オーストラリア タスマニア大学

外国語学部 英米語学科 山本 真由さん

留学先 オーストラリア タスマニア大学 芸術学部
留学期間 2012年2月~2012年11月
留学アドバイザー 外国語学部 アマンダ ギリス准教授
出身高校 三重県立 名張西高等学校

留学理由

タスマニア大学 メインキャンパス
私がオーストラリアのタスマニア大学を留学先として選んだのは、高校生の時に1年間留学していたこともある慣れ親しんだ国であったこと、学年をまたがずに春学期からの留学が可能だったこと、また、将来オーストラリアで日本語教師として働きたいと考えているからでした。ずっと趣味で描いていた絵などを、将来日本語を教える際、教材として活用できるよう学びたいと思い、本格的に勉強したことがない分野でしたが、学部は芸術学部を選びました。また。高校時の留学先であり、芸術関連のイベント等が盛んなメルボルンに近いこともタスマニアを選んだ理由でした。

オーストラリア・ホバート

ホバート中心部の公園
留学当初は、メルボルンと比べ、ホバートの小ささに驚きました。ホバートはタスマニア州都ですが、本土でいう郊外のようで、移民の方の割合も少なかったような気がします。友達と遊ぶようなところは少ないですが、山と海に囲まれたとてもきれいな街で、大学、学生寮、すべて徒歩圏内にあり、バスも街を中心に色々な所へ出ているので、とても動きやすかったです。現地の留学生友達やシェアメイトたちとホバートの小ささに文句を言ったりしたこともありましたが、小さいからこそ人と人が繋がりやすく、遊ぶところが少ないからこそ、自分たちで何か企画したりして、自分たちなりの楽しみ方を見つけられたのかな、と思います。

滞在先と異文化体験

タスマニア大学では、学部留学生はホームステイできないので、大学のシェアハウス又は学生寮に応募するか、自分で滞在先を探すかでした。私は、前期にシェアハウス、後期は授業の時間割の関係と、環境を変えるため、学生寮に住んでいました。シェアハウス、学生寮ともに山にあるので、眺めがよく、夜はワラビーが家の周りを走り回っていました。シェアメイトと仲良くなるきっかけをつくるために、積極的に話しかけたり、シェアメイトの時間割一覧表を作ったり、トイレットペーパーや卵、ミルク等の皆が使うものを週1人5ドル出し合って、そこから共有するものを買おうと提案したりしました。シェアハウスではご飯は皆別々に作って食べていたので、学生寮に移った時は、各自料理担当の曜日を決めるなど、自分たちで節約でき、且つ楽しく暮らせる方法を考えました。月曜日は中華、火曜日は日本食、水曜日はメキシコ料理など、皆で楽しく話しながら食べるご飯は格別でした。Dutch Pancake Maker(たこ焼き器)を買って、週末にたこ焼きパーティーや手巻き寿司パーティーをしたり、日本に興味のある友達に日本語を教えたり、自分が日本人として周りを楽しませることができることをよく企画しました。

シェアハウス (Mt Nelson Villas)

シェアハウス近くからの眺め
大学のメインキャンパスのすぐそばにある山、Mt. Nelsonのほぼ頂上にあるシェアハウス7軒のうちの1軒でした。住宅地の中にあることや、学生寮と違って住人も少なく、大学主催のイベントなどもないことから、普段はとても静かで、勉強に集中しやすい環境でした。シェアメイトの1人が日本に旅行経験もある親日家ということもあり、私が日本食を無理なく作れるようにと、アジア系食料品店に連れて行ってくれたり、日本の菜切り包丁をわざわざ日本からとりよせてくれたり、兄のように面倒を見てくれ、とても恵まれていたなと思います。

学生寮 (University Apartment)

学生寮 自室からの眺め
学生寮はMt. Nelsonの中腹にあり、Accommodation Serviceのオフィスもここにあります。学生寮は住んでいる学生の数も本当に多く、各寮が頻繁にイベントを催しているので、とても賑やかでした。レストランもあり、ビリヤードやチェス、ピアノなども置いてあるので、どんなに忙しくても、友達と毎晩1時間はビリヤードをして息抜きをするようにしていました。

異文化体験を通じて

学生寮のシェアメイトと友達と
私のシェアメイトは、シェアハウスではオーストラリア人の男の子が3人、アメリカ人の女の子が1人、途中入れ替わりでオーストリア人の女の子が1人、学生寮ではオーストラリア人の男の子2人、アメリカ人の女の子1人、中国人とジンバブエ人の男の子が1人ずつでした。他にも、イギリス、マレーシア、韓国、ミャンマー、ドイツ、フィンランドと、年齢も国籍も様々な友達ができました。アメリカ人の友達と、互いの国の政治について話し合ったり、中国人や韓国人の友達と、領土問題について話し合ったり… 言い争ったりするのではなく、どうやったら平和に解決できるだろう、というような話し合いをしたりすることもありました。中国で反日デモがあったときは、中国人のシェアメイトが中国に留学中だった私の日本人の友達を心配してくれたこともありました。彼らとの話し合いを通して、日本国内でメディアを通して入ってくる情報だけではわからないような、国際的な視点から日本や他の国を見て学ぶことができました。時には捕鯨、捕イルカについて、メディアの受け売りで私に対して抗議してくる友達もいました。メディアを通して得た情報はどうしてもその国の見解に偏ってしまうことがあると思います。感情的にならず、日本人として、自分の意見などをしっかり伝えることの大切さを実感しましたし、自分がメディアの受け売りにならないように気をつけました。また、私の友達で、シェアメイトと宗教上のトラブルにあった人もいました。生まれ育った国を出て、国籍も宗教も文化も違う多くの人々が暮らす国で、お互いに理解し尊重し合うことの大切さも学びました。

芸術学部

受講科目

街の中心部にある
芸術学部キャンパス付近
各学期3~4科目、演習の授業が各科目週3時間、講義があるものは演習に加えて週1時間と、大学で授業を受ける時間は週に計11時間程度でした。その他、各科目授業外で週3時間の勉強が義務付けられていますが、3時間では到底足りず、平日休日問わず家でもくもくと課題に取り組むこともよくありました。私は1年生の授業を主に、Semester 1にCore Studies in Fine Art 1A、Introduction to Drawing、Painting 1の3科目、Semester 2にSculpture 1、Visual Communication1、Artists Books and Sequential Artformsの3科目を受講しました。

授業内容と課題

Sculptureで使用した機械の一部
講義では、テーマに沿って他のアーティストの作品にどのような意図や背景があったのか等、簡単な導入や紹介があり、演習の授業では、少人数のグループに分かれて5分間で身の回りにあるものを使って何かを創るというようなエキササイズがあったり、チューターと生徒でアイデアを出し合ったり、課題に取り組むというよりは、創るための技術的な面をチューターに相談する、アイデアやヒントを得るための時間でした。また、演習の授業は10~20人程度の少人数のクラスなので、チューターと生徒同士の距離が近く、とても和気藹々としていました。Sculptureの授業では、本格的な機械を使う機会が多々あり、芸術学部でしかできないことをたくさん経験し、学ぶことができました。

授業外の自習時間

Paintingのジャーナルの一頁
定期的に美術館やエキシビションに行ったり、インターネットや図書館で自分の興味のある、又は勉強している分野のアーティストや作品を調べ、参考になるものを印刷したり書き出したりしてジャーナルにまとめ、アイデアを練ります。やろうと思えばどれだけでもできるので、一度やりだしたら止まらない私は、慣れるまで、程度がわからず大変でした。 DrawingやPaintingの科目では、納得いくものが描けるまでひたすら絵を描いていました。

英語について

Drawingの授業のハンドアウト
芸術学部では、他学部のように週に何冊も本を読んだり、何千ワードのエッセイを書いたりすることもなかったので、授業や課題を進める上で、語学力で困ることはありませんでした。しかし、授業外の勉強は特にしていなかったので、英語の長文を読み書きする機会の少なさから、リーディングとライティングのレベルが日本にいた頃より落ちたかな、と思い、後期には自主的にER(多読)等をしていました。

授業を終えて

前期は授業や課題に集中しすぎて、週末も課題にあて、自分の部屋にこもってひとり黙々と課題に取り組むことも多かったせいで、気分転換もうまくできず、自分を追い込んでしまい、挫折しそうになったり、留学自体を後悔したりしたこともありました。しかし、せっかく留学させてもらっているのに、このままじゃ意味がない、留学は大学の授業だけじゃない、と思い、後期からは勉強以外のことにも力を入れるようにしました。イベントやボランティア活動に参加したり、友達と過ごす時間を増やしたりしたことで、友達の輪も広がり、自然と課題もはかどるようになりました。何気ない会話から、課題のヒントを得ることも多々ありました。日本では何気なくしていたようなことですが、はりきって勉強ばかりするより、時々思いきり遊んで気分転換をする方が、その後の勉強がはかどることに驚かされました。「All work and no play makes Jack a dull boy」ということわざもあるように、バランスの大切さに気づいた時は前期を無駄にしてしまったような気がしましたが、実際、それを経験したからこそ、自分がどういった状況で自分の力を発揮できるのか、わかりました。また、自分の作品を創る上で大切な「自分らしさ」「日本らしさ」に気づかせてくれたのも、友達でした。課題を進めていく過程で、アイデアがなかなか浮かばない時は、時間がすぎるのが本当に遅く感じましたが、振り返ってみると、毎日必死で課題に取り組んでいたせいか、あっという間に時間が過ぎたような気がしてとても不思議です。

後期の授業が終わったときの、やっと終わった、やりきった、という達成感と共に、年度を通して創ったジャーナルや課題、作品をすべて目の前に積み上げた時は本当に気持ちがよかったです。
Core Studies, Sculpture,
Visual Communicationのジャーナル
「らしさ」から、紙をテーマに創った白鳥

努力したこと

学部の勉強はもちろんですが、一番努力したことは、自分を追い詰めないようにする事でした。留学当初は、思い描いていた「楽しいことばかり」の留学と現地とのギャップから、ホームシックになったり、また奨学金を頂いていたことや、タスマニア大学への初の交換留学生、ということから、プレッシャーを感じたりしたこともありました。しかし、上記したように、課題にばかり集中するのではなく、肩の力をぬき、もっと学業面以外のことにも目を向け、気分転換をして、メリハリをつけるように努めました。

休暇中

各学期13週間の授業期間中、Semester Breakとして各学期1週間程度の休みと、Semester 1とSemester 2の間に1カ月程度のWinter Breakがありました。タスマニア州内は車がないと観光しにくかったので、休み中はほとんど本土に遊びにいっていました。アメリカから同じく交換留学中だった友達が、留学期間中、タスマニア州外に行く予定がないと言っていたので、オーストラリア本土を見ず帰国するのはもったいないと、友達何人かを連れてオーストラリア本土を旅行、案内、観光したりもしました。オーストラリアは何度も遊びに来ている国ですし、ヨーロッパのような、気軽に他国に遊びに行って、新しいものを見る、というようなことはできませんでしたが、逆に、オーストラリアの良さを友達に伝えることができ、よかったと思います。

留学の成果と、現在と今後

色々な国籍の人と一緒に住んだり交流したり、芸術学部という自分にとっては新たな環境に飛び込んだことで、書けばきりがないほど、本当にたくさんの事を学びましたし、物事を様々な角度から考えることができるようになったと思います。趣味という域から評価されるまでへの道は厳しかったですが、様々な授業を通して、自分を試すことで、自分がどのジャンルのアートで評価されるのか、自分の強みがなんなのかわかったことは、本当によかったと思います。また、自分自身に関しても新たな発見が多々ありました。「努力したこと」同様、楽しいばかりの留学ではなく、二通りの留学ができたことで、自分がどういった状況で伸びるのか、楽しめるのかがわかったことは、最大の成果だと思います。この経験を活かして、就職先を決める際や、就職後の働き方等に役立てていければと思います。

最後になりますが、京都産業大学海外留学特別奨学生として採用して頂き、ありがとうございました。又、国際交流センターの方々やギリス先生には、交換留学応募時から帰国後、単位申請等の手続き終了までの間、大変お世話になりました。本当にありがとうございました。留学中は楽しい事ばかりではありませんでしたが、家族、友達、先生方、周りの方々に支えて頂いたからこそ、最終的に実りあるものにできたと思っています。今後も、将来に向けて、今回の留学で学んだことを活かし、残りの大学生活に悔いを残さぬよう、夢に向かって日々勉学に励むとともに、人としてもっと成長していけるよう努力を続けていきたいと思います。本当にありがとうございました。
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