「建国250周年」を迎えるアメリカ

2026.03.24

2025年1月に発足した、第2次ドナルド・トランプ政権は、合衆国連邦議会での審議過程を迂回しつつ、数多くの大統領令の発布により、内政・外交両面において、矢継ぎ早に政策を展開してきた。内政面では、関税引き上げによる保護主義・減税と規制緩和・不法移民の強制送還・連邦政府の構造改革など、また外交・安全保障面では、和平のための仲介取り組み(ウクライナ戦争、ガザ・イスラエル紛争)・イラン核施設攻撃・ヴェネズエラ攻撃・イラン戦争などを進めたことは、記憶に新しい。

ここでは、2025年12月に新たに公表された外交・安全保障政策の基本方針である「国家安全保障戦略」とその特徴についてごく簡単に紹介するとともに、19世紀の「モンロー主義」(1823年)と比較しつつ、来たる「建国250周年」の歴史的意味を米国史のなかでどのように位置づけるべきかついて考えてみたい。

第2次トランプ政権の「国家安全保障戦略」と「モンロー主義」(1823年)

第2次トランプ政権の「国家安全保障戦略」は、自国利益の追求を掲げた「米国第一主義」を基調としたものとなっている。より具体的には、3つの特徴があげられよう。第1は、南北アメリカ大陸(西半球:the Western Hemisphere)を、新たな対外政策上の重点地域に据えたことである。そこには、中国やロシアの影響力強化を牽制する意図がうかがわれる。第2は、にもかかわらず、中国やロシアを必ずしも直接的な脅威として論じていない点である。かつては言及のあった「大国間競争」という言葉はなく、主に経済的な理由から、むしろ中国との関係維持に傾斜している部分が見逃せない。第3は、同盟国やパートナー国に役割・負担の一層の増大を求めていることである。各地域における防衛コストは、米国ではなく、同盟国やパートナー国が負担すべきという論調で一貫している。

西半球に関心を寄せるトランプ政権の「ドンロー主義」は、21世紀版の「モンロー主義」と称され、南北アメリカ大陸の一体化、米国の勢力圏を主張するものとして、最近注目を集めている。しかし、かつての「モンロー主義」では、1823年の宣言後から1840年代初頭に至るまで、米国はむしろ中南米諸国と距離をおく政策を選んだ。そこには、現実主義に裏付けられたある種の慎重さがあった。理由は2つあった。第1の理由は、当時のラテンアメリカが英国の帝国システムに組み込まれており、米国にとっては現実には未だ進出しがたい領域であったことによる。第2の理由は、米国への同化不能性によるものであった。米国とラテンアメリカのあいだには、人種的相違(白人とラティーノ)や宗教的相違(プロテスタントとカトリック)といった要因が存在し、当該地域においては米国のような共和政の実施は困難とみられていた。

トランプ時代の「ドンロー主義」においては、ラテンアメリカに対する地政学的視点や経済的膨張主義のみが前のめりに表出しているようにうかがえる。その意味では、1840年代初頭以降に西漸運動に邁進していく「帝国」としての米国の姿になぞらえて注目を集めている。南北アメリカは米国の勢力圏と主張しつつも、現実には同化や移民の受入ではなく、米国による資源権益の確保や開発ビジネスを念頭においたものと推察されよう。元来、「モンロー主義」には、いま一つの重要な主張が込められていた。植民地拡大を目的とした欧州列強諸国による介入を排した「市民的自由の擁護」という概念である。しかし、その主張は後景に退けられ、コインの裏側としての南北アメリカ大陸での米国によるむき出しの勢力圏意識が顕著に表れている。

「建国250周年」を迎えるアメリカ

本年7月、米国は「建国250周年」を迎える。トランプ大統領は、この一大イベントをどのように位置づけようと考えているのであろうか。おそらくそれは、同政権による政策課題の達成を印象づけ、政権の歴史的意義を強調する絶好の機会と目されるであろう。具体的な成果が誇示されるのかもしれない。外交・安全保障面では、「関税政策を手段とした貿易不均衡の是正」・「世界各地での紛争終結への貢献(ウクライナ戦争やガザ紛争など)」・「圧倒的な軍事力による成果(ベネズエラやイラン核施設への攻撃)」など、内政面では「不法移民減少への貢献」・「減税の実施」が想定される。

しかしながら、われわれは短期的な成果にばかり目を奪われるべきではない。むしろ、より長い歴史を俯瞰するなかで、米国史や世界史、さらには文明史における「建国250周年」の意味を吟味すべきではなかろうか。建国期の米国において、「独立宣言の起草」は目標を示し、「合衆国憲法の制定」は方法を指示した。曲がりなりにも、建国の父祖たちは、米国の歩むべき進路を決め、行動に対する判断基準を付与したのである。本年7月に迎える「建国250周年」は、米国が誕生したことの世界史的意味やその善し悪しを含め、そのレゾンデートルに思いを馳せる機会としたいものである。

米国はゼロサムの重商主義的手法により外部世界を貶(おとし)めることなく、国家的偉大さを追求すべきではなかろうか。確かに「白人・男性中心」や「イギリス中心」であったこれまでの米国史のあり方は改められるべきであり、昨今その「相対化」が歴史研究では着実に広がりを見せつつある。かつてジョン・ウィンスロップが語った「丘の上の町」という視点も、今日では半ば神話化しているのかもしれない。ただ、「モンロー主義」の事実上の起草者であった当時の国務長官ジョン・クインジー・アダムズが示したように、米国自身が模範を示すこと(たとえ欺瞞や矛盾を抱え苦悩しつつも、価値や理念を掲げ続けること)にこそ、世界に冠たる「輝ける」米国の存在意義があると思うのが筆者だけではないことを祈りたい。

マサチューセッツ州プリマスのメイフラワー号(Mayflower II)

高原 秀介 教授
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アメリカ外交史、日米関係史、アメリカ=東アジア関係史