2023.07.14

特集

【後編】「表現の力で世界を良くしたい」報道カメラマン川﨑 敬也さんに独占インタビュー

インタビュー中の川﨑さん

前編に続き、日本放送協会(NHK)の報道カメラマン・ディレクターとして働く川﨑 敬也(かわさき・たかや)さんを紹介します。後編となる今回は、講演会後に実施した学生広報スタッフによるインタビューの様子を紹介します。

▼前編の記事はこちらから!
【前編】報道カメラマンとして活躍する卒業生・川﨑 敬也さん。自身のキャリアについて語る講演会をレポート

プロフィール

かわさき・たかや 1975年生まれ
1999年に本学法学部法律学科を卒業後、ベンチャー企業や英字新聞社で勤務。2005年にフルブライト奨学金を獲得し、ニューヨーク大学大学院でジャーナリズムを学ぶ。帰国後の2007年に日本放送協会 (NHK)に入局し、NHK報道局のチーフカメラマン/ディレクターとして数々のニュースやドキュメンタリーを手掛ける。代表作はギャラクシー賞を受賞した日航機123便墜落事故30年の番組や、故・大林 宣彦 監督に長期密着したドキュメンタリーなど多数。現在は映画制作を学ぶため、2度目となるフルブライト奨学金を獲得してボストンのエマーソン大学大学院に留学予定。大学在学中からシンガーソングライターとしても活動している。

学生時代に経験しておいてよかったことはありますか?

映画を撮ったことと世界を旅したことです。映画制作では仲間と共に「これ以上はできない」というところまで映画制作に打ち込むことができ、自信につながったと思います。
旅では、多くの気付きがありました。旅行中に夕日を見て「こんな綺麗な夕日は見たことがない」と感じましたが、帰国後に大阪の実家で犬の散歩をしていたときに見た夕日が、旅先で見たものと同じようにきれいでした。身近にあるもののありがたさに気付いた経験でした。

今の仕事につながった在学中の経験はありますか?

直接的、間接的にすべてつながっていると思います。学生時代に旅をしていた頃と今で大きく違うのは、発信する手段を得たこと。学生のうちは体験を自分の中に留めることしかできず、どうアウトプットするかを考え続けていました。今はジャーナリズムという表現手段を通じて、感じたことや見たものを作品や番組で発信することができます。学生時代の体験が自分の中で熟成され、今日につながったのではないかと思います。

映画を撮りながら、シンガーソングライターとしても活動し始めたきっかけは何ですか?

自主制作映画につける音楽を友達が作曲してくれていて、詞が書けないというので即興で書いて渡したら喜ばれたのがきっかけです。最初は鼻歌で、次にコード進行を学んで作詞作曲を始め、歌を気に入ってくれる人も出てきて、本格的に活動するようになりました。
ニューヨークのアポロシアターで歌ったことも大きな体験です。「ニューヨークに行くなら、アポロシアターで歌ってみるといいよ」と旅先で出会った音楽関係者に勧められ、マイケル・ジャクソンやスティーヴィー・ワンダー、ローリン・ヒルなど世界的なアーティストを輩出してきたプロへの登竜門“アマチュアナイト”に参加しました。無名の人でもチャンスが得られる代わりに、観客の評価次第では途中で容赦ないブーイングを浴びせられ、ステージから引きずり降ろされるという厳しい舞台です。当初はギターで英語のカバー曲を歌うつもりでしたが、上手い人たちが次々降ろされているのを見て「半端なパフォーマンスではだめだ」と悟り、思い切って日本語のオリジナル曲を歌いました。すると途中で手拍子が起こり、バンドも入ってきて、最後まで歌いきることができました。テレビ放送もされていて、帰りの地下鉄でも「さっき聴いてたよ、とてもよかったよ」と話しかけられ、嬉しかったです。国境や言葉を超えて歌が伝わったのだと強く実感しました。映画は年齢を重ねて社会を見る目がついてからでも面白いものが撮れそうですが、音楽はフィジカルなトレーニングが必要なので、20代から始めないと続かないと考えたことも活動を始めた理由の一つです。
 
1998年3月世界一周の旅の果て、ニューヨーク・アポロシアターのアマチュアナイトに飛び入り参加。

卒業後と今で、歌で表現する内容は変わりましたか。

大学の頃は好きな人のことなどを歌うことが多かったですが、今は妻も子もいるので家族のこと、それから社会を見つめていて感じたこと、発想したことが題材になっています。今度出すアルバムのタイトルは『400年の約束』。故・大林 宣彦 監督にいただいたメッセージから着想を得ました。これからも自分にしかできないことをやっていきたいです。
川﨑 敬也さんの渡米直前ライブ(7月17日)

さまざまな職場で働く中で、スキル以外に学んだことはありますか?

ベンチャー企業時代、社長に言われた「先輩に聞くな、分からないことは外に聞け」という言葉が印象に残っています。「社内の先輩に聞くうちはその先輩を超えられない。また会社としても成長できない」という意味です。
留学後に入局したNHKでは、ジャーナリズムスクール出身で頭でっかちな部分もあったかもしれません。しかしどんな経歴も、報道カメラマンは「なんだかんだ言っても、容疑者の顔が撮れてないじゃないか」と言われたら意味がない。言い訳や撮り直しのきかない環境で成長することができました。

ニューヨークの大学院で得たことはありますか?

自分はカメラワークが下手だと思っていたので、将来はディレクターになって撮影は誰かに任せるのだろうと思っていました。しかし課題作品を作っていると、院生の間で誰がどの映像を撮ったのか自然と分かるようになってきます。CM業界出身で映像はきれいだけどどこか冷たい印象を受ける人、カメラワークは下手だけどいい笑顔を撮ってくる人。いろいろな個性がある中で、「敬也はどうしていつもそんな距離感で、相手の素の姿が撮れるんだ?」と聞かれて、自分は被写体との距離を縮めるのが得意なのかもしれないと気付きました。そして、映像には撮る人の人間性や相手との関係性が如実に反映される。だから、うまい下手ではなく、きっと自分にしか撮れない映像がある。だからこそドキュメンタリーは自分でカメラを回して撮るべきだと気付いたから、今があるといえます。
2007年5月ニューヨーク大学大学院学位授与式、ジャーナリズム学部の仲間とともに

米国と日本のジャーナリズムの違いについて教えてください。

アメリカのメディア業界で働いた経験がないので明確には分かりませんが、例えばアメリカではドキュメンタリー番組制作のフィールドにおいて力のある映像作家が放送局に企画を売り込んで予算をとり、番組を制作する流れが主流です。一方、日本の場合はテレビ局の力がとても大きく、テレビ局に入らないと自分が提案した番組を放送することは至難の業です。NHKに入局して、「自分で番組の提案ができるなんて、なんて恵まれた職業なのだろう。だからこそ何を伝えるか、ジャーナリストとしての責務が問われている」と強く感じました。

奨学金をたゆまぬ努力で掴み取った川﨑さんにお聞きします。私にも夢があるのですが、夢を叶えたあと目標を失うのが怖いです。川﨑さんはそんな風に感じたことはありますか。

夢が叶ったことはまだないんです。今回の奨学金もあくまで夢を叶えるプロセスに過ぎないと思っています。自分の夢はもっと大きくて、シンプルにいえば「表現の力で世界を良くしたい」ということ。今回大学院で映画を学ぶために、奨学金を託してもらえたのも、川﨑 敬也という人間の掲げる目標に実現可能性を感じてもらえたからこそではないでしょうか。だからこそ余計に「叶えなくては」と思うし、プレッシャーはありますが、大きな夢を持つと中間地点の苦労をあまり感じないということはいえるかもしれません。

世界を旅して多くの疑問に出会い、大学を卒業したあとも学び続けてきた川﨑さんのお話はとても刺激的で、やりたいことを突き詰める生き方に感銘を受けました。この記事が皆さんにとって、本当にやりたいことを見つめ直すきっかけになればうれしいです。
 
 
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