所長挨拶

2017年

第二次世界大戦が終わってから丁度70年、現下の世界は、冷戦の終了時に一時言われた「歴史の終焉」とは程遠い、それぞれに性質の違った様々な『自分第一(First)』がぶつかりあう、かつてない混沌の中にある。冷戦終了後のある時点からか、2001年の『九・一一』からか、2008年のリーマン・ショックからか、力と力、価値と価値、理念と理念がぶつかり合い火花をちらす中を、世界は彷徨している。
中東の世界からはISISというテロ組織が戦いと難民をうみだし、かつてない難民とテロの交錯する欧州からはBREXITが始まり、韜光養晦を脱した中国は「中国の夢」を語り、クリミアを取り戻したロシアではプーチンの下での新スラブ思想といったものが生まれつつある。『アメリカ第一(First)』を正面からかかげるトランプ氏の大統領当選は、言わばその総仕上げの感を呈する。
こういう世界的な『自分第一(First)』現象の中で、好むと好まざるとにかかわらず、日本もまた、『日本第一(First)』とは何かという問をつきつけられているのである。
私たちは、世界がそういう混沌の中にあるという明確な認識の下に、発せられるべき日本からの思想は、決して日本人や日本という国の利益にのみ奉仕する、世界と言う場を分断する狭義のナショナリズムとポピュリズムに基づく思想であってはならないという確信をもって集まった。
2012年のことである。

それから4年余り、私たちは、相互に関連する様々な問題を概ね三つの流れに整理し、それぞれに研究を一歩深め、その発表に形を与えることができた。

  • 第一に、三回の専門家によるセミナーを経て、『日本発の「世界」思想—哲学/公共/外交』(藤原書店、2017年1月30日)を上梓することをえた。私たちは、今行うべき研究は、「日本という場所」からの「世界」思想の探求でなければならないとの確信を育みつつ、哲学と公共と外交の三分野で、学内・学外からの外国人を含む20名の研究者で集まり、本書にたどり着いたものである。
    また、本研究と同じ問題意識に立ち、日独文化研究所長大橋良介氏・静岡県知事川勝平太氏を基調講演者とするシンポジウム『「日本の普遍性を問う—「見るもの」から「働くもの」へ』を開催し、その結果は、『世界問題研究所紀要』第32巻(2017年3月発行予定)に掲載される予定である。
  • 第二に、日ロの研究者日本側6名、ロシア側4名が集まり、『ロシアと日本—自己意識の歴史を比較する』(東京大学出版会、2016年10月19日)を上梓することをえた。安倍総理とプーチン大統領のリーダーシップによって、特に2016年5月以降交渉の機運が熟しつつある日ロ関係を、単なる目前の平和条約交渉からの観点からではなく、両国の歴史・文化・国民性に思いを致し、混沌とする世界情勢の下での両国提携の意味をさぐろうとしたものである。
    なお、本研究は日ロ同時出版を目指して進められ、ロシア語版は、日本語版の約一カ月前にモスクワで出版された。
  • 第三に、2015年が本学創立50周年であることに鑑み、これを記念する行事として、世界問題研究所の歩みに重大な足跡を残された若泉敬先生の業績と沖縄問題に焦点をあてたシンポジウムを二回開催した。
    まず2015年7月麗澤大学の廣池千九郎記念講堂にて『若泉敬先生の再発見—沖縄返還交渉と日本の未来』シンポジウムを開催した。基調講演は佐伯浩明元産経新聞政治部編集委員。若泉敬先生の業績をふりかえりつつ、日本の安保政策、対米交渉、教育との関係等について議論を深めた(『世界問題研究所紀要』第31巻(2016年3月発行)に記録掲載)。
    次に2015年12月京都産業大学むすびわざ館にて『沖縄問題と「複合アイデンティティ」』シンポジウムを開催した。基調講演は佐藤優氏(元外務省主任分析官・作家)。目前の沖縄基地問題の背景にある日本と沖縄のアイデンティティ問題を掘り下げて議論した(『世界問題研究所紀要』第32巻(2017年3月発行予定)に記録掲載予定)。
    なお、これらの研究で得た知見は、別途拙著『沖縄返還交渉と北方領土交渉(仮題)』として2017年3月PHP出版より上梓される予定である。

さて、問題はこれからである。
2016年度に入り、研究所では、それまでに行われた研究活動をしっかりした記録の形に残すとともに、それらの成果を次の三年間をめどとする研究で深化・拡大する方向性を真剣に議論してきた。
だが、『自分第一』が席巻する世界の混迷に如何なる切り口を持って臨むか、混迷が深い分だけ、私たちの議論においても、直に皆が納得する切り口など生まれるはずもなかった。
世界問題としての議論を始めるのであれば、理想は、無前提に地域と問題にぶちあたることである。しかし現実には地理においても、事項においても、私たち共同研究者の関心と持ち味を勘案しつつ、ある程度の選択と集中を進めることも不可欠である。
2017年の新年にあたり、以下の三つのキーワードを提示することによって、これからしばらくの私たちの共同研究の手がかりとしておきたい。

  • 地域としての「ユーラシア」。これまで私たちが積み上げてきた分析の圧倒的地域的関心は、ユーラシアにあった。もちろん、日本はその東の端に位置するわけであり、そこは直に太平洋に面しているわけであるから、このユーラシアは太平洋含みのユーラシアとして考えたい。これから二年余り、私たちの分析の主要関心地域は、そういう意味でのユーラシアであり続けるということである。
  • 内部への切り口としての「市民社会」。内部に切り込むにあたって、多数の研究者がもった共通の問題意識が「市民社会」の形成だった。もちろん国によってこの課題は大きく変わる。けれども少なくとも日本にとって喫緊であり、かつ、多くの国にとってとても重要になりつつあるのは、この課題ではなかろうか。何らかの形で、この側面を深めながら議論していきたいという方向性に異論は見られなかった。
  • 外部への切り口としての「和らぎの外交」。ユーラシア大陸に日本として切り込むことを一言で要約するなら、それは「外交」ということになるだろう。しかしここは、あえて、『日本発の「世界」思想』の最後の結論としてうちだした「和らぎの外交」をキーワードとしておきたい。この言葉を考えることによって、私たちは常に、これまでの研究のエッセンスに戻ることになる。これはまた、アイデンティティについての相互認識を鍵としながら、ロシアとの関係をも、沖縄との関係をも深めようとするにあたって、見事に共通する切り口だと思う。

世界問題研究所がこれまで組織的な努力を重ねてきた上海、ソウル、台北、モスクワ、ワシントン、ライデン、更に、ハノイ、キャンベラ等との知的ネットワークの強化に引き続き注力するは、言うまでもない。
学内・学外で各位の一層の理解と支援を、心よりお願いするものである。

世界問題研究所長 東郷 和彦
2017年1月1日

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