2021.05.31
カルチャー京都三大祭り「葵祭」について知ろう!例年、輿丁役(よちょうやく)として参加する文化学部京都文化学科・笹部ゼミにインタビュー!

「葵祭(あおいまつり)」は、毎年5月に上賀茂神社と下鴨神社で執り行われる例祭で、平安装束の行列が市内を練り歩く光景は、例年テレビでも報道される京都の風物詩です。上賀茂神社(正式名は賀茂別雷神社:かもわけいかづちじんじゃ)の御祭神の祖神様(おやがみさま)を祀るのが下鴨神社(賀茂御祖神社:かもみおやじんじゃ)で、両社は深い関係があります。
例年、行列には京都産業大学の学生も参加しています。残念ながら昨年と今年は行列が中止となりましたが、その雰囲気を感じられるように、2019年の葵祭の行列に参加した笹部ゼミの学生から体験談を聞きました!
1500年もの歴史がある葵祭

京都三大祭といえば、5月の葵祭、7月の祇園祭、10月の時代祭ですが、なかでも毎年5月15日に行われる葵祭は、最も由緒ある祭礼です。正式には「賀茂祭(かもさい)」といいますが、江戸時代より葵祭の名で呼ばれ、参加者全員がアオイとカツラの飾りを身に着けることでも知られています。
葵祭は、欽明天皇の御代(540~571年)に賀茂の神の祟(たた)りをおさめようと、4月の吉日に馬に鈴を付けて走らせ、祈ったのが始まりとされています。その後819年、嵯峨天皇の時代に宮廷に取り入れられ、地域の氏神様の祭が、宮中祭祀となりました。
その後、室町時代以降は次第に衰徴(すいび)し、室町時代の応仁の乱をきっかけに朝廷との関係は絶たれました。江戸時代になり、5代将軍、徳川綱吉は、初代将軍の徳川家康が上賀茂神社に求めた葵使について関心を持ち、貞享3年(1685年)5月、上賀茂社に対して、御所に葵を遣わすことの由来や、葵献上によって如何なる災難、悪事が避けられるか、などを質問しました。このような綱吉の葵に対する関心の高さも、賀茂祭において葵を重視し、儀式に定着させる形となりました。元禄7年(1694年)、霊元天皇により賀茂祭の再興がなされ、再び宮廷祭祀として復興し明治維新でまた中断されたものの、明治16年(1883年)に岩倉具視(ともみ)の京都復興策で再びよみがえり、現代に近い形での祭が復興します。
このように葵祭は、時の政治の影響で紆余曲折を経つつ、なんと1500年も前から現代に継承されているのです。
新緑を背景に王朝絵巻の行列が進む
さて、葵祭の一番の見どころは、何といっても新緑の風景の中を進む平安装束の行列です。これは「路頭の儀(ろとうのぎ)」と呼ばれ、京都御所を出発した行列が、下鴨神社を経て、加茂街道を通って上賀茂神社に至るもの。両社ではそれぞれ「社頭の儀(しゃとうのぎ)」と呼ばれる儀式が行われ、天皇の使いである勅使(ちょくし)により御供物が奉納されます。
祭の本来の主役はこの勅使ですが、現在は、きらびやかな十二単(じゅうにひとえ)の衣装を身に着けた斎王代(さいおうだい)が、祭のヒロインとして最も脚光を浴びています。かつて天皇の息女(内親王・女王)が務め、祭に奉仕していた「斎王」の制がなくなり、斎王の代理という役柄で、昭和31年(1956年)に斎王代が行列に加わりました。斎王代には毎年、京都ゆかりの未婚女性が選ばれて奉仕します。
葵祭の当日は京都市の交通も規制されて、市内は祭の緊張感が高まります。京都御所を出た行列は、京都府警の平安騎馬隊の先導のもと、本列(乗尻、検非違使志、検非違使尉、山城使、御幣櫃、内蔵寮史生、馬寮使、牛車、御馬、和琴、舞人、陪従、内蔵使、勅使、牽馬、風流傘)、斎王代列(命婦、女嬬、采女、斎王代)と続き、36頭の馬、4頭の牛、500余名の人が、王朝絵巻さながらに8キロの道のりを進みます。
斎王代の乗る御腰輿(およよ)を8人で担ぎ上げる
京都産業大学 文化学部京都文化学科の笹部昌利ゼミでは、2016年から、毎年8人の男子学生が、この葵祭に参加しています。その役どころは、葵祭のヒロインである斎王代の乗る御腰輿(およよ)を担ぐ輿丁役(よちょうやく)です。
「腰輿」とは、長柄に紐(ひも)を結んで肩からかけ手で腰に支える乗物のこと。(※現在、腰輿は肩の高さまで担ぎ上げられます。)普通は「ようよ」と読みますが、葵祭の斎王代の乗り物は、「御腰輿」(およよ)と呼ばれ中世以来、宮中で使われた言葉(御所ことば)と考えられています。
昨年、今年と新型コロナウイルス感染予防のため行列は中止になりましたが、一昨年、この輿丁役で参加した平尾直正さん(4年次生)に話を聞くことができました。平尾さんは「ずっと見物される方々から注目されているので緊張します。暑い中を平安装束で歩くのは大変でしたが、伝統のある行事に参加できて楽しかったです」と話します。

何しろ斎王代は最も注目を浴びる存在。その御輿、腰輿を担ぐ男子八人衆が輿丁役ですから、参道の観衆の視線だけでなく、テレビ局や新聞社もシャッターチャンスを狙います。「見られていると思うと緊張し、背筋が伸びる気持ちですね。歴史ある祭に参加しているのだという意識を持つことも、大事だなと思いました」と平尾さん。
そのタイムスケジュールを聞いてみると……。「当日は朝7時40分に京都御所に集合し、衣装を着せてもらいますが、衣装を着るのはこの時が初めてで、まさにぶっつけ本番です。白い袴(はかま)をはき、上半身は黄色の布衣(ほい)を着て、足は足袋(たび)に藁沓(わらぐつ)です。

10時半に出発し、最初の目的地である下鴨神社には1時間ちょっとで着きます。そこで私たちは休憩となり、午後2時半過ぎにまた出発。約1時間かけて上賀茂神社に到着したら御役御免となります」と、平尾さんは教えてくれました。
なかなか大変な1日のようです。横で聞いていた笹部先生が、「斎王代の乗った輿を8人で担いで台車に乗せるのが、最も緊張する瞬間だよね」と付け加えます。
え? 斎王代が乗った状態の輿を、学生たちが担いで台車に乗せるのですか?
「そうなんです。出発時と、下鴨神社での乗り降り、上賀茂神社で降りるときの合計4回、斎王代さんを乗せた輿を8人で息を合わせて、「えいっ」と担いで台車に乗せたり、降ろしたりするのです。失敗は許されず、最も緊張する瞬間です」と笹部先生。 平尾さんも「気持ちを一つにしてやらないといけないので、先輩方に交じって頑張りました」。京都産業大学の学生8人が、葵祭のそんな重要な役目を担っていたとは驚きです。

