【外国語学部】留学体験記が届きました(宇都宮 徳子さん ドイツ・パッサウ大学)

2024.03.18

外国語学部 ヨーロッパ言語学科 ドイツ語専攻 宇都宮 徳子さん

はじめに

私はドイツのバイエルン州ミュンヘンから東のオーストリア方面へ電車で2時間ほどにあるパッサウ市(Passau)にあるUniversität Passau(パッサウ大学)に2022年の9月から1年間交換留学をしました。憧れの国ドイツ、そしてパッサウ大学で勉強することができたなんて夢のようだったと思うと同時に、1年間の留学を経て、自分のアイデンティティを考える機会が増え、自分と向き合い、精神的に強くなった留学だったと改めて感じています。パッサウ大学に留学した先輩がなかなかいなかったため前例を参考にできない中、たくさんサポートいただいた国際交流センターの方々、そして留学アドバイザーのヴァイヒャート先生、ドイツ語専攻の先生方、そして留学を応援してくれた家族と友達に感謝の気持ちでいっぱいです。

パッサウ市

私はこの交換留学に申し込む前までパッサウ市を知りませんでしたが、本当に自然豊かで美しく、文化的でこじんまりとした可愛い街でした。

では少しパッサウ市について紹介させてください。パッサウ市は総人口数がおよそ5万人の小さな町で、その中でもパッサウ大学に通う学生は約1万3千人と総市民数に対して学生の割合が高いため、大学街(Universitätsstadt) と呼ばれています。また、パッサウ市はdrei-Flüsse-Stadtとも呼ばれ、ドナウ川、イン川、イルツ川の3つの川に面する世界唯一の場所で、ドナウ川を下る船でウィーン・ブタペストに行く人たちが途中で立ち寄る観光地としても有名です。

冒頭でも述べましたが、川を越え少しすると国境を越えてオーストリアに足を踏み入れることができます。島国に住んでいる日本人の私たちからすると、歩いて国を跨ぐことができるなんて信じられないですが、陸続きのヨーロッパではごく普通のことで、日本で置き換えると県を超えるみたいな感覚になります。

さて、パッサウですが、建物がパステルカラーに塗られ色とりどりで散歩するだけでも本当に楽しい町でもあります。想像するヨーロッパの街並みそのもので、絵本のような世界が広がっています。3つの川、特にイン川沿いの道が私のお気に入りの場所の一つです。

自然豊かな場所ですが、川に囲まれているため降雨量が多い時には洪水が発生し、度々パッサウでは問題になっています。パッサウの家や通りには水位を示すサインがあります。
そしてAltstadt(旧市街)の中でもRathaus(市役所)近くの「芸術の道」は、私のお気に入りの場所でした。多くの芸術家のアトリエがあり、石畳の道には年に一度パッサウ市民が集まりペイントした色が残っています。また、その道の入り口には黄色の縁取りの伝統的なホテルがあります。そのホテルはオーストリア皇妃エリザベート(Sisi)が泊まった場所として有名で、今でも宿泊利用することができます。世界史の教科書で習った人物が本当にここにいたのかとドキドキ興奮したのを覚えています。(写真の窓のふちが黄色い左の建物がそのホテルです)

芸術の道

大学生活

さて、パッサウ市について少し紹介しましたが、大学生が多いこの町は大学とバスターミナル(ZOB)を中心に栄えています。大学の建物はイン川沿いに細長く建てられており、さまざまな建物がありますが、私がよく使っていたのは言語コースがある建物です。窓から見える教会は、12時になると鐘がなり、時間を教えてくれます。ドイツでは至る所で教会の鐘の音が聞こえてきて、ドイツの恋しいものの一つです。ドイツ語コースの授業中によく聞こえてきたのを覚えています。
言語コースがある建物
窓から見える教会
パッサウ大学

私がドイツで初めの学期Wintersemesterで受講したドイツ語コースは、A2とB1そしてB1-Schreibwerkstattのコースです。言語受講者は履修登録前にplacement testを受けなければならず、そのテスト結果を参考に自分の語学力を見て履修登録をします。私のテスト結果はB1と出たため、B1の授業から受けることを考えたのですが、ドイツでのB1がどのようなレベルなのか少し不安を覚えたのと、初めて現地でドイツ語の授業を受けるため日本で習得し終えていたA2も、復習を兼ねて受けることにしました。A2とB1の授業ではDaF-kompakt neuの教科書を使っていました。

初めて現地の授業を受けた日に少し驚いたのを覚えています。ドイツでは日本と違って、成績には出席日数が必要なく、テストに合格すればよいというシステムのため、ドイツ語の授業と同じ時間帯に他の授業を入れている人も沢山いました。初回の授業から日に日に出席者が減っていくのは面白く、授業に毎回来ているいつものメンバーが分かるほどです。一クラスだいたい25人程度でErasmusの学生(EU圏内からの留学生)だけでなく、大学院生としてパッサウ大学に勉強している人が学生の主な割合でした。参加者の中で東アジア人はとても少なく、日本から来たと言うと少し驚かれることが多かったです。

さて、授業ですが、もちろんオールドイツ語でした。渡独前に半年間ゲーテインスティトゥート(ドイツ文化センター)に通っていたためオールドイツ語の授業には慣れていましたが、習ったことのない文法説明も全てドイツ語、学生が分からない単語は特別に英語で言うなどどちらにしても日本で受けていた授業とは違い、難しく感じました。学生が理解できていないとわかると先生は英語にシフトするのですが、私はドイツ語でわかっていても反対に英語で何というのかを知らない、英語でしか分からずドイツ語が出てこないということが度々あり、授業中は電子辞書で日本語、ドイツ語、英語の三つをフル活用して取り組んでいました。予習の大切さをとても感じました。授業中、学生は積極的に自分の意見を言い、間違ってもなんてことないといった様子で、日本にはあまり見られない学習態度に驚きました。

また、日本にいた頃では考えたことがなかった面白い発見をしました。日本語を母国語とする学生がドイツ語を学ぶのと、英語やフランス語、スペイン語を母語とする学生がドイツ語を学ぶのは感覚が違うということです。授業中、先生がこの単語はスペイン語ではこの単語で、似ていますよね、この単語はフランス語から来ていますが、フランスではどういいますか、など説明・質問されていることが多々あり、スペイン・フランス人の友人はその単語のニュアンスや意味をドイツ語の単語の意味を知らなくても母語のスペイン・フランス語から連想・想像出来ていました。ラテン語派生やギリシャ語派生など違いはあれど、似たような単語を使っていることが多いため彼らは私たち日本人よりもドイツ語を習得しやすいのではないかと感じました。

さらに、全ての授業において、学生がビールを持ち込んでいることに大きなカルチャーショックを受けました。私はドイツ語の言語コースだけでなく、英語で開講されているドイツ人向けの講義にもいくつか参加しました。さすがにドイツ語コースのような少人数制の授業にビールを持ち込んでいる人はいませんでしたが、大講義ではしばしば見られる光景でした。日本ではビールを講義や授業に持ち込む学生はもちろんこれまで一度も見たことがなく、学内でビールの自販機を見たのも初めてで、日本とは違う文化に驚きました。

次の夏学期では、前の学期でA2、B1、B1-Schreibwerkstattの試験に合格したため、B2の授業を受講しました。この授業の先生はとても授業構成をしっかりされていて、内容もとても面白かったのを覚えています。ただし、単語が知らないものばかりで毎回理解するのに少し時間がかかっていました。そして、B2の授業には様々な種類があるのですが、通常コースに加え、私はB2-Projekt Passauという授業を受講しました。この授業が本当に楽しくてぜひ紹介したいと思います。

“Projekt Passau”という授業の名前の通り、パッサウに関する授業でした。冒頭で紹介したパッサウ市についての情報もこの授業で習ったことなのですが、いかにパッサウがユニークな町なのかということが分かりました。例えば、ドイツではごく普通のことらしいのですが、至る所でビール製造所があります。ドイツ人にとってビールは欠かせないものなので、授業内でパッサウオリジナルのビールや過去にあった製造所についても学びました。今は使われていない製造所も合わせるとパッサウには5つほどあるようです。こんなにも小さな町にこんなにビールの種類があるのかと驚きました。最後の授業ではクラスメイトと先生とでパッサウの今でも使われているビール製造所と、それに繋がっているビアガーデンに行きました。
授業の一環としてWandern(ハイキング)した後に訪れましたが、授業中にお酒が飲めるとは思っていなかったのでとても驚きました。ドイツ人らしいアクティビティでした。この授業は本当に楽しく毎回欠かさず参加していた大好きな授業でした。この写真はみんなでビールを飲んだ時の写真です。ぜひパッサウに留学されるのであれば、この授業を履修してみてください!
この写真はミュンヘンのドイツ料理屋で食べた大きいプレッツェルです!ドイツのプレッツェルが本当に恋しいです

生活

パッサウで過ごす中で一番ドイツ語を使ったのはもちろん、ドイツ語の授業でしたが、授業はあまりSprechen(話すこと)に重きが置かれておらず、読み書きそして聞くということがメインでした。
その次にドイツ語を使ったのはカフェやレストラン、スーパーでした。初めてスーパーへ食料品や生活必需品を買いに行ったとき、レジでHalloと言うのと、カードでお願いしますというmit der Karte, bitteというのを使いました。私のドイツ語が通じた時は感動したのを覚えています。
そして、ドイツ学入門の授業で習ったと思うのですが、南ドイツでは「こんにちは」をGrüß GottやServusと言います。スーパーでおばあちゃんやおじいちゃんが使っているのを聞いて、授業で習ったことは本当に現地で使うんだ!と興奮しました。また、グリュースディ!(多分スペルはGrüß diだと思います。Grüß dichと言っていた人もいたのでその短いバージョンでしょうか)と言っているおばあちゃんもいてさまざまな現地の挨拶を聞くことができてとても面白かったです。バイエルン州ならではの方言を自分の耳で聞くことができたのは本当に面白い経験でした。ミュンヘンやニュルンベルク、その他のバイエルン州出身の同年代のドイツ人はほとんどバイエルン方言を使っていませんでした。みんなHochdeutsch(標準ドイツ語)を使うのが若者では当たり前のようです。

気持ちの変化

今回の交換留学で一番成長を感じたのは私の内面の変化です。この留学報告書に書くかどうかとても迷いましたが、自分の中でとても大事なことだと感じているため、ここに書くことを決めました。
はっきり言って私の留学は、読んでくださっている皆さんが想像するようなキラキラヨーロッパ留学・生活だけではありませんでした。アジア人女性として異国の地、ヨーロッパに住む大変さや肩身の狭さ、身を持って人種差別を経験した留学でした。私自身、ドイツという国は歴史を顧みて移民を多く受け入れ、多民族国家であるため人種問題などは比較的少ないのではないかなどと仮定し、高い期待を抱いていました。そのため現実と期待のギャップにショックを受けたのは事実です。もちろん一概に言うことはできないため全ての留学生や現地に住まれている方が必ずしも嫌な・辛い経験することではない、ドイツに留学した私の友人は全くそのような経験をしていなかったので、あくまでも私の経験だということを念頭に置いて読んでいただけたらと思います。
皆さん、“ching chang chong”(チンチャンチョン)という言葉をご存じですか?
私はドイツで見知らぬ人にこの言葉を言われるまで知りもしませんでした。これは中国語でも何語でもなく、海外で中国語はこのように聞こえるとして作られた、中国人を始めアジア人を嘲笑するために使われる人種差別的な蔑称です。パッサウだけでなく、ヨーロッパのさまざまな都市部に行ったときにも、よくこの言葉を叫ばれたり、この言葉で呼びかけられたりしました。この言葉を差別用語だとして使っているかはその本人しか分かりませんが、言われた側としては気分が悪いものです。そしてこの言葉は差別用語です。その認識が教養のない人には無いようでした。子どもが親の横で、私や他の韓国の友達といったアジア人に向かってチンチャンチョンと言っても、親は何も注意しなかったため差別用語としては捉えていないのか、それに同調しているのかは分かりませんが、小さな子どもでもこの言葉を使う人は多かったです。

また、“你好”(ニーハオ)と言われることもよくあり、初対面で悪気なく“Are you from China?”と聞かれました。人種差別についてよく考えるようになってからは見た目がアジア人だからという理由だけで、一人一人それぞれ国の文化があり歴史があり、言語があるのに、全てをひとくくりにするな、という気持ちが勝っていました。これは中国人と間違われるのが嫌というのではなく、アジア人であるということに誇りを持つとともに、同じだと捉えられがちな中国・韓国・日本・台湾といった東アジア諸国はそれぞれ独自の豊かな文化、言語、異なる気候など違いがあるのだと、そしてその違いをまずは尋ねるのではなく中国人か?などと決めつけて聞かれることは、日本人・韓国人・台湾人などだけでなく中国人に対しても失礼なことだと感じたためです。私たちの違いを一部のヨーロッパの人たちは知らず知らずのうちにひとまとめにして捉えていることに違和感を覚えました。

私たちはヨーロッパのそれぞれの国の歴史・文化を学び、ヨーロッパの人たちをひとまとめにするようなことはせず尊重しているにも関わらず、こちらではそうではないのだということを嫌と言うほど感じました。例えば、韓国の友達が初めて会ったドイツ人に“Where are you from?”と聞かれ、“We’re from Korea”と答えると“north or south?”と聞かれ、ショックを受けるとともに怒り心頭に発していました。最初にAre you from China?と聞かなかったことは良かったにしても、北朝鮮なわけがないだろうとつっこんでしまいそうになりました。果たしてSouth Koreaと言わなかった友達たちが悪かったのでしょうか。韓国人に向かって北朝鮮と言うのはタブーである、今の北朝鮮の一般国民の方が簡単に国外に渡ることはできないということは、私たち日本人からしても当たり前のことだと思っていましたが、世界常識ではないのか、遥か遠いアジア圏についてはあまり知られていないことが良くわかりました。かなりショックな会話でした。(仲の良いドイツ人たちに聞いてみたら、普通なら絶対にそんな馬鹿な質問はしないと言っていましたが…)

韓国の女の子たちや、台湾人の女の子もよく差別されることがあったようで、何かとそこから話すようになり何度も話し合いをしていました。この話し合いで打ち解けて、次第に何度も寮のキッチンで夜ご飯を一緒に作り、食べて話すようになりました。私たちはよく、差別してくる人を“They don’t know why they shouldn’t say Nihao to all Asians, they JUST don’t know. Those people are uneducated, seriously.”(彼らはニーハオって全てのアジア人に対していうことがなぜダメなのかを知らない。彼らは本当に何も知らないだけ。教養が全くないのよ)と言っていました。パッサウの生活で、彼女たちはお互いを理解し合えるかけがえのない大事な存在でした。今でもたまに連絡を取ったり、電話をしたりしています。

初めて差別を受けたとき、その時にはそれが差別だということには気付きませんでした。気付いたのは日本にいる母に電話で説明している時で、泣きそうになったのを覚えています。それまではずっと、このもやもやした気持ちはなんだろう、なんて返事をすればよかったのか、など無力感から悶々としていましたが、人種差別だということに気付いた時には、しっくりきたと同時に悲しくなりました。その国の人間ではないことから馬鹿にされる、疎外されるということはどんな人にとっても辛いものです。
全ての経験をここでは書ききれませんでしたが、これらの差別から私は、自分はドイツでアジア人の女性という「マイノリティ」に属しているのだと自覚しました。それまでは日本人として日本に住んでいて、マジョリティに属していたわけで、見た目が日本人・アジア人だからと差別される経験など全くありませんでした。周りも日本人、自分も日本人、話す言語も同じ公用語の日本語です。差別を受けて初めて、自分は日本でマジョリティに属していたことで気付かぬうちに「恩恵」を受けていたのではないか、ということや(恩恵とは言いたくありませんが、ドイツでアジア人女性というマイノリティに属することで、マジョリティに属していた時には隠れていた問題が浮き彫りになり、マジョリティ内で「守られている」という恩恵があったと感じているためこう表現しました。)、反対に自分の国、日本でマイノリティに属する人はどうなのだろうか、外国籍がドイツより遥かに少ない日本では、日本人による外国人差別が見えないところで、自分を含め心の中で差別する気持ちは必ず存在しているだろうという視点を持つことができました。差別を受け、私の見た目がドイツ人ならこんな思いをしなくても良かったのかも、なんて後ろ向きなことを考えたこともありましたが、今ではアジア人の見た目、日本人であることにとてもとても誇りを覚えます。差別してくる方が悪いんだ!というマインドで、ドンと構えられるような強い性格になったと思います。はたから見ると当たり前のことかもしれないのですが、現地での心細さは日本ではなかなか感じられないもので、気も強くなったように感じます。

まとめ

最後に一気に重たい話をしてしまいましたが、本当に留学をすることができて良かったと思います。初めての一人暮らし、初めての海外生活、ビザ取得に4カ月かかるなど予期せぬトラブルも多く、何もかもが初めてで右往左往することも多かったですが本当にさまざまな経験をすることができ、一生の友人にも巡り合えることができたかけがえのない一年でした。またドイツ留学の一つの大きな目標であった、負の歴史を自分の目で見て聞いて、肌で感じるということも達成することができました。具体的には、アウシュビッツ収容所を訪れることなのですが、たまたま日本人ガイドを見つけ申し込み、現地では教科書には載っていないような詳しい話を聞くことができました。収容所内ではイスラエルの国旗を背中に羽織っている人もいて、歴史が今のイスラエルパレスチナ問題に繋がっていることを感じました。日本では決してできない、歴史を実体験する貴重な機会でした。

長くなり過ぎたのでこれ以上は書きませんが、留学とは本当に価値のあるものだと思います!!自分が想像するものを飛び越えて大小様々な問題が降りかかって来ますが、自分の持つ能力をフル活用して成長できる良い学びの場です。長期留学・短期留学問わずこれまでにはなかった環境に自分を置くことで、自分自身は一体何者であるのか、相手はどういったものの考え方をするのか、ここではどのような文化があるのか、さまざまな発見をすることができる人生の大きなチャンスになると思います。

大学生という人生のステージの中で、大学生だからこそできる留学に挑戦してみることをお勧めします!!

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