ミュージカルはオモシロイ?
——— ミュージカルとの出会いは?
子供の頃はミュージカルが大好きで、親に連れられていろいろ観ました。『美女と野獣』『オペラ座の怪人』が流行っていた頃で、素直に、ミュージカル面白い、一緒にやってみたい、と思っていたのですが……。
宝塚歌劇団の『ベルサイユのばら』を観ていたとき。主役の男女役2人が〝 今宵一夜あなたの妻に♪〞 と歌いながら、EXILEの「Choo Choo TRAIN」のような動きで見つめ合っているのを見て、「ん?なんかオモシロイな」と。近くに座っていた子供も「ママあれ何やってんの?」「しっ!」と叱られていて、笑うに笑えず困ったことがありました。
次は、ユリウス・カエサルを扱ったミュージカル『暁のローマ』を観ていたとき。宝塚作品は暴力・グロテスク描写禁止なので、おかげでカエサルも最後は裏切られないんです。ラストは皆が出てきて、カエサルも偉い、ブルータスも偉い、ラララ愛してるって歌って終わった。もうコメディだと思うのですが、誰も笑わない。「これはヤバいかも」というところから、「いや、真面目に観ればこれはこれで非常に面白いんじゃないか」と考えるようになりました。
——— 突然歌い出すとか踊るとか、違和感のある人もいるようですが、そういうところに面白さを見出した、と。
そうした子供期の体験もあり、また学部でドイツ語を学んでいたこともあって、ドイツ語ミュージカルの研究は将来性がありそうだと踏んで、現代ドイツ演劇の専門家のいる大学院に進学しました。

日本の当時の演劇学は美学的な研究が主流で、ミュージカルのような「商業」演劇の研究は、学会でもろくに相手にしてもらえませんでしたが、ドイツ語圏のオーストリアではミュージカル研究のたしかな蓄積があることがわかり、奨学金を取って、自力で受入れ教員を探して、1年間ウィーンの研究所に滞在しました。その時学んだのが《芸術社会学》です。芸術が社会にとってどういう価値があるのかを研究する学問ですが、ウィーンでは、文化政策と深くかかわっている同地の芸術活動の研究に特化しています。私はこのウィーンの芸術社会学の考え方がミュージカル研究に使えることに気づきました。
コピーを楽しむか、アレンジを味わうか
——— ミュージカルといえばアメリカが本場ですが、オーストリアではどのような位置づけなのでしょうか?
ヨーロッパでは19世紀から、オペレッタなど音楽劇が盛んに演じられていました。各地の公演は現地プロデューサーの裁量に大きく委ねられていたので、巡業の先々で作品が大きくアレンジされることもありました。
しかし、1980年代にアメリカで「ミュージカルのフランチャイズ化」が起こります。たとえば、ディズニーが『アラジン』を作ったら全く同じものを世界各地で上演し、ロイヤリティを上納させるシステムです。コスパも優れているし、オペラみたいに予習しなくていい。子供も観ることができる手軽さ・身近さもあって、一気にミュージカル観劇の敷居を下げました。
すると今度はオーストリアあたりから批判が出てきます。オーストリアは戦後の連合国占領期に、アメリカが文化的な政治宣伝としてミュージカルを利用した経緯がありますから、「コピーなんて芸術じゃない、我々がやっているのが芸術だ」という反発が出てきます。一方でミュージカルの商業性を経済発展に活用したい思惑もあり、文化政策としてのミュージカルを作るようになったのです。
——— 文化政策としてのミュージカルとはどういうものですか?
オーストリアは公立劇場が多く、国や地方自治体の予算を使って、伝統あるオペラやオペレッタが公演されています。その演目の中にミュージカルが入ることに反対する人も常にいるから、そこで政治家なりがどうにかして「ミュージカルも大切です」と説得する。そうやって幅広く受容されていって、さらに観光業にもつながっていく。博士後期課程では、オーストリアのミュージカルのそうした産業政策の側面を芸術社会学の観点から分 析しました。
また、オーストリアはミュージカル作品を日本に輸出しています。例えば『エリザベート』(※)は私企業の宝塚や東宝がオーストリアから輸入して、商業演劇として提供しています。そこで、オーストリアで公的な支援を受けて作られたミュージカルが、日本で商品に移行するとはどういうことなのか、という点も調べてみました。
博士論文で出した結論は、「日本におけるミュージカルも完全な商業演劇といえない」というものでした。宝塚も東宝も巨大な阪急阪神東宝グループに属していて、これらのエンタメ部門が赤字を出してもフォローしてくれる。これはブロードウェイの「面白くなければ人が入らない」というシステムとは明らかに違う。この、日本型輸入ミュージカルの独特な部分を、芸術社会学を応用して説明しました。
——— そう考えるとミュージカルって非常に変わった分野ですね。
ミュージカルは芸術ではあるけれどビジネス的な側面が強く、コストも非常にかかるのでコストコントロールが常に課題になる。だからミュージカルを研究するには、芸術学だけではカバーしきれない、社会学を含めた分野横断的な視点も入れなければいけません。
芸術社会学にもいろいろあって、その中でも私は、文化という営みのさまざまな側面を学際的に研究する文化営為学(Kulturbetriebslehre)に依拠しています。オーストリアの第三セクターを研究するのに有益な学問領域ですが、日本のエンタメ業界に作品が輸出されたあとの、両国に跨った現象を研究するには、もっと具体的な議論が必要になります。この学問を日本語で表す言葉は何がよいのかを考えてみて、最近では《文化興行学》と呼ぶことにしています。公共団体が運営している興行を、お金を払うだけの価値あるものとして誰かが見に来る、それは一体どういうことなのかを研究するのが文化興行学です。
※『エリザベート Elisabeth』は、19世紀オーストリア=ハンガリー帝国の皇后 Elisabeth von Österreich-Ungarnの生涯を描いたミュージカル。1992年初演(1996年日本初演)。
制作プロセスのアーカイブ化

——— 研究の今後の展開をお聞かせください。
これは劇評の仕事とも関係しますが、演劇作品の制作プロセスまでを含めて評価していくことに取り組み始めています。美術の分野だと、作品を作るプロセスを、メールのやり取りなども含めて全てアーカイブ化し、それ自体を作品として展示する、という試みも多く行われています。これは展示物として面白いだけでなく、著作権を含む美術作品の責任の所在を確認する手順にも役立ちます。一方、演劇はそういったノウハウが整っておらず、職人芸的に「去年もやったから今年もそんな感じで」というふうに回っています。研究者として、そうした制作のプロセスをどうにか言語化できないかと考えています。