戦後の日本の発展と「土地と国土」問題

報告者 東郷 和彦(世界問題研究所長)
開催場所 京都産業大学 上賀茂総合研究館 1階会議室
開催日時 2018年9月7日(金)15:30~17:00

はじめに

本報告の目的は、欧米また日本においても歴史的には大なり小なり支配的であった「建築不自由」と「相対的土地所有権」という概念・制度が、日本においてはなぜ「絶対的土地所有権」という転換をなしたのか、そのことが今現在の日本においてどのような諸問題を誘発しているのかについての考察を行うことにある。
考察を進めるにあたっては、日本における土地政策に関する四次にわたる「全国総合開発計画」と「21世紀国土のグランドデザイン」および、田中角栄以降の政治家の思想・政策を取り上げる。

池田型「一全総」

「一全総」は1962年に策定された。池田勇人内閣下での所得倍増計画(1960年)に合わせて、高度経済成長への移行、過大都市問題、所得倍増計画が取り上げられ、「開発方式」として、工業化促進と「拠点開発構想」があげられた。

田中型「二全総」

田中角栄が打ち出した「日本列島改造論」は「二全総」にも反映され、国土開発計画の太宗は、東京から大阪に至る一部の都市に富が偏在し始めた日本列島を、ハードなインフラの総合配置によって国全体を豊かなものにしたいという方向性を持っていた。「土建国家」へと作り上げていったこの方向性は、その後の全総から現代にいたるまで巨大な影響力を有することとなった。

大平型「三全総」

田中と対局な国家像として「田園都市構想」を打ち出した大平は、緑と自然に包まれ、安らぎに満ち、郷土愛とみずみずしい人間関係が脈打つ地域生活圏を目指し、個別土地所有権を鋭く批判していた。しかし、時代の必要性を先取りした感はあったものの、ほとんど定着することなく過ぎていった。

中曽根型「四全総」

中曽根からは、「国土開発」に関するビジョンが必ずしも十分に見えてこないが、「アーバン・ルネッサンス」と言われるように、中曽根内閣の経済政策の中核となった国際協調とそれを実現するための内需主導、規制緩和の帰結としての国土開発と経済活性化の方向性が顕在化したものの反映として「多極分散型国土」が打ち出された。

橋本型「グランドデザイン」

このデザインでは、「歴史と風土の特性にねざした新しい文化と生活様式を持つ人々が住む美しい国土、庭園の島ともいうべき、世界に誇りうる日本列島を現出させ、地球時代に生きる我が国のアイデンティティを確立する」と述べられ、「田園都市国家論」の流れをくむものであった。その後の小渕内閣においてもこの方向性は維持されたが、十分に政策として結実しないまま、脳梗塞で倒れることとなった。

小泉政権以降-「超利用-過疎利用」としての土地問題

中曽根内閣の「アーバン・ルネサンス」以来、バブル経済を経て、土地は「商品」となり、国民は「一億総不動産屋」と言われるように土地の値上がりによる利益の獲得に奔走するようになる。こうした流れの頂点として小泉政権時に「都市再生特別措置法」が成立し、事業者にはなんの規制もなしに自由自在に土地利用を出来る道が開けた。ここに「利用、収益、処分の自由」の究極の姿としての「絶対的所有権」が現れたと言える。 その後の安倍政権における「国家戦略特別区域法」は、容積率、道路占有基準、事業参加主体、融資基準などにおける規制緩和を認めるものであり、それによって土地所有権の「超利用」現象が発生し始めた。他方で、利益の追及に資することがないと判断された土地からは、事業と金融の総引き揚げが行われ、土地の「過疎利用」または「放棄」が「超利用」と表裏して発生している。

おわりに

このような「超利用-過疎利用」の問題に対して、「建築不自由」、「相対的所有権」の観点から克服しようとする動きがあり、2つのグループに分けられる。
ひとつは「資本的総有」を目指すもので、東京駅丸の内口を中心とする再開発において、「建築不自由」の考え方に立脚し、三菱地所を始めとする土地の所有者が何らかの形での土地所有権の相対性を認めて行動したことによって、デザインとしての統一景観を実現した。いまひとつは、「市民的総有」を目指すもので、共同体の繁栄という大きな目標のために絶対的所有権について相対的な所有で満足し、建築不自由の原則を自発的に受け入れ、新しい街づくりを現実に行う動きであり、代表例として香川県高松市丸亀町の商店街の再開発や、神奈川県真鶴町の「美の条例」の制定などが挙げられる。
今後の課題として、より具体的なケーススタディを通して、日本における土地問題をめぐる思想や運動の成功要因や失敗要因を考えていく必要があるだろう。
報告中の東郷所長
質疑応答の様子
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