【国際関係学部】戦後79年 ヒロシマからのメッセージ~心に平和を~
2024.08.09
国際関係学部の専門教育科目「平和構築論Ⅰ」(担当:クロス 京子 教授)は平和構築政策を学ぶ上で不可欠な現代紛争の実態とその要因を学ぶことを目的として開講しています。今回は広島原爆の語り部活動をされている近藤 紘子 氏をお招きして、原子爆弾の被爆者であるご自身の半生を講演いただきました。
(学生ライター 法学部2年次 中尾 柚葉)

近藤 紘子 氏のプロフィール
1944年11月20日に広島県で生まれる。生後8か月で爆心地から1.1㎞の場所で被爆。1963年に桜美林学園高等部を卒業後、アメリカに留学 牧師であった父の平和への思いを引き継ぎ、現在は国内外で講演活動を行っており、原爆を投下したエノラ・ゲイの副操縦士との出会いやアメリカへの留学経験を通じて、核兵器廃絶と戦争の悲惨さを訴えている。
1944年11月20日に広島県で生まれる。生後8か月で爆心地から1.1㎞の場所で被爆。1963年に桜美林学園高等部を卒業後、アメリカに留学 牧師であった父の平和への思いを引き継ぎ、現在は国内外で講演活動を行っており、原爆を投下したエノラ・ゲイの副操縦士との出会いやアメリカへの留学経験を通じて、核兵器廃絶と戦争の悲惨さを訴えている。
1945年8月6日生後8か月で被爆

広島に原爆が投下された1945年8月6日、近藤氏はわずか生後8か月で母と共に被爆しました。爆心地から1.1㎞の場所に住んでいましたが、奇跡的に助かりました。近藤 氏は牧師の娘ということもあり、幼少期から女性や子どもと接する機会が多かったそうです。親のいない子どもや原爆の影響で顔などにやけどを負った女性らを見ると悲しみと怒りが溢れ、原爆を落とした人を憎むようになりました。
憎むべきは「戦争」そのもの

近藤 氏が10歳のとき、父の谷本 清 氏がアメリカの「This is Your Life」というテレビ番組に出演することになり共に渡米し、そこで広島に原爆を投下したB29「エノラ・ゲイ」の副操縦士であったロバート・A・ルイス氏と対面しました。近藤 氏は怒り、憎しみを表現するために彼を睨んでいたそうです。「エノラ・ゲイ」は原爆を投下した後、急いで上空を去り、その後被害状況を確認するためにもう一度爆心地上空に戻りましたが広島は消えていました。その凄惨な光景を目の当たりにし、ロバート・A・ルイス氏はノートに「神様、われわれは何をしてしまったのか」とメモをしたことを告白しました。近藤 氏が憎しみを込めて睨んでいた彼の目からは涙が流れており、その様子を見て近藤 氏は原爆を投下したアメリカ人に対し怒りや憎しみを抱くことが正しいと思っていたのは間違いで「憎むべきものは原爆を投下した人ではなく、戦争そのものである」と気づいたそうです。
核兵器廃絶に向けた思いを共有

アメリカのジャーナリスト、ジョン・ハーシーが原爆投下直後の広島市での取材をまとめた史上初の原爆被害記録「ヒロシマ」にも近藤 氏は父、谷本 清 氏と共に登場しています。「ヒロシマ」は雑誌に連載として掲載される予定でしたが、アメリカ政府に非難された場合、連載が打ち切られる可能性があったため、雑誌『ザ・ニューヨーカー』に一度に掲載されたそうです。「ヒロシマ」は世界的に大きな反響を呼び、谷本 氏が米国で原爆被害の実態を語るきっかけとなりました。
今から約6年前にジョン・ハーシーの孫、キャノン氏が広島を訪問した際、近藤氏にある物をプレゼントしてくれました。それは近藤 氏の父からジョン・ハーシーに向けられた、8ページにわたる手紙でした。2人は情報統制下であっても核兵器廃絶に向け思いを同じくし、友情を育んでいました。その思いは孫のキャノン氏にも受け継がれています。
今から約6年前にジョン・ハーシーの孫、キャノン氏が広島を訪問した際、近藤氏にある物をプレゼントしてくれました。それは近藤 氏の父からジョン・ハーシーに向けられた、8ページにわたる手紙でした。2人は情報統制下であっても核兵器廃絶に向け思いを同じくし、友情を育んでいました。その思いは孫のキャノン氏にも受け継がれています。
2016年当時アメリカ合衆国大統領であったオバマ氏が広島を訪問
時は流れ、2016年にオバマ氏が現職のアメリカ大統領として初めて被爆地である広島を訪問しました。その際行われた演説の中で「われわれはヒバクシャのこうした話を知っている。原爆を落とした爆撃機のパイロットを許した女性がいる。本当に憎むべきは戦争自体だったと分かったためだ。」と述べていました。公式での発表はありませんが、これは近藤氏のことを指していたと推測できます。
近藤 氏はさまざまな場所で講演を行っていますが小学校6年生に向けて講演を行った際男子生徒から、「友達とけんかになりついカッとなって手を上げてしまいそうになった時には近藤さんの顔を思い出し、相手を許そうと思います。」と感想を述べたエピソードが心に残りました。また、受講した学生からは「憎むべきものは戦争そのものだ」という話が特に印象に残ったという感想がありました。
私は高校生の時に何度か被爆者の方のお話を聞く機会があり、どのような生活をしていたか、どのような気持ちだったかは人それぞれだと感じます。私たち学生が大学内で平和や戦争について学べる機会は少ないですが、まず知ることが重要であり、そこから自分事として考えていくことが私たち学生にできることだと思いました。
私は高校生の時に何度か被爆者の方のお話を聞く機会があり、どのような生活をしていたか、どのような気持ちだったかは人それぞれだと感じます。私たち学生が大学内で平和や戦争について学べる機会は少ないですが、まず知ることが重要であり、そこから自分事として考えていくことが私たち学生にできることだと思いました。