所長挨拶

2020年4月(1)

科学技術の発展と人類社会の変化
——就任の挨拶に代えて(1)——

本年度より東郷和彦前所長の跡を継いで世界問題研究所第十二代所長に就任しました。研究所の新しいプロジェクト・テーマ「科学技術の発展と人類社会の変化」の趣旨説明かたがた、一言ご挨拶いたします。

そもそも「世界問題研究所」の名称は、研究所創設を発案し、自らその初代所長を務めた岩畔豪雄の命名によります。岩畔はかつて日本陸軍において軍務局軍事課長の要職に就き、緊迫する日米関係の打開と開戦の回避とに尽力し、そして戦後には盟友・荒木俊馬の求めに応じて京都産業大学創設に協力した人物です。研究所の独特の名称には、岩畔が敗戦後二十年にわたって継続した戦争の省察を背景とする深い問題意識が籠められていました。岩畔は、大戦末期に核戦力の出現を目の当たりにして、科学技術の発達が軍事力の法外な巨大化を促した挙句、自ら人類の絶滅をさえ招きかねない脅威と化す、世界史の逆説を見て取りました。こうして岩畔が唱えた世界問題とは、全面核戦争の脅威を背景に近代科学技術文明の人間学的転換を要請する、世界史的課題を指します。言い換えれば岩畔にとってとは、国家間の交渉を通じて解決されるべき——核戦力の国際管理や世界連邦結成の提唱はその一つでした——であったばかりでなく、むしろその域を大きく越えて、——いまや人類にとって恩恵をもたらすだけでなく脅威ともなりつつある——近代文明の在り方を「人間性の恢復」に向けて粘り強く地道に転換していかなければならないという、人類共通の文明論的課題をも意味しました。

さて本プロジェクトは、研究所の永続的な発展を願い、あらためて研究所創設以来のこの主題、すなわち岩畔が謂う本来の世界問題に立ち戻るべく、かつまたそれを今日の状況に適うよう展開すべく、上記のように「科学技術の発展と人類社会の変化」という大テーマを掲げました。今日、科学技術の飛躍的な発展は、素粒子物理学と原子力工学の分野ばかりでなく、科学と技術のあらゆる分野において顕著に認められます。またそれらが人類社会にもたらす影響も、全面核戦争——人類社会に瞬時にもたらされる物理的破滅——のような破壊的で突然の脅威ばかりでなく、恩恵と脅威の両面を伴いつつ次第に人間生活の深部に浸透し、いつとはなしにそれのあり方を大きく変えてしまうような性質のものとなっています。人類が長らく国や地域ごとに育んできた多様で独自の生活形式と倫理気風は、顕在的か潜在的かを問わず、この抗しがたい影響に晒され、変化を強いられています。「科学技術は現在どのように発展し、それは人類社会にどのような影響と変化をもたらすのか」。これが本プロジェクトの大テーマです。

この大テーマに含まれる膨大で複雑な問題群の全体をそのまま期限付きの共同研究の対象とすることは、もとより不可能です。本プロジェクトのメンバーは目下のところ人文・社会科学分野を専攻する7名だけであり、この大テーマをカバーするにはあまりにも弱小な陣容にすぎません。とはいえその志において、我々7名は本学に本格的な学際的フォーラムを形成するための起点たることを願って、本プロジェクトを発足させました。本プロジェクトの大テーマは、「科学技術の発展」という理工系的な前半部と「人類社会の変化」という人文・社会科学系的な後半部とを組み合わせ、理工系の学知と人文・社会科学系の学知との対話と相互触発を狙ったものです。今後我々は、学内外の諸分野、とりわけ理工系分野の研究者との交流を積み重ね、本プロジェクトを徐々に諸分野融合型のプロジェクトへと発展させる予定です。我々は、それが総合的・学際的な主題を掲げる世界問題研究所の本来の姿であり、かつまたワンキャンパスに十学部が結集する本学の利点を活かす途である、と確信しています。本学理工系には理学、情報学、生命科学の——上記大テーマに格好の——3分野が含まれます。諸分野間の対話と連携の多様な形式を試行錯誤して探索しつつ、上記の大テーマを次第に我々に相応しいものへと特定し具体化させてゆく所存です。各位のご理解とご協力を心よりお願い申し上げる次第です。

2020年4月23日
世界問題研究所長 川合 全弘

2020年4月(2)

世界問題としての新型コロナウイルス危機
——就任の挨拶に代えて(2)——

前回に引き続き、研究所の新しいプロジェクト・テーマ「科学技術の発展と人類社会の変化」の趣旨説明の一環として、このたびの新型コロナウイルス危機を世界問題の一例として取り上げ、それをプロジェクト・テーマの趣旨と関連づけて少々論じてみたいと思います。主たる論点は、新型コロナウイルス危機の到来とそれへの対処の結果、科学技術がどう発展し、それによって人類社会がどのような影響を被るのか、言い換えれば世界問題の視座から見た「コロナ危機以後の世界の行方」にあります。

俯瞰すれば、人類の文明史と疫病とは切っても切り離せない関係にあり、従来、疫病が文明の発展を促し、文明の発展があらたに疫病を広めるという、いたちごっこが繰り返されてきました。とはいえ科学技術の未発達のゆえに疫病の原因が分からず、有効な治療法や予防法も不明であった14世紀のペスト禍の頃と比べるならば、疫病に対する人類社会の取り組みは格段の進歩を遂げています。今日では細菌学、遺伝学、分子生物学など、総じて生命科学の発展に基づいて疫病の正体が細菌やウイルスなどの病原体による感染症であることが解明され、したがってそれへの対処法として、第一に当該感染症の病原体の特定とそれに有効な治療薬やワクチンの開発が必要であり、第二に感染者との接触を避けるために検疫や隔離の措置が必要であること、が分かっています。とりわけこのたびのコロナ危機との取り組みに関して特徴的なことは、この第二の点について大きな進展が見られることです。すなわち、しばしば恣意性や暴力性を伴う犯人捜しにも似た昔の非情な隔離政策に代えて、今日の計算機科学、統計学、情報学の目覚ましい発展は、疫病を計測・制御可能な集団現象と捉え、より防疫合理的で、しかも隔離に伴う損失や不便を情報通信技術の活用によって軽減する、言わば間接的で穏やかな隔離法を可能にしています。この新しい方法は、もっぱら感染者の強制的抑留を連想させる「隔離(quarantine)」という古い標語の代わりに「社会的距離の確保(social distancing)」という洗練された新しい標語の下に、総じて人の接触機会を減らすための、政策によるばかりでなく、何より社会の自発的な取り組みとして実行されつつあります。それは単に距離を置いて行列に並ぶことだけでなく、社会生活全般にわたる身体的距離の確保を意味します。すでにコロナ危機以前から始まっていたテレワークという勤労形態や学校授業等のオンライン化がコロナ危機をきっかけとして急速に普及し、いわゆるリモート飲み会などの仮想対面型社交形式も新たに登場しています。この大きな流れはもはや止まらないでしょう。新型コロナウイルス感染症の終息は今日まだ見通せず、形勢は予断を許さないものの、疫病と文明発展との相即性を念頭にコロナ後の世界を予想するなら、その最大の特徴は、コロナ危機の克服に寄与した科学技術分野、生命科学の貢献は当然として、とりわけ統計学と情報通信技術が、感染者の隔離という直接の必要がなくなった後にも、社会認識と社会運営の有効な方法として一層深く社会に浸透し定着すること、これではないでしょうか。

さて問題はここから先にあります。世界問題の視座から見れば、このことが人類社会にもたらす影響はどういうものとなるのでしょうか。前回に私は、初代研究所長岩畔豪雄が謂う世界問題に、いわゆる国際問題の次元を超える人類文明論的な次元が含まれていたことを強調しました(科学技術の発展と人類社会の変化——就任の挨拶に代えて(1)——)。今回私は、岩畔以後の研究所史において世界問題の解釈論がさらに一段の深化を見たことに特に留意したいと思います。詳論は省きますが、その要点は、世界問題が、それを論じる人間の自覚、およびその人間の生活現場における実践と切り離せない主題であること、この点の深い認識にありました(詳しくは次をご参照ください。拙稿「シンポジウム『世界における日本の文化——いま問われるべきものの本質』について」、『世界問題研究所紀要』第35巻、217~239頁)。それによれば、世界問題とは、人間から独立して存在する対象としての世界の認識問題に尽きず、まずもって世界の中で自覚的に生きる存在としての人間の内心から生じ、生活の現場における人間の振る舞い自体を通じてそれへの応答が為されるべき、言わば実存的問題でもあります。このように世界問題が世界認識と自己認識と生活実践の三者の相即によって成り立つ主題であるということは、よく考えてみれば、自己自身を知ることから始まり、世界を良く知ることを経て、世界の中で善く生きることへと帰結すべき学知本来のあり方に通ずる道理でもあると思います。この視座から見た場合、新型コロナウイルス危機が投げかける問題とはどんなものでしょうか。

報道によれば、コロナ危機は、流言飛語の蔓延、感染者・接触者・医療従事者に対する偏見と差別、閉じ込められた家庭内での暴力、自粛の同調圧力に抗う向こう見ずな乱行などという、憂慮すべき行動を誘発する一方で、危険の中での医療従事者の献身的行為とそれに共感する人びとによる応援のような、社会連帯的活動をも生み出しています。このような人間の行為の問題はどう見られるべきでしょうか。統計学に基づく現代疫学の観点から見れば、個別的にはそれぞれ独自の意味を持つこれら功罪様々の行いも、詰まるところ特定集団内の行動分布の問題へと置換され、防疫という至上目的のために冷静に——できるだけ穏やかに——制御されるべきにほかなりません。他方で個別行為者に即して見れば、それらはコロナ危機に触発されて各人のにほかなりません。浅い自覚は浅ましい振舞いしか生まないでしょう。人間は、一つの生物種であると同時に、蟻や蜂と異なり独自の自覚をもって生きる人格的存在でもあり、この点にこそ人間の尊厳の根拠があるはずです。人間にとってコロナ危機への対処は、それが切実になればなるほど、かけがえのない人生をどう生きるべきかという、自覚的実践の性格をいっそう色濃く帯びてきます。14世紀のペスト禍の際には「死を忘れる勿れ」という古代の警句がたびたび呼び起こされた、といいます。人間は死すべき存在であるという真実が、ペスト禍を前にあらためて自己認識上の切実な主題となったものと思われます。トリアージは統計学の問題ですが、死の受容は自覚の問題です。要するに、疫学=統計学の立場から言えば人々を防疫合理的な集団行動の方針に従わせることが大事であり、他方個々の人間の立場から言えば自覚に基づいて生きることが大事です。認識論的に言えば、前者は科学的真理を、後者は人間的真理を尊重する立場であり、実践論的に言えば、前者は外的結果を、後者は内的過程を重視する立場である、とも区別できるでしょうか。しかし両者ともに人間社会に必要であることは論を待ちません。

いずれにせよこれら二つの立場は、必ずしも相容れないものでなく、物事を見る眼の違いにすぎません。特にコロナ危機の渦中にある現在、両者の調和はさほど困難なこととは映じないでしょう。「社会的距離の確保」は「自覚ある行動」として広く人びとに受け入れられています。とはいえコロナ危機が去った平時において、しかも危機克服の結果として統計学と情報通信技術とが勝利を収めた新社会において、両者の調和はそう容易くないかもしれません。総じて人間の自覚は、自らが生まれ育った国や地域固有の生活形式と倫理気風に根差し、親密な人間交際と不断の自己形成努力との所産として成立するものです。もし科学技術の発展がこのような文化土壌を貧しくする傾向を帯びるとするなら、両者の調和はいっそう困難となります。岩畔豪雄は、人間の自覚を重視する自らの学問的立場を「人間学」と呼び、科学技術に偏重した近代文明の在り方をそれによって「人間性の恢復」に向けて粘り強く地道に転換していかなければならないとし、この人類共通の文明論的課題を「世界問題」と名付けました。現今の新型コロナウイルス危機はまさにこの世界問題の意義を浮き彫りにしているのではないでしょうか。

2020年4月30日
世界問題研究所長 川合 全弘

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