中東・アラブ世界は、もはや「遠い世界」ではない。衛星放送の普及やデジタル技術の進展を通じて、その存在感は国際政治の中で急速に可視化されてきた。千葉悠志准教授は、メディアの所有構造と政治的力学、さらにイスラームとテクノロジーの相互作用に着目し、変動する中東の実像を読み解く。
身近になった中東
——— 日本人にとって、中東は長らく“遠い世界”でした
戦後の日本で最初に中東地域に関心が向いたのは 70年代のオイルショック時で、「中東で何が起きているのか」を知る必要が高まりました。当時の中東研究は、中東戦争(アラブ・イスラエル戦争)の影響もあり、宗教よりも民族主義や反帝国主義、社会主義といったテーマが主流でしたが、79年のイラン革命などを経てイスラームを政治や経済と絡めて、もう少し広く理解していこうという研究の流れができました。
そして、やはり 01年9月 11日の同時多発テロの影響が大きいですね。冷戦が終わってアメリカ一極支配の資本主義や民主化が世界に広がっていく、と思われた時期にあの事件が起きた。さらに 03年のイラク戦争でアメリカが泥沼に入り込み、過激派の脅威が中東を越えて世界各地で強調されるようになるのもこの頃からでした。
もっとも当時の私はぼんやりした高校生で、映画鑑賞のような気分で飛行機がビルに突入するシーンを見ていました。大学での専攻は経済学で、あまり真面目な学生ではなかったのですが、経済以外の本を色々と読むなかで次第に、政治思想やイデオロギーといった、数字では見えにくいものに興味を抱くようになりました。中東を中心に国際秩序の構造が転換していくのを目の当たりにし、「中東・イスラームとは何なのか」をもっと深く知りたくなって、大学院に進学して中東地域の研究を始めました。
誰がメディアを“所有”するのか
——— メディアを研究対象に選んだのは?
「どうすれば中東地域がクリアに見えるか」と考えたとき、メディアという切り口が非常に面白いと感じました。メディアは、特に意識しなければ、情報を運ぶだけの透明な媒体ですが、目を凝らすと、社会的な構築物であることが見えてきます。「メディアはメッセージ」という言葉がありますが、まずはメディア自体をよく分析しなくてはいけないぞと思ったんです。
——— アラブ地域は衛星放送が普及しているイメージが強いです。
はい。世界で最も衛星放送の普及率が高い地域です。これは、現地の政治や言語の構造が深く関係しています。80年代まで、多くの国の放送は地上波に限られ、特にテレビは国家が厳しく管理していて、政府に不都合な情報は流れにくかったのです。
しかし90年代に入ると、湾岸戦争を機にアラビア語の衛星放送局が現れ、堰を切ったように増えていきました。電波は空から降って来ますから、アンテナさえ設置すれば、ニュースだけでなく、ドラマ、スポーツ、バラエティなど数百チャンネルが無料で視聴できる――人々の娯楽として非常に魅力的だったんですね。ケーブルテレビのようなインフラのコストもかかりません。当初はアンテナも高価でしたが、今では安いものだと2、3千円で買えます。
——— 衛星放送といえばアルジャジーラの存在感が大きいですね。
アルジャジーラはカタールのメディア企業で、設立したのは同国のハマド前首長1です。95年に首長に就任した当初は権力基盤が盤石ではなく、他国への牽制の手段として、また自らの正統性をアピールするためには国際的な存在感を高める必要があると考え、衛星放送事業を積極的に推進しました。
その背景には湾岸戦争があります。90~91年にイラクがクウェートに侵攻した際、クウェート政府は国際的に情報発信する手段を持っていなかったので、CNNやBBCといった欧米の報道に頼らざるを得なかった。その様子を近くで見ていたカタールだからこそ、「自分たちの声を世界に届けるメディアが必要だ」と痛感したのです。
——— 衛星放送は報道の自由の幅を広めたのでしょうか?
そう単純ではありません。「ソ連崩壊時の“情報公開 ”が民主化をもたらした」という言説の延長線上で、衛星放送も「民主化メディア」の一種と捉えられがちですが、実際には国家の影響力が国境を越えるようになっただけで、統制の構造はそのまま維持されている場合が多いのです。
人文社会科学的な観点でメディアの普及を考える場合には、量的な視点だけでなく、「どう地域に根付くか」「なぜそうしたかたちであるのか」といった質的な視点も必要です。中東地域で衛星放送が爆発的に普及したのは、政治・経済・宗教など現地の事情が複雑に絡み合った結果です。
特に重要なのは「誰がメディアを所有するのか」という点です。中東の大手メディアは国家や資本家が主な出資者で、パトロンとクライアントの構図が明白なんです。アルジャジーラが他国に遠慮せず報道するのも、報道の自由を重視しているからというより、カタールが周辺国との関係を考えた時に、「民衆や欧米の世論を味方につける方が得策だ」と、政治経済的な文脈で算段を巡らせているからです。
中東を見ていると、メディアの客観性や中立性もまた政治的な産物に過ぎないと強く感じます。だからこそここでは、建前のない、メディアの本質的な部分を見ることができるのです。
イスラームとデジタル・テクノロジー
——— 宗教的に厳格なイスラーム社会で、新たなテクノロジーはどのように受け入れられるのでしょうか?
まさにそこが面白いところですね。最近はどの局もSNSに力を入れていて、AIやメタバースなどデジタル領域の競争も激化しています。
新しいテクノロジーがイスラーム社会に入ってくると、特徴的な反応が二つ見られます。一つはそのテクノロジーを「イスラーム的に正しいか」「教えに反しないか」と問いながら吟味する反応で、過去の宗教的言説を参照しながら議論を積み重ねます。画像や動画は偶像崇拝に当たらないか――かつて映画が登場したとき、偶像崇拝批判が強く起こってもよさそうでしたが、実際にはそれまでに「写真」に関する宗教的議論が既に蓄積されていたため、映画も比較的スムーズに受け入れられました。このように、既存の宗教的解釈が新テクノロジーの受容を準備することがあります。
もう一つは、イスラームの目的に合わせてテクノロジーを「作り変える」ことです。宗教実践に関わるアプリ――祈りの時刻の通知やクルアーン(コーラン)学習など――は既に広く使われていて、これはテクノロジーをイスラーム的価値に沿うよう再構築する試みと言えます。
つまり、イスラーム世界では「テクノロジーをイスラームに合わせる」のと「イスラームをテクノロジーに合わせる」という双方向の調整が起きているのです。
——— なんだか都合よく解釈しているだけにも思えますが……(笑)。
その疑問はもっともです。ただ、イスラームの規範を「足かせ」と見るか、「ガードレール」と見るかで理解が変わります。どの社会にも明文化されていない規範があり、イスラーム社会では、その規範が宗教というかたちで明確に語られる。当人たちにとっての「ガードレール」が、外部からは「足かせ」に見えることもあります。ただし、ガードレールも固定的ではなく、解釈も柔軟に変化します。踏み外してはいけない部分はあるものの、常に議論と調整が行われています。イスラーム=厳格で不変というイメージは、外部から見た単純化に過ぎません。
- ハマド・ビン・ハリーファ・アール=サーニー:カタール前首長(在1995〜2013)。小国カタールを国際的影響力の大きい国へと変えた「名君」として認識されている。
制作:京都産業大学研究機構研究推進センター
神山Research Profile製作チーム
聞き手:神谷俊郎(URA)
編集:新開絵梨佳
2026/06 ウェブ公開












