アベノミクスと日本財政を巡る課題

アベノミクスと日本財政を巡る課題

報告者 吉田 和男(本学経済学部客員教授)
開催場所 京都産業大学 5号館 ミーティングルーム1
開催日時 2017年9月27日(水)15:00~16:30

はじめに

2012年12月に誕生した第二次安倍内閣において掲げられた経済政策であるアベノミクスについて、現時点で何が求められているのか、アベノミクスに至る経緯を終戦から歴史的に振り返り検討する。

高度経済成長の終了からバブル崩壊への対応

日本は戦後、今の中国以上の高度経済成長を達成し、敗戦国が世界第二位の経済大国となり、ミラクルと呼ばれた。しかし、70年代に2度のオイルショックが生じ、高度成長から安定成長へと移行した。
ところが、80年代半ばに、土地の価格が4倍ほどになるという異変が起こる。通常、土地の価格は上昇と下降を繰り返すが、当時は土地の値段が上がると、上がったことをもってして、また上昇するというとんでもない好景気の時代であった。そのような中で、中東の戦争や金利の引き上げに伴う物価の上昇によって、次には、土地の値段が下がり出し、損切のために、土地を売るという自己実現過程、すなわち、バブルとは逆に、それに合わせて消費がまた減り、経済活動が急下降する悪循環に陥った。
政府はこれに対処するため、ISLM曲線に合わせ、教科書通りに公共投資を大規模に増やしたが、借金だけが残った。当時増加していた公共投資は、地方公共団体が借金をして行われ、国が地方交付税によって返済に充当させていた。これは政治ともリンクしており、建設業は自民党の票田であった。しかし、それでも景気は回復せず、経済学の主流はISLMから離れ、政府支出を公債でも賄っても租税で賄っても経済的効果は等しいという中立命題へ移行し、それを論拠に公共事業が行われた。それでも景気は回復しなかった。
金融もまたISLMに従って引き下げたが、公定歩合がついに0となる。バブル時には土地を購入するための資金を銀行が貸し付けていたが、その金額が巨大であったため、バブル崩壊後には40兆にも及ぶ不良債権問題が生じた。銀行はいわゆる貸し渋り、貸しはがしの対応を取り、銀行自体の機能低下が生じたことが問題であった。これが健全化されるには小泉内閣を待たなければならない。

小泉内閣から民主党政権へ

小泉内閣では、これまでとは逆に、公共投資を減らそうとした。自由経済が成長をもたらすという論拠で、いわゆる経済の構造改革、規制緩和が行われた。
当時は、中小の銀行が破産する中で、大銀行がつぶれるかもしれないという状況にあり、金融改革の必要性から、竹中平蔵(当時:経済財政政策担当大臣)を筆頭に金融緊急改革プロジェクトチームが組まれた。焦点は銀行に対して公的資金を投入するか、という点にあったが、銀行は信用の低下を恐れ反対した。結局、最大2兆円の公的資金の投入が行われたものもあった。投入額が多い銀行は信用が低下するため、銀行側の要求で、各銀行同じ額が投入された。しかしそれでも好転しなかった。
そのような中で、2008年にサブ・プライムローンに端を発するリーマンショックが起こった。2009年から2012年まで政権を担った民主党は「コンクリから人へ」を掲げ、いわゆる4K(子供手当、高校無償化、(農家)戸別補償制度、高速道路無料化)を行うも、経済は回復しなかった。

アベノミクスの検討

こうして2012年12月に再び与党となった第二次安倍内閣において、①大胆な金融緩和、②機動的な財政政策、③民間設備投資を刺激する構造改革(成長戦略)、を三本の矢とするアベノミクスが掲げられた。これは、ISLM的な政策をひっくり返したリフレーション政策であった。すなわち、リーマンショックによってもたらされたデフレによって景気が悪くなったとの認識からインフレを起こすことを目指している。いわゆる2%のインフレターゲットである。さらには、政策金利と公定歩合を0とする政策を行った。国債を日銀が引き受けることはできないが、流通している国債は購入することができるため、大量に買い上げることによって通貨を増やし、インフレを起こそうとした。ところが、国債以外にもETF株(上場投資信託)などの購入によって市中の通貨を拡大したがインフレにならず、現在では政策金利もマイナスになっている。
金融を緩めると円安(輸出が儲かる)となり、活力自身は高くなっている。有効求人倍率も1.5倍を記録し、日本経済は悪くないように見え、インフレにならないのに、有効求人倍率は高くなっているという状態にある。この現状を鑑みれば、金融の出口政策、国債政策の出口政策が必要となってくるだろう。
吉田 教授(報告の様子)
質疑応答の様子
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