クリミア半島――苦難の歴史
2026.07.09
クリミアで非常事態宣言
昨今、ウクライナ軍によるロシア側への軍事攻勢が一段と強まっている。無人機(ドローン)による攻撃がロシアの諸地域に甚大な打撃を与えており、わけてもクリミア半島が窮地に陥っている。ウクライナ軍はクリミア半島の燃料施設や交通路を破壊し、半島を「兵糧攻め」にする作戦のようだ。
クリミアの行政府は、停電や燃料不足が深刻化するなかで、市民へのガソリン販売の停止を決め、6月26日には非常事態宣言を発出した。ロシアのプーチン大統領は6月28日に国営放送のインタビューに答え、ウクライナ側の攻撃によりロシア国内で燃料不足が生じていると語った。プーチン氏が燃料不足を公的に認めたのはこれが初めてとのことである。
クリミア半島について言えば、2014年にロシアが奪取して以来、ロシア国内の行政区に組み込まれ、盤石の支配体制を固めているかと思われていたが、ここに来て、その支配権が揺さぶられているように見える。ロシア本土と半島を結ぶ物流ルートがウクライナ側の攻撃で断たれつつあるためである。
全長19キロメートルに及ぶクリミア大橋だけでなく、陸上ルートや海上フェリーなども攻撃され、物資の輸送がストップしてしまった。その上で半島の石油関連施設も破壊されたため、非常事態宣言を発せねばならないほど燃料の補給が窮地に陥っているのである。
こうした事情は当然、ロシア本土の人々にも伝わっている。クリミア半島は昔から保養地として有名だが、この夏はロシア本土からの旅行者が激減し、青少年のレクリエーション施設やキャンプ場も閉鎖されているようだ(2026年6月26日「日経速報ニュース」、田中孝幸編集委員の記事)。
ウクライナによるクリミア奪還の難しさ
ただし、この勢いでウクライナ側がクリミアを奪還するシナリオもあり得るのかどうかということになると、そこまで行くのは難しいと思われる。クリミアの攻撃には、内部の「地下抵抗組織」が連携しているとの見方もあるが(ロイター通信など)、攻撃の手段は主としてドローンである。だが、奪還するためには大規模な地上戦が必要となる。ウクライナ政府としては、クリミア住民を不安に陥れ、プーチン政権への不信を募らせるのが目的なのだろう。民心の離反を怖れるプーチン大統領が、停戦に向け、ゼレンスキー政権に譲歩することをウクライナ側は期待しているものと推測される。
プーチン政権としても、ウクライナ侵攻の原点となったクリミアを手放せば、完全な「敗北」であって、他の占領地域も連鎖反応的にウクライナに戻ってしまいかねない。そもそもクリミアは、10世紀に正教をビザンチン帝国からロシア帝国が引き継ぐにあたって受容した「聖地」と位置付けられ、プーチン大統領はこの「聖地」をロシア領とすることを悲願としていたといわれる(前掲、田中氏の記事)。それゆえ手放すというオプションはないはずだ。
ちなみに米国のトランプ大統領がグリーンランドを欲していることに関連して、ロシアのラブロフ外相は「米国にとってグリーンランドが重要なのと同様に、クリミアもロシアの安全保障にとって重要だ」と主張していた(2026年1月20日「日経速報ニュースアーカイブ」)。ロシアとしてはあくまでもクリミアを死守するものと考えられる。
ロシア帝政期のクリミア
ここで少しクリミア半島の歴史を振り返ってみたい。ロシアの文豪アントン・チェーホフ(1860-1904)は、1899年に「犬を連れた奥さん」という題の珠玉の小説を書いているが、クリミア半島の南端に位置する都市ヤルタ(あのヤルタ会談で有名)が舞台で、黒海に面した海岸通りの描写が非常に美しい。チェーホフ自身も人生の晩期にここを定住地に決め、胸の病を癒すべく転地している。
風光明媚な土地が往々にしてそうであるように、クリミア半島もまた大国による争奪戦の対象として苦難の歴史を歩んできた。ロシア帝国はオスマン・トルコとの2度の戦争(露土戦争)によって、18世紀後半にクリミアを併合した。
19世紀の半ばにはクリミア戦争が勃発した。この戦争自体は中近東やバルカン半島の支配権をめぐるものであったが、ロシア帝国がオスマン・トルコに宣戦し、トルコに加勢して英国やフランスなどが参戦するなど複雑な様相を呈した。クリミア半島と黒海が主戦場となったため、クリミア戦争と呼称されたのである。この戦争において英国人のフローレンス・ナイチンゲールが負傷兵への献身的な看護活動に従事したことから「クリミアの天使」と呼ばれたことはよく知られている。
ソ連時代のクリミア
クリミア半島は第一次世界大戦中に一時ドイツに占領されたものの、ソ連成立後はロシア共和国に編入された。
1930年代の前半、スターリン政権は国内のユダヤ人を一ヵ所に集めようとして、クリミア半島にユダヤ人自治区をつくる案を進めたが、地域住民の反発もあって頓挫した。その結果、1934年にソ連極東の中国との国境地帯に「ユダヤ自治州」(州都はビロビジャン)が創設され、ユダヤ人の入植を促したのである。しかし実質的には、これはユダヤ人の隔離政策であって、彼らの結束や反抗を危惧したスターリンは、第二次世界大戦前後に多くのユダヤ人指導者の殺害を命じたのであった。
第二次世界大戦が始まると、スターリンは対独協力を疑ってクリミア半島に居住している少数民族を強制移住させた。特にこの地に暮らすタタール人(クリミア・タタール人)が1944年年5月、ウズベキスタンなどへ移送され、民族名を消された史実は、フルシチョフによるスターリン批判以降、次第に公にされるようになった。
そのフルシチョフだが、1954年にクリミア州をロシア共和国からウクライナ共和国に帰属変更した。その理由には諸説あるが、ロシア人とウクライナ人の和解の象徴とするためというのもその一つだ。それが今や、両民族の衝突の源になっているのである。

河原地 英武 教授
ロシア政治、安全保障問題、国際関係論

