昭和100年をどう迎えたらよいと思いますか?

2025年は昭和100年、2026年は昭和100周年となります。
それでは100年に際して、昭和という時代をどのように振り返ったらいいのでしょうか。

明治100年と明治150年

明治の100周年は1968年でした。首相官邸のホームページには、この年に行なわれた祝賀事業・行事が紹介されており、1万人規模での明治100年記念式典、歴史博物館(現・国立歴史民俗博物館)の建設や記念森林公園(国営武蔵丘陵森林公園)の整備など、さまざまな取り組みが進められたようです。(1)

ところで、このホームページの本来の趣旨は、明治150年を盛り上げることにありました。その名称は、明治150年ポータルサイトなのです。(2)

この企画を担当した「明治150年」関連施策各府省庁連絡会議のページには、「明治150年をきっかけとして、明治以降の歩みを次世代に遺すことや、明治の精神に学び、日本の強みを再認識することは、大変重要なことです。このため、「明治150年」に向けた関連施策を推進することとなりました」とあります。(3)さて、2018年がその年だったのですが、はたして皆さんのなかで、このことを記憶している方はどのくらいおられるでしょうか。

率直に言って、明治150年は盛り上がらなかったと思います。
政府でも民間でも、たしかに、さまざまな取り組みがまじめに実行されていました。ただ、明治という時代はあまりにも遠く、明治生まれの人に直接話しを聞く機会はまずない現在です。それでもあえて明治を祝おうとするのは、特別の理由があれば決して不自然なことではありません。しかし、明治の150年を今祝おうと思う理由、心に響くほどの理由というものは見出しえたのでしょうか。実際には、よく分からないままに時が過ぎ、全体の印象は散漫としてすぐ消えたように感じられます。祝賀の意味が、結局は分からなかったということなのでしょう。

明治100年の時は、戦争の敗北から立ち上がり、わき起こる活気の中で坂道を上っていく印象の中に、現在から明治に通じる道を実感できたように思います。連想できるつながりがあった、ということです。

幕末にも昭和の戦争でも、アメリカ軍が日本にやって来ました。そうした危機の後に日本が立ち上がり、予想外の健闘を見せ、国際社会に徐々に存在感を示していけるようになります。それが、明治と昭和戦後期の歴史の流れでした。明治100年の頃は、上を向いて歩く雰囲気が明治の頃に通じていたのです。

明治100年と昭和100年

もちろん、記憶とは通常、良い所を多く思い出すものです。幕末の敗者や明治の暗い側面、戦争の被害者や戦後の暗い側面が、明治の100年を機に精密に思い出された、というわけではありません。通常、政府が明治を祝賀したのは、国民の気持ちをまとめて、日本の近代の基本的な流れを肯定したいからだろうと推測されています。またそれゆえに、明治100年を祝うことへの反対運動も、一部で盛り上がったのでしょう。

有力な雑誌であった朝日ジャーナルでは、「特集・明治100年のパラドックス」が企画され、明治維新よりも戦争が終わった1945年の方が重要なのではないかとの問題提起が行なわれています。その一方で、「外側からもう一度明治の日本を見直す必要があるのではないでしょうか」とも編集手帳には記されています。たしかに、明治は日本史が世界史と大規模に交錯した時代でした。日本史が世界史で主役級の働きをする昭和は、明治の努力あってのものです。

同誌は、100年の連続を強調するように見える政府の方針に反対するとともに、明治という時代を考える必要性と重要性を感じていたのでしょう。実際、明治100年を機にさまざまな出版企画があり、明治を考えようとする気運は高まっていたように思います。たとえばNHK特別取材班による『ドキュメンタリー明治百年』は、お雇い外国人の子孫の方々にインタビューをしたり、日本から留学した人たちの足跡を世界各地に訪ねたり、丁寧で読み応えのある一冊になっています。(6)

明治という時代を自発的に問いなおそうとすることと、政府が政策として明治100年を盛り上げようとすることは、本来、別々のことです。また、自発的に問いなおそうとする人も賛成反対などさまざまで、お互いに話しがかみ合わなかったりもします。しかし、いずれにせよ、現在から過去に通じる道があったからこそ、明治の100年は反対の声も含めてにぎやかなものとなったのです。

それでは昭和100年の時点で、現在から過去に通じる道は見出されうるのでしょうか。昭和という時代は、1926年12月25日から1989年1月7日まで長く続きました。最初の頃の日本は国際連盟の常任理事国であり、日本史上もっとも広大な土地を支配することに成功する軍事大国でした。

しかし、戦争で壊滅的な敗北を喫し、日本史上初めて外国軍の占領を受けることとなります。その後、日本史上もっとも豊かな経済大国へとのし上がり、空前の繁栄を享受します。つまり、昭和という時代は、上昇して没落し、再び上昇するという世界史上に残るほどの派手な軌跡を描いたのです。

2025年頃の日本は、この昭和という時代のどこに通じることがあるのでしょうか。国際連合の常任理事国になろうとする努力は、2000年代よりも目立たなくなっています。軍事大国への急変身は、およそ不可能でしょう。急激な経済成長を再び実現できるとも思えません。「失われた30年」とさえ言われる平成以来の停滞は、実は、じわじわした衰退ではないかとも指摘されています。つまり、日本史上もっとも派手な動きの昭和とは対照的に、動きがきわめて地味なのが平成から令和の日本なのです。

2021年の東京オリンピックが1964年の東京オリンピックと異質な雰囲気であったのも、オリンピックの商業化やスポーツ大会の日常化、感染症対策による無観客化のみならず、1964年とのつながりを見出せなかったことも一因なのではないでしょうか。明治150年と同様に、2021年のオリンピックもまじめに進行し、過ぎ去っていってしまったように感じられてなりません。過去とのつながりは心に碇を下ろすものであり、それがなければ日々の営みとともに消えていくのも自然な流れだと思います。

昭和100年を振り返る意味

こう考えてくると、100年目に政府が何かする必要はないように思われます。実際、大正の100周年は2012年だったにもかかわらず、政府は特に何もしなかったと記憶します。

ちなみに、明治150年の際には2016年10月7日の閣僚懇談会で、菅義偉内閣官房長官から施策の検討開始が説明されています。(7)その後、10月11日に内閣官房に「明治150年」関連施策推進室が設置され、(8)11月2日付の内閣総理大臣決裁に基づいて、11月4日に内閣官房副長官を議長とする「明治150年」関連施策各府省庁連絡会議の初会合が開かれています。(9)

いずれにせよ、現在から過去へのつながりが実感できなければ、政府が何かしてもすぐに忘れられてしまうでしょう。もしかしたら、反発を招くだけに終わるかもしれません。昭和という時代を振り返ることは、真剣に取り組んで、深く考えないといけない問題です。今から慌てて何かをするには、ハードルが高すぎる問題である気がします。

私は、明治という時代は非西洋圏での近代化の先駆的事例として、世界史的な意義を持ったと思います。これに対して昭和という時代は、世界史を主役級として動かしたものの、明治のような意義は有していなかったように感じられます。しかし、現在の日本に生きる人間が、昭和から学べることは多いはずです。変化する世界のなかで取り残されている感じがする現在、明治維新期とは異なり、昭和戦前期になぜ政治的変革を実現できなかったのかを問うことには特に意義があります。それはまた、平成期になぜ政治的変革を実現できなかったのかを問うことにもつながるはずです。

しかもこの問いは、今まさに上昇している国々にとっても重要なものでしょう。たとえば中国です。近代化に成功して大国にのし上がったとき、政治指導の大局を誤らないために何に気を付けるべきなのか。昭和史の教訓は、日本のみならず中国にとっても意義があるのではないか。こう考えて私は、京都産業大学法学会の学術雑誌『産大法学』に「昭和史の教訓と現在の中国」と題する研究ノートを公表したことがあります。(10)2006年のことです。

昭和100年を迎えるにあたって、世界に日本史の意味を提示することは重要であると考えます。ただし、これは学問の担当すべきことだと思います。学問は、日本のみならず世界の多くの人がそれぞれに、自由に昭和を振り返るための材料を提供することで、今こそ貢献できると感じています。

  1. 「明治100年」の際の取組
  2. 「明治150年」ポータルサイト
  3. 明治150年」関連施策各府省庁連絡会議
  4. 「特集・明治100年のパラドックス」『朝日ジャーナル』第10巻第46号(1968年11月10日号)、4頁
  5. 「編集手帳」『同』、124頁
  6. NHK特別取材班 『ドキュメンタリー明治百年』、日本放送出版協会、1968年。
  7. 平成28年閣議 平成28年10月7日議事録
  8. 「ひと&こと」『エコノミスト』94巻43号(2016年10月25日)、15頁
  9. 「明治150年」関連施策各府省庁連絡会議 第1回議事次第
  10. 拙稿「昭和史の教訓と現在の中国——国家理性の危機」『産大法学』第40巻第1号(2006年7月)PP.68-89
 

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