プラザ合意再考~経済敗戦か、それとも政治敗戦か

報告者 東野 裕人(世界問題研究所 客員研究員)
開催場所 京都産業大学 第二研究室棟 会議室
開催日時 2017年7月26日(水)16:00~18:00

はじめに

経済理論的には誤謬に満ち、しかも日本の国益を大きく損なう恐れのあった政策を、大した準備もなく、国際政治の舞台でナイーブに、しかも大胆に実施することを約束したプラザ合意の本質を政策形成過程と回想を交え検証する。

プラザ合意とは?

プラザ合意は、1985年にニューヨークのプラザホテルで、日・米・西独・英・仏の間で成立したドル高是正の合意である。その本質は、米国の米国による米国のためのドル安合意で、それは、レーガン1期(1981~1985)時代の「強いドル、強いアメリカ」政策からの転換を象徴する。プラザ合意前の1985年9月20日には$=242円であったが、2年後の1987年末には$=122円に上昇した。

プラザ合意の経済的・政治的意味

80年代の米国は、自国の経常収支の不均衡を調整するために、黒字国を世界経済における不安定要因と非難し、二国間交渉を通じて不均衡解消を要請した。マンデル・フレミング理論の応用問題と言ってよいほどの純粋な国際マクロ経済学の問題が、政治的アリーナに舞台が移され、日本は準備不足のままプラザ合意に臨み、その後の政策運営も失敗した。

おわりに

日本を吉田茂がレールを敷いた『平和と経済の国』から『平和と政治と文化の国』に前進させたいと中曽根首相は語っていた。「戦後政治の総決算」をスローガンとして掲げた中曽根首相は、その得意とする「政治」で、「経済」を大きく傷つけた。時に、「経済敗戦」と呼ばれるプラザ合意ではあるが、驕れる政治のもたらした「政治敗戦」でもあった。
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