経済合理性と企業戦略
—大規模Dataが語ってくれるもの—

報告者 沈 政郁(経済学部 准教授)
開催場所 京都産業大学 第二研究室棟会議室
開催日時 2018年7月25日(水)15:00~18:00

はじめに

現在の企業経済論では、「有限責任」や「所有と経営の分離」といった考え方が一般的に受け入れられており、近年の日本の企業改革もアメリカを中心とする企業システムの理論に基づいて議論されているように思う。こうした企業の在り方は普遍的な性格を有するものであると一般に考えられているが、世界的に見れば、「家族企業」の形態をとった企業が多く、米国的な企業観が普遍的であると考えるのは早計である。また組織の形態だけではなく、「企業家とは何か?」という問いについても国によって多様性があると思う。一例として韓国の財閥のオーナーが引き起こしている社会的な問題は日本では少ない。
本報告では、企業の在り方を歴史的に概観しつつ、戦後日本の経済成長における「家族企業」の役割を論じる。

無限責任から有限責任へ

西欧では、初期の企業は無限責任の形態をとっていたが、大航海時代に入り、貴族から投資を募りその企業活動から得られる利潤を配分するという今の株式会社の基礎になる有限責任の概念が実践されるようになった。しかし、アダム・スミスは他人のお金で企業活動をすると全身全力で努力しないので有限責任の概念に否定的な見解を示していた。一方カール・マルクスは、有限責任の概念には過剰にリスクをとる等の悪い点もあるけれども、資本主義の大幅な生産力の向上に繋がるので良いとする見解を述べていた。

企業運営の近代化

米国においては、ヘンリー・フォード、トーマス・エジソン、アンドリュー・カーネギーといった産業のCaptain実業家たちの活躍で所有と経営の分離の問題はそれほど目立つことはなかった。しかし、企業の巨大化、生産プロセスの複雑化などを背景として初期のカリスマ経営者たちは姿を消してゆき、1930年代にはいると所有と経営の分離は一般的な現象として捉えられるようになる(Barle and Means, 1932)。ヨーゼフ・シュンペーターはヒーローのような企業家は官僚のような企業家に代替されるけれど、資本主義の発展では避けて通れないプロセスであると捉えていた。彼は新しい企業家の姿として新結合を中心とするInnovationを起こせる役割を期待していた。1960年代に入り、アルフレッド・チャンドラーは”Visible Hand”の言葉を用いて専門経営者たちの役割を強調した。このように所有と経営の分離と専門経営者時代は普遍的なものとして最近まで続いてきた。

日本における経済成長と家族企業

しかし、2000年代に入り、実際のデータに基づいて調べてみると、世界的には家族企業が主流であり、むしろ米国と英国が例外であることが明らかになりつつある。日本でも「家族企業」の方が多くを占め、より高い業績を残している。
戦後直後は財閥解体などのGHQの政策の影響で非家族企業が主流であったが、1961年に第二部株式市場が新設されると、それ以後は家族企業がメインなプレイヤーであった。日本も家族企業大国であることが分かる。そして、ROAやTobin’s Q等の指標を用いて家族企業と非家族企業の業績を1962年から2000年まで比較すると、いずれの場合も家族企業のほうが高かった。

結論

これまで日本の戦後経済成長は、財閥の後継者である系列(企業集団)、メインバンク・システム、日本型企業統治といった観点から説明されてきた。しかし、上述したデータが示すのは、日本の経済成長は、財閥の後継者である系列ではない企業、すなわち今で言うところの多くのベンチャー企業(創業者経営企業)によって支えられてきたと捉える事ができる、ということである。その中でも1961年から1964年までに上場した家族企業は数的にもその業績的にも、戦後の日本経済を牽引してきたといえる。家族企業の視点を取り入れると、日本の戦後の経済成長を新しい視点で捉える事ができるのである。
今後の課題として、日本では戦後の日本経済を牽引してきた多くの企業家達が自発的に生まれてきたのに対して、なぜ韓国ではそれができなかったのかを社会的構造、文化的要因などの観点から比較を行っていきたい。
報告中の沈先生
質疑応答の様子
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