2026.04.07

国際関係学部の須藤瑞代准教授らによる論文集『近代日中女性による「非体制」の模索――竹中繁と月曜クラブ・一土会』(春風社)が刊行されました。

論文集『近代日中女性による「非体制」の模索――竹中繁と月曜クラブ・一土会』(春風社)

本書は、東京朝日新聞(現・朝日新聞東京本社)初の女性記者である竹中繁(しげ)(1875–1968)を中心に、戦前から戦後にかけて活躍した女性知識人が集う2つのグループ「月曜クラブ」「一土会」の活動と日中交流の具体的な活動の様子を、書簡やノートなどの一次資料をもとに描き出したものです。


月曜クラブと一土会——この取り組みを『非体制』の模索と位置づけ、その意義と限界を論証する。

戦争へ向かう1920~40年代、日中関係の悪化から距離を取り、改善の道を探ろうとした女性たちの集まりがあった。困難な社会情勢のなかで、女性運動や国際関係・政治について、日中の女性たちはどのように語り合い、交流していたのだろうか?春風社HPより)


1920~年代において日中関係の悪化から距離を取り、改善の道を探ろうとした女性たちの動きを「非体制」の模索と位置づけ、その意義と限界を論証。

月曜クラブと一土会という集まりを中心に、困難な社会情勢のなかで、女性運動や国際関係・政治について、日中の女性たちが積極的に話し合い、交流を重ねてきた道を辿る。amazon.co.jpより)

 

刊行にあたって、本書の主編著者である本学国際関係学部の須藤瑞代准教授に、出版の経緯や、本書に込めた思いについて、お話を伺いました。

「竹中繁を知るきっかけは、1915年から1931年にかけて、中華民国期の上海で刊行されていた『婦女雑誌』です。当時の中国では女性向け雑誌が数多く発行されていて、特に『婦女雑誌』は約15年にわたり刊行が続いたというその継続期間の長さから、近代中国の女性史研究における主要な資料の一つです。

私は中国近代史が専門で、大学院生時代に台湾に留学し、現地でこの古雑誌を調査していました。資料を読み進めるうちに、1931年に「竹中繁」という日本人名が繰り返し登場することに気づきました。当初は男性と思いましたが、よく読むと「しげ」という名の女性で、新聞記者だと分かりました。

関心を持つようになった私は、帰国後、竹中繁の伝記[1]を書かれていた香川敦子先生にご連絡を取りました。すると、姫路にお住まいだった香川先生が、(当時私が東京にいたので)新宿までわざわざお越しくださいました。そのときすでに92歳でしたが、とてもお元気でした。お持ちの資料を拝見したいと香川先生にお願いしたところご快諾いただき、後日、姫路の香川先生のお宅を訪ね、一泊させていただきながら、ご自身がこれまで集めてこられた資料や作成された資料をすべて拝見しました。竹中繁のお孫さんもご紹介いただき、保存されていた資料も拝見しました。

資料の量は全部で段ボール13箱に及びました。手書きのノートや手紙が数多く含まれていました。著名な人物に関わる資料——与謝野晶子の名刺や、平塚らいてう、市川房枝、岡本かの子の書簡、当時の中国の著名なジャーナリストから送られてきた手紙、宋慶齢[2]の書状など——が次々と見つかり、非常に驚きました。

目を通していく中で、竹中繁が、当時の女性知識人のコミュニティできわめて重要な役割を担っていたことが明らかになってきました。これはきちんと世に出さなければならない資料だと強く感じるようになりました。

本書はタイトルに「近代日中」という言葉を使っています。彼女は「月曜クラブ」と「一土会」という2つの女性グループを主宰しましたが、一土会のほうは、中国からの留学生との交流や、相互理解を目的とした場で、中国との関係における窓口のような役割を果たしていたと思います。ですから、日中関係に焦点を当てるのであれば、一土会をより詳しく見る必要があるようにも思われます。ただし、月曜クラブを含めて考えることも重要だと考えています。月曜クラブがなければ、一土会は生まれなかっただろうからです。

主編著者である本学国際関係学部の須藤瑞代准教授

月曜クラブ自体は中国問題に特化した会ではなく、さまざまな分野のゲストを招いて話を聞き、その後に参加者全員で討論を行う、現在でいう研究会のような場でした。誰かが話し、それに対して皆で質問し議論をする、そうした集まりを毎月継続して行っていました。

その月曜クラブの中で、満洲事変(1931年9月)が起きた直後に、東京朝日新聞の中国専門記者であった大西斎(いつき)を招いて講演会を行ったところ、多くの出席者を集め、非常に多くの質問が出ました。そこで、このままではいけない、もっと中国のことを知る必要があるのではないか、という問題意識が共有され、中国との関係を深めるための会として一土会が立ち上げられたのです。実際、月曜クラブのメンバーの一部が一土会に参加し、そこに新しいメンバーが加わるという形で活動が展開していきました。

このように、月曜クラブと一土会は切り離せるものではなく、両方に目を向けてその関係性も含めて捉えるべきだと考えています。

竹中繁は、自分自身が前面に出ることはほとんどありませんでした。月曜クラブでは、自分が講演することは一度もなかったようです。一土会のほうも、活動の記録はきちんと残されていますが、彼女自身が目立つというよりは、あくまで裏方として活動していました。

竹中繁が果たした役割は、人と人とを繋げていくことだったのだと思います。彼女は場を作り、人を集め、自然と人が集まる存在でした。周囲からは「おばちゃん」と呼ばれて慕われていたようです。

たとえば、市川房枝と平塚らいてうは、ともに大きな影響力を持つ人物ですが、決して常に仲が良かったわけではなく、平塚らいてうが市川房枝を批判していたことも知られています。それにもかかわらず、月曜クラブでは二人が同じ場に集まり、議論を行っていました。どちらも竹中繁と親しい関係にあったからこそ可能だったのだと思います。こうした個性の強い人々を集め、対話ができる場を作り出すことこそが、竹中繁の大きな役割だったと考えています。

竹中繁は、このような役割を、日本国内にとどまらず、中国にも広げようとしていました。当時はナショナリズムが高まりゆく時代、顔も知らない相手同士とも「日本人」であるというだけで一体感を持つことが求められていました。竹中繁は、抽象的な日本人という枠組みでなく、身近にいる留学生や、思想的に共感し合える中国の人々との関係を大切にしていたのだと思います。

現代日本でも、女性が外交や国際関係の前面に立つ状況が生まれていますが、当時の彼女たちも「女性の力」に期待を寄せていた面があったと思います。実際に、「男性が壊してしまった感情の堤を、女性が修復するべきではないか」という考え方が文章の中には見られます。

ただ、民主主義国家でない、女性に参政権すら与えられていない当時の時代状況を考えると、彼女たちの活動は決して容易なものではなかったでしょう。当時、戦争そのものを止めることは、ほぼ不可能でした(参政権がある現在でも戦争を止めることがいかに困難であるか、連日のニュースを聞く中でひしひしと感じるところでもありますが……)。

そうした様々な制約の中で、竹中繁が目指し、選択した行動と姿勢は、日中関係の観点からも、女性の活躍という点からも、私自身そして執筆陣が強く共感する部分であり、特に読者に伝えたい点でもあります。竹中繁らの試みや考え方は、国家間の対立や紛争が止まない現代だからこそ、広く知られるべきだと思うのです。

2026年3月16日 聞き手:神谷俊郎、新開絵梨佳

注釈

[1]香川敦子「窓の女 竹中繁のこと: 東京朝日新聞最初の婦人記者」(1999年 新宿書房)

[2]宋慶齢:近代中国史において非常に重要な役割を果たした政治家・社会活動家。孫文の妻。

関連リンク(一部無料)

「窓の女」と呼ばれた記者 朝日新聞(2026/03/14)

第1回 参政権なき時代に書き続けた「窓の女」 苦境の女性救う手立て探して

https://www.asahi.com/articles/ASV392DJ8V39UTFL00PM.html

第2回 「架け橋になりたい」顔が見える関係を 立場違う人を結んだ女性記者

https://www.asahi.com/articles/ASV392GJ4V39UTFL00PM.html?iref=pc_rensai_article_short_3267_article_2

(本学契約のデータベース〈朝日新聞クロスサーチ〉から全文が読めます)

本書は、以下の助成を得て実施された研究成果に基づいています:

科学研究費補助金

  • 基盤研究(C)「近代日中女性の「非体制」の模索とジェンダー:竹中繁 ・月曜クラブ・一土会を中心に」(課題番号:21K12516)(代表:須藤瑞代)
  • 研究成果公開促進費(学術図書 課題番号:25HP5058)

书籍介绍

由本校国际关系学部须藤瑞代副教授等人编著的论文集《近代日中女性对“非体制”的探索——竹中繁与月曜俱乐部·一土会》(春风社)已出版。本书以东京朝日新闻(现为朝日新闻东京总社)首位女记者竹中繁[Takenaka Shige](1875–1968)为中心,依据书信、笔记等一手资料,生动描绘了从战前到战后活跃于日本的两支女性知识分子团体——“月曜俱乐部”与“一土会”——的活动情况,以及她们在日中交流中的具体实践。

月曜俱乐部与一土会——将这一举措定位为对‘非体制’的探索,并论证其意义与局限。 在走向战争的1920至1940年代,曾有一个由女性组成的团体,她们试图与日中关系恶化的局面保持距离,并寻求改善之道。在艰难的社会形势下,日中的女性们是如何就女性运动、国际关系及政治等问题进行交流与探讨的呢?(译自春风社官网的宣传文案)

将1920至1940年代期间,那些试图与日中关系恶化保持距离并寻求改善之路的女性们的行动定位为对‘非体制’的探索,并论证其意义与局限。 以‘月曜俱乐部’和‘一土会’这两个团体为中心,追溯了在艰难的社会形势下,日中女性们就女性运动、国际关系及政治等问题积极展开讨论、不断交流的发展历程。” (amazon.co.jp上刊登的宣传文案翻译)