ASEAN加盟国間に生じた歴史と領土をめぐる対立:プレア・ビヘア寺院の係争地問題
2025.06.17
タイとカンボジアの衝突
2025年5月28日、カンボジアとタイの国境地帯において両国の軍による衝突が発生し、カンボジア兵1名が死亡するという事件が報じられた。タイ軍の発表によれば、カンボジア側の兵士が紛争地域に侵入したことを受けて、タイ側の兵士が交渉のために接近を試みたところ、誤解したカンボジア兵が発砲したため、タイの兵士も応戦したのだという。この衝突は約10分間にわたって続き、最終的に現地の指揮官同士による話し合いを経て一時停戦にいたったものの、現在も両国は交渉を継続している*1。日本ではほとんど報じられていない事件だが、東南アジア諸国連合(Association of Southeast Asian Nations; ASEAN)加盟国同士による衝突で死者を出したという事態は、決して楽観視して良い問題ではないだろう。今回のニュース解説では、この問題についてこれまでの経緯と合わせて解説していく。
プレア・ビヘア寺院周辺地域の支配権とその移り変わり
今回の事件の舞台となったのは、タイ東部とカンボジア北部のダンレク山脈にあるプレア・ビヘア (Preah Vihear)寺院周辺の係争地帯である。そして同寺院の周辺地域をめぐっては、カンボジアとタイの間で長年にわたる領有権紛争が存在している。
プレア・ビヘア寺院はタイ語ではプラ・ウィハーン(Phra Viharn)と呼ばれ、東南アジアの近代国家が成立する以前、現在のカンボジアのルーツにあたるクメール王朝が栄えていた11〜12世紀に建造されたとされる。当時のクメール王朝は現在のタイを含む広範な地域を支配しており、その絶大な勢力を表すようにアンコール遺跡群をはじめとする様々な寺院を築き、それらはヒンドゥー教の影響を強く受けつつ、後に仏教的要素も取り入れられた。今回のプレア・ビヘア寺院もその一つにあたる*3。
15世紀に入りクメール王朝が衰退すると、1431年にシャム(現タイ)のアユタヤ王朝によってクメール王朝の首都アンコール・トムが陥落した。クメール王朝はその後およそ400年にわたりシャムによる侵攻を受け、1794年ついにシャムにカンボジア北西部の領土を譲渡するとともにカンボジア王国として事実上の保護国となった*3。しかしその後、現在のベトナムを植民地としたフランスの侵攻によってシャムは追い詰められ、カンボジア王ノロドムはそれを受け1863年にフランスの保護を求めた。その結果、1867年にシャムがカンボジア王国の宗主権を放棄することを選択し、その見返りとしてプレア・ビヘア周辺を含む領土を獲得した*3。
その後もフランスによる侵攻を受け続けたシャムは、1893年に現在のラオス地域の支配権を失い、1904年にフランス・シャム間で取り交わされた条約によって、国境線がダンレク山脈の分水嶺に沿って定められた。そして1907年にフランスが作成した地図において、寺院全体がカンボジア領とされたもののシャム側はこの地図に正式な異議を唱えず、対抗する調査も実施しなかったとされている*3。
これまでのプレア・ビヘア寺院をめぐる係争
この1907年にフランスが作成した地図については、タイも長年これを黙認して使用していたとされる。しかし、それ以降も地図の誤りを認識しながらも正式な異議を唱えなかったタイは、第二次世界大戦後になって初めてプレア・ビヘア寺院に監視員を派遣した。1953年にカンボジアが仏領インドシナから独立したことをきっかけに同地域を巡る両国の対立は激化し、1959年にカンボジアが国際司法裁判所(International Court of Justice; ICJ)に提訴したことで同地域の領有権紛争は決定的段階へと至った*2。
このカンボジアによる提訴に対しICJは1962年に、①プレア・ビヘア寺院がカンボジア領に属すること、②タイに対して寺院およびその周辺からの軍隊・警察等を撤退させること、そして③タイは1954年以降に持ち出した寺院の文化財を返還すべきこと、という内容の判決を下した。タイはこの判決に抗議しつつも、判決内容の履行を表明して紛争地域からの撤退を実施したが、寺院とその周辺を分ける独自の境界線を設けるなど、緊張は残ったままだった*2。
その後1990年代まで続いたカンボジア内戦の影響により、プレア・ビヘア寺院周辺は長らく不安定な状況にあったが、内戦終結後の1995年にタイとカンボジアは国境交渉を再開し、1997年には「境界画定共同委員会」を設置、そして2000年にはついに覚書を締結することができた。しかし、2007年にカンボジアがプレア・ビヘア寺院の世界遺産登録をユネスコに申請したことで、両国の緊張が再燃した。原因は申請時に提出された地図にあり、寺院周辺の断崖や丘陵がカンボジア領として記載されていたためタイは強く反発し、カンボジアと世界遺産委員会に対して異議を唱えた。しかしそうした異議も虚しく、2008年にユネスコが寺院の世界遺産登録を決定すると、ついに両国軍による衝突が頻発するようになった*2。
2011年に激しい武力衝突が発生した際には、国連安全保障理事会やASEANが仲介を試みたが調停は実現せず、結局カンボジアは同年4月に国際司法裁判所(ICJ)に仮保全措置を求め提訴した。この動きを受けてタイは一時的に世界遺産条約からの脱退を表明するなど大きく反発したが(その後政権交代によって脱退を撤回)、ICJは寺院地帯の主権に関するカンボジアの主張に妥当性があると判断し、軍事衝突の緊急性を踏まえて仮保全措置の必要性を認めた。その結果、裁判所は両国に対し、寺院周辺の暫定非武装地域からの軍撤退、軍事活動の禁止、カンボジアの寺院への自由なアクセスの保障、ASEANオブザーバーの受け入れ、紛争拡大の回避、そしてこれらの措置の履行状況を裁判所に対して報告することなどを命じた*2。
最終的に2013年11月、ICJによって行われた解釈審理によって、プレア・ビヘア断崖の全域がカンボジアの主権下にあると判断され、タイに対して、その地域から軍隊・警察・監視員を撤退させる義務があるとの判決が全会一致でなされた。その上で、ICJは両国に対して、プレア・ビヘア寺院が宗教的・文化的に重要な遺産であることを認識し、世界遺産憲章に基づき協力して保護に努めるべきであることも強調して言及した*2。
今回の問題に対するカンボジアの動きとタイの反応
2025年6月15日、カンボジアのフン・マネ首相は自身のFacebookにて、ハーグのICJへの正式な手紙が入った封筒を持っているプラク・ソコーン副首相の写真とともに、国境紛争を解決するためのICJメカニズムを通じて、国際法に基づく平和的解決を選択することを投稿した*4。またフン・マネはタイに対して、今回のプレア・ビヘア寺院周辺での問題だけでなく他の3件の国境地域での紛争についても言及し、それらが複雑かつ武力衝突のリスクが高いために二国間協議では解決できないとして、すべてICJに持ち込むべきだと提案した*4。こうした一連の動きに対し、タイ外務省はICJへの移管を拒否したうえで、あくまで二国間協議によって問題解決をはかるべきという姿勢を崩していない*4。
現在タイ政府はカンボジア政府に対して、国境閉鎖と近隣への電力供給を遮断するとして揺さぶりをかけているが、一方のカンボジア政府も、タイからの電力供給、インターネット接続、農産物の輸入停止、そして地元のテレビ局に対しタイ映画を上映しないように命じたことを発表している*4。両国の対抗措置の応酬は混迷の様相を見せており、昨今ますます結束の重要性が高まっているASEANにとって大きな火種となりかねない。今後も、引き続き動向を注視していく必要がある。
- Nikkei Asia (2025), One dead after troops clash in disputed Thai-Cambodian border area, https://asia-nikkei-com.ap2.proxy.openathens.net/Politics/International-relations/One-dead-after-troops-clash-in-disputed-Thai-Cambodian-border-area (Accessed: June 09, 2025).
- 石塚 智佐(2015)、「ICJ判決の解釈請求における新傾向 : プレア・ビヘア寺院事件を素材として」、『城西国際大学紀要 第23巻第1号』、PP.47-68、城西国際大学紀要委員会。
- John D. Ciorciari (2009), Thailand and Cambodia: The Battle for Preah Vihear, Stanford Program on International and Cross-Cultural Education HP, https://spice.fsi.stanford.edu/docs/thailand_and_cambodia_the_battle_for_preah_vihear (Accessed: June 09, 2025).
- Nikkei Asia (2025), Cambodia turns to World Court over Thailand border disputes, https://asia-nikkei-com.ap2.proxy.openathens.net/Politics/International-relations/Cambodia-turns-to-World-Court-over-Thailand-border-disputes (Accessed: June 16, 2025).
吉川 敬介 准教授
開発経済論、ASEAN経済、地域研究(カンボジア)