。その頃から日本の子どもたちに世界でプレーする姿を観てもらえれば、日本のラグビーも変わるんじゃないか、と思い始めました。
※スーパーラグビー…各国のプロチームが競う世界最高峰のラグビーリーグ。出場は日本人として初の快挙。
なぜ、世界に挑戦しようと思われたのですか?
「罪滅ぼし」ですかね…。2011年のW杯での敗北は、自分にとって特別な経験。あまり試合のことは覚えていなくて、記憶から消し去りたいくらいなのですが、思い出すと今でも悔しい思いだけが込み上げてきます。だからこそ、支えてくれた皆さんに自分が世界で活躍する姿を見せたい、その一心でした。
世界への挑戦に際し、悩みや不安などはありましたか? その不安や悩みはどのようにして乗り越えられましたか?
プレーに対する不安はあまり感じませんでしたが、やはり言葉は不安でしたね。世界に挑戦することになり、とにかく英語を何とかしなければ、ということが悩みでした。
不安の乗り越え方として、私の場合は特別な勉強などはせず、とにかくコミュニケーションを取ることを意識しました。特にお酒の席などで積極的に会話し、一度打ち解けると、名前を呼んでもらえるようになったり、食事に誘ってもらえるようになったりしましたね。そこから自分をサポートしてくれる人が徐々に増え、ラグビーに専念できる環境をつくれたことが大きかったと思います。はじめはプレーでも遠慮していたのですが、自分の意思を持ち、相手に伝えられるようになった時に、チームとしても個人としてもワンステップ強くなった気がします。
ラグビーは特に、プレー面では欧米人と比べて体格差が不利だと言われます。でも自分の生まれた日本という国や家族、仲間に対し、誇りを持って「自分は負けない」という強い信念を持つことが自信につながりました。まさに、“サムライ・スピリッツ”。小さくても世界に通用することを日本にも世界にもアピールしたい、という気持ちでプレーしていましたね。
選手として今後の展望は?
今の目標は、やはり2019年のラグビーW杯。そこまでは日本代表として頑張りたいです。全力でやってダメなら自分でも納得できると思っています。日本のラグビーは企業スポーツなので、ベースは企業に所属してラグビーをする形になりますが、パナソニックはチャレンジに対しての理解とサポートがあり、私の世界への挑戦を認めてもらっています。日本のラグビーシーズンとなる9月~2月はパナソニックの選手としてプレーし、3月~8月は、日本と季節が逆になる南半球でスーパーラグビーに挑戦する、というイメージです。合い間には日本代表の試合もあるので、この6年間は体を休めたり、トレーニングしたりという期間なくプレーを続けています。休んだほうがいいと言ってくれる方もいますが、体が動く限りは、日本のため、自分のためにプレーを磨きたいと思っています。
最後に人生の先輩として、在学生や受験生にメッセージをお願いします。
自分のモットーは、「人生は一度きり」。いろんな局面で迷うことがあると思いますが、後悔しない判断をしてほしいと思います。ミスはあると思いますが、間違っていたとしても、自分が下した判断を悔やむのではなく、胸を張って受け入れることができる人生を送ってほしいですね。人生楽しいほうが幸せだし、ミスや間違いをどう捉えるかという気持ちの問題だと思います。マイナスをプラスにできる人になってほしいです。
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山田 幸代さん(2005年 経営学部卒業)
日本人初のプロラクロス選手
ワールドカップ2005日本代表/ワールドカップ2017オーストラリア代表
山田さんが世界を意識し始めたのはいつ頃ですか?
私は大学に入ってからラクロスを始めましたが、幸いなことに2年次(2002年)には日本代表に選出いただくことができました。代表メンバーとしてアメリカと初めて試合をして、心底「楽しい!」と感じました。その時「もっと上を目指そう」と思えたのが世界を意識した瞬間だったのかもしれません。
そこからは2005年のW杯で日本代表に入り、出場することを自分の中で目標に設定し、練習を重ねました。プラン通りW杯に出場はできたのですが、結果が残せず、自分の弱い部分を痛感することになりました。
この時私は社会人1年目でしたから、仕事の傍ら選手としてプレーしながら、ラクロスの普及に向けた活動も行っていました。ある方から、ラクロスにもプロ選手がいた方が子どもたちの目標になるんじゃないか、と助言いただことをきっかけに、企業と2年間のスポンサード契約を結び、オーストラリアでプロ選手を目指す機会をいただくことになりました。
なぜ、世界に挑戦しようと思われたのですか?
まず1つ目の理由は、プレイヤーとして自分の眼でトップレベルを見たかったから。感じたことを日本に持ち帰り、日本を世界に通用するチームにしたい、という想いがありました。世界でトップ選手になれば、子どもたちも見てくれるだろうと。
2つ目の理由は、ラクロス強豪国であるオーストラリアの普及の仕方を学びたかったから。アメリカが大学を中心に選手層を拡げていくやり方だったのに対して、オーストラリアは普及の仕方が全く違っていて、Jリーグのように組織化されているので、日本も学ぶところは多いだろうと考えました。
世界への挑戦に際し、悩みや不安などはありましたか?
実は英語力は「ハロー」と「サンキュー」が言えるくらいの状態でした。正直、オーストラリアに飛び込んでしまえば、何とかなると思っていましたので、あまり不安を感じることはありませんでした。しかし、そう都合よくいくことばかりでないことに気づかされました。これまでは勉強でも可能な限り英語を避けてきましたが、とうとう本気で英語を勉強しないといけない時が来たな、と。越えないといけないものがある、と気づけたのは新しい環境に身を置いたからでしょうね。ラッキーでした。
海外では、やはり生活習慣の違いには悩まされました。Noと言えずに八方美人でいると、新しい環境に調和していくのが難しい。海外では自分を持っていない人には魅力がない、ということにも気づきました。
その不安や悩みはどのようにして乗り越えられましたか?
英語に関しては、腹をくくって本気で勉強すると、不思議と「なぜだろう」というクエスチョンがたくさん生まれて、どんどん興味が湧いてくるんです。それを自分で解読しながら答えを出すことの楽しさ、難しさに触れることができました。ただし、人にはいろいろなタイプがあって、一度やってみないとわからない人、事前に準備をしっかりする人、自分にはどのやり方が向いているかしっかり考え、冷静に自分に問うてから、新しい世界に飛び込むのがよいと思います。
生活習慣に関しては、オーストラリアではメンバーで練習前の時間の使い方が全く違いました。例えば、8時から練習スタートだとすると、私の場合は30分前にはグラウンドに入り、入念にウォーミングアップを行って練習を迎えるのが普通でしたが、チームメイトは車で10分の練習場所へ行くのに15分前から支度を始める。私は早くグラウンドに行きたいので、30分以上前から待っている状態。そこで私は、みんなの時間の使い方に合うように、家でできることを先に済ませておくなど、自分に必要な準備を分析して時間配分を工夫しましたね。言葉に自信もなかったので、周りを変えるより、自分を変えるほうが早かった。するといつの間にか、チームが私に合わせてくれるように変わっていってくれたので、自分が変わることで周りが変わることもあるんだな、と自分から一歩踏み出すことの大切さを学びました。
選手として今後の展望は?
プレイヤーとしては、オーストラリアであと数年プレーしてほしいとオファーをいただいたので、プレーを続けます。でも年齢的なことも考えて、指導者としての経験も積んでいくつもりです。2028年のオリンピック種目の候補としてラクロスが挙がっているので、その時に指導者として日本を強くするという目標に向けて、指導者としてのスキルアップにシフトしたいと考えています。今後シーズン中はオーストラリアでプレーをしますが、オフの間は日本でコーチングを行いながら、具体的には指導者としての上級ライセンス取得をめざします。普及に関しても、年2回のイベントを軸に、引き続き積極的に活動していきたいですね。
最後に人生の先輩として、在学生や受験生にメッセージをお願いします。
とにかく、恐れずチャレンジしてみること。知らないことを知るって楽しいんです。自分を分析した上で、知ることを楽しんでほしいですね。失敗してもいいので、答えが出る前にやめないでほしいと思います。チャレンジできる環境があることが幸せと感じて、新しい世界に飛び込んでみてください。
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平野 佳寿さん(2006年 経営学部卒業)
メジャーリーガー
オリックス・バファローズ(2006~2017年)
今回は日程の都合が合わず、残念ながら平野さんへのインタビューは実現しませんでしたが、今年から34歳でメジャーリーグに挑む平野さんについてお聞きしました。
田中さん、山田さんからみた平野さんとは
田中さん
大学時代に、一度ジムでトレーニングしている時に声をかけていただいたことがあるんです。周りに気づかいのできる、優しい方という印象でした。
同じ大学でスポーツをやっていた者として、オリックス・バファローズ時代、また日本代表としてのご活躍を誇りに思っていました。今回メジャーリーグという、世界が注目する最高峰の場でプレーされる姿を拝見できることをとても楽しみにしています。日本の活力にもつながりますし、我々のような他のスポーツをやっている人間にとっても「自分も負けられない」と励みになりますね。きっと結果を残していただけるものと期待しています。
山田さん
34歳という年齢で世界にチャレンジすると決めたことが、まずすばらしいと思います。自分の可能性にチャレンジしたいと思って、その環境があることがとても幸せなことだと本人も言っていました。誰もが行きたくて行けるところではないですよね。もちろん応援したいし、同志として誇りに思います。
平野くんは学生時代から人に慕われるタイプでした。彼のことを悪く言う人は誰もいなかった。人のことを思いやり、自分が大事に思うことの優先順位をしっかり持っている、という印象でした。人を大事にする、常に人に対して感謝の心を忘れない。だから、周りの人が彼のことを応援したくなるんでしょうね。平野くんのチャレンジは、みんなのチャレンジになる。そう思います。
※掲載内容は取材当時のものです。