情報化は社会を変えるのか?

植村 和秀 教授(右)と萩原 拓実さん(左)

本学 法学部・法学研究科OBの萩原拓実さんを招き、「情報化と社会の問題」について、植村ゼミの2年次生・3年次生の学生と対談を実施しました。萩原さんは論文「政治参加とイノベーション—ネット空間の現代的重要性とその政治的活用」で2012年度に修士号を取得し、現在、IT企業に勤務しています。以下では、授業時の質疑応答と授業後の懇談を組み合わせて、Q&A形式に再構成してみました。萩原さんは学位取得後も勤務の経験も踏まえ、情報化の影響を考究され続けています。われわれが暮らす現在の状況をどのように理解すべきなのか。ご意見を伺ってみました。
(文責 法学部教授 植村 和秀 教授)


Q:SNSの活用が広まった一方で、意見の対立が激しくなっています。SNSで中立の立場というものは難しいのでしょうか?

A:技術者は、パーソナライズのように個人に適した情報を効率的に提供することに疑問を感じていません。その意味で、中立であることに優先的な関心はないと思います。技術者が追求するのは効率化であり、これは中立化とは違います。IT技術者は、できることを増やしてきました。既存システムの効率化や、新技術を開発して代替システムに乗り換えていくことに熱心に取り組んできました。これが、IT技術者にとってのインターネットの発展なのです。つまりそこには、人間の性質への考慮、人間性への問いというものは、通常、入っていないのです。

インターネットは、いわば主観の世界であり、技術開発の重点は、情報をいかに効率的に発信してその主観的利用を効率化するのかにあります。しかし、質問のように中立の立場(客観的な立場)を取りたい場合もあるわけですが、すでに述べたように、そういったことに技術者側の優先的な関心はありません。その間のズレが埋まる見通しというのは、さしあたり想像できません。技術者側と利用者側のすれ違いは、重要な問題です。

社会がより良い方向に進むためには、主観と客観の両方が必要だと考えますが、技術者側にそれを求めるのは困難でしょう。

Q:SNSの活用は政治の世界に及び、日本でも諸政党が利用しています。これは、政治への関心を活性化すると考えますか?

A:これは、手段は動機ではないという問題に関わると思います。政治にアクセスする手段はSNSも含めて新しいものが出現しています。しかし、国民が政治に働きかけたいという動機がなければ、また、政治の側も国民の意見を取り入れたいという動機がなければ、手段が新しくなっても、影響は限定的なものとならざるをえないはずです。

動機が手段を活用するのであり、情報化の中で出現する手段が政治を劇的に変貌させることはない。これは、私の修士論文の見通しでもあり、現在もこの意見は変えていません。

Q:インターネット空間の言論が荒れているように感じます。炎上事件などを知ると、情報を発信するリスクを強く意識せざるをえません。空間を限定する方向性といったものは出ていないでしょうか?

A:インターネット空間をめぐる議論で現実化してきているのは、Web3.0です。これは、分散志向・コミュニティ志向の動きとなります。現在の双方向性を志向したWeb2.0 のインターネット空間では、GAFAと呼ばれる巨大企業による「支配」が顕著となり、これを受けて分散型社会を目指す気運が、ブロックチェーン技術など新たな技術を活用する形で高まってきています。ただし、トラブルへの対応を誰がするのかなど、考えなければならない問題がまだまだあります。

*参考 デジタル庁のWeb3.0研究会報告書(2022年12月27日公表)には、以下の現状認識が記されています。
「近時、Web3.0 と呼ばれる新たなテクノロジーを活用した分散アプリケーション環境と、その下で構築される世界観をめぐり、グローバルに大きな動きが見られる。特に、経済社会の中核的要素である「金融」「資産・取引」「組織」等において、新たなサービス・ツールが出現し始めており、これらは、既存のサービス・ツールの役割を一部技術的に補完・代替する可能性があると考えられている。
Web3.0 と関連して論じられるサービス・ツールとして、暗号資産、DeFi(分散型金融)、NFT(非代替性トークン)、DAO(分散型自律組織)、メタバースといったものが存在し、それぞれのサービス・ツールによって、便益やリスク、抱える問題点は様々である」。 デジタル庁HP「Web3.0 研究会報告書~Web3.0 の健全な発展に向けて」、2022年12月、6頁  Web3.0研究会|デジタル庁 (digital.go.jp)(2023年1月5日最終確認)

Q:ブロックチェーン技術の発展が暗号通貨(仮想通貨)の普及を後押ししている、という印象があります。しかしどちらも、何なのか分りません。難しそうで、とても理解できそうに思えません。

A:仮想通貨といえばブロックチェーンのように言われることがありますが、ブロックチェーンは仮想通貨を形作る(重要ではありますが)一技術にすぎません。その意味で、その用途は仮想通貨のような投資のためだけにあるものではありません。UNHCR (国連難民高等弁務官事務所)などは、ブロックチェーン技術を活用した難民への人道支援も行なうようになってきています。

ただ、どの程度社会において活用可能なのかは不明瞭で、今は期待先行の状況です。本当に発展していくのかどうか、断言することはまだ早いと思います。  

Q:AIで何でもできる、という印象があります。

A:現在のAIはドラえもんのように何でもできるわけではありません。そういったイメージを抱かないような名称、例えば機械学習を利用した製品とでも呼ぶ方が良いように思います。現状では、限られた範囲内の、人間に理解可能な物事についてしか対処できません。思考を跳躍させる思いつきといったことはできないのです。何かを利用する時、できることを知ることは大事ですが、できないことを知ることも大事です。マスコミの報道は期待先行で、楽観的すぎると感じています。

Q:分散型のインターネット空間というのは、実現するのでしょうか?

A:双方向性が進展したときには、各個人が自由に交流するような未来が夢見られてきましたが、現実には巨大企業が台頭し、時に強権的な運営が行われるようになってしまいした。もちろん、それによって秩序が確保されたり、著作権上の問題が解決されたりといった利点があります。

一概に悪いこととは言えないのです。他方で利用者の側にも、インフルエンサーと呼ばれる人たちが出てきました。どこかに情報のポイントはできるものであり、分散して同じ平面で相互交流が行なわれるようにはなっていません。Web3.0というのは、より分散型の方向にインターネット空間を再調整しよう、再調整したい。そのような動きであり夢であるというイメージで、理解するのがいいかもしれません。

Q:情報化は社会を変えると思われますか?

A:この十年間で変化への期待値は上がったと思います。できることが増えているのは、たしかです。しかし、それで本当に変わっているのか、社会が良くなっているのかについては、疑問に感じざるをえません。

SNSと政治への関心についてのところでも述べましたが、動機があっての手段です。新しい技術があるだけでは、社会は変わりはすれど良くはなりません。結局、社会を変えたい、良くしたいということを実現するには政治の力が必要なのです。技術や技術者まかせにしてはダメなのです。しかし、残念ながら日本では個人から政治への入力が弱すぎますし、関心も低いです。

そこで日本の政治家が、もっと熱量を持って、国民に語りかけてほしいと思います。厳しい言葉であっても、この情報化の進む時代に語るべきことを語ってほしい。それがまずあって、技術を活用するのはその先だと思います。変わるとするならば、人間の側が変わっていく必要があります。そうすれば、情報化が社会を変えるのではなく、情報化によって社会が変わることもありうるでしょう。

Q:情報化は人間関係を変えると思いますか?

A:インターネットへのアクセスは、一応、平等です。しかし、そこで自由に振る舞うためには、スキルが必要です。しかも、スキルを身に付けても、インターネットでの人間関係はつながりが弱く、思わぬ誤解が生じてしまったり、長続きできなかったりします。インターネットは場所ではなく話題に人が集まるので、そもそも持続性に難があるのです。加えて、技術的効率化の進展は、物事を持続させるために必要な関心や理解を以前よりも持ちづらくさせているように感じます。

さらに、情報量が少なく細切れにされたSNS、たとえばTwitterやTikTokといったサービスの人気が高かったり、長いコンテンツが避けられて短いコンテンツが次々と消費されることを聞くと、技術的効率化に過度に傾いた情報化は人間関係を弱くすると感じられてなりません。

Q:最後に、情報化の未来について萩原さんの見通しを教えてください。

A:プログラムを開発・適用していかに運用するかは、作成者や利用者の意思次第であり、意思決定における明確な手続きや透明性の保証はありません。乱暴に言えば、最新技術がリリースされた時点で、それは法のように機能するのです。それがどのような影響を及ぼすかは、技術者にとって、技術をインターネットに放り込んだ後に起きる不可避的な現象、いわば一時的な嵐のようなものにすぎないのです。技術の開発と即時リリースが可能になる環境は、開発したものをリリースする際のコストを格段に下げます。これはインターネット最大の利点の一つであると私は評価しています。

しかしそれは、権利や法の内容、それらを定める際の手続きの透明性といった民主主義にとって大事なものとは直接の関係がないのです。

技術者の姿勢やインターネットの性質を考えると、インターネットの問題は、現実の施策で解決するしかありません。その意味で、インターネットは現実に代替する独立した空間ではなく、あくまでも現実を土台として、その構成要素を一部そぎ落とした特異な空間にすぎないのです。

インターネットが一般に普及して30年近くが経ち、ここ10年あまりは特に劇的に利用者が増加し、その環境も変化しています。1990年代の牧歌的な雰囲気から、2000年代中盤あたりからの情報の氾濫へ、そしてここ最近の偽情報の伝播や誹謗中傷の社会問題化へとインターネット環境は変化してきています。

そのもたらす問題の改善において、政治や法の果たす役割は大きいと思います。現実の政治や法から切り離されたユートピアのように語られてきたインターネット世界なのに、現実がある意味で復権する流れになっているのは皮肉なことです。しかしそれは、インターネットが社会インフラ(社会の基盤となる仕組み)としての重要性を高めたからであり、不特定多数の人が使うインフラだからこそ、現実の仕組みが切実に必要とされているのです。

インターネットは現実の障壁を超えますが、海外の法も国境を超えて日本にも影響を及ぼしています。EUのGDPR(EU一般データ保護規則)という法が、日本の情報サービスに対応を迫るということが現実に起きています。
こういったことを踏まえると、技術者はこれまでよりもはるかに、社会的責任が問われる時代になり、政治や法律、政策はますます、情報化への責任を引き受けるべき時代になったのだと思います。


技術者の立場にある萩原さんとの対話は、生まれた時から情報化の中にいるゼミ受講生のみなさんにとって、きわめて実り多いものであったと感じました。お忙しい中、お話しいただいた萩原さんに心から感謝申し上げます。なお、この対話の文責は植村にあることを申し添えます。

 

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