「市民社会/共和国/経済人」 ‐公共をめぐる社会的想像の変化についてのスケッチ

報告者 中谷真憲(本学法学部教授)
開催場所 京都産業大学 第二研究室棟 会議室
開催日時 2017年5月24日(水)15:00~16:30

発表概要

はじめに

近代以降、公と私が分離する中で、公共という領域はどこにあるのか。経済をみていくと、プライベート・カンパニーと言われるように、私的領域として考えられてきた。しかし、経済はそもそもこの私的領域の問題なのか。単に思想史的に追うのではなく、チャールズ・テイラーを手掛かりに、社会が社会についてどう自己理解してきたか、という観点からこの問題を考えていく。

社会の道徳秩序の変遷

前近代は目的論的世界観として理解されていた。すなわち、公共善と職能区分との結び付きがあった。原則的に親から受け継がれる職能は、コスモスの秩序と対応し、職能区分同士が有機的に連携していたと理解される。
この前近代から近代への過渡期としてバロック期があり、グロティウスやロックに見られる自然法理論がその特徴としてあった。グロティウスの発想は神から抜け出せていない部分があり、そこからしかし、人間にはだからこそ理性的な力があるんだということになり、近代への準備段階として位置づけられる。ロック解釈としては、所有的な個人主義という考えがあり、そこから、市場経済、大きな文明への移行という形で、互恵関係としての経済という考え方が出てくる。
そのような準備段階を経て、機械論的世界観としての近代の時代に入った。すなわち、職能が天命から切り離され、道具的個人的なものとなった。近代における経済人とは、有用性の中で働く経済人ということになり、善の概念と結びつくコスモス的秩序という考え方が後景に退く。ただし、それが即アノミーをもたらすということではなく、スミス的な経済における新しい社交原理が出てくるという見方が可能である。

政体から区別される市民社会の三次元

ここで、市民社会を見ていくと、政体から区別されるような市場経済、公共圏、人民自治(人民主権)という三次元が明確になってくる。
スミス自身、スミス的な、そしてそれ以前にはウェーバーも指摘しているが、温和な商業観には「女々しい」人間を作るのではないかという恐怖が常に付きまとっていた。ところがアメリカの場合には、自分で道を切り開く「雄々しい」経済人像があり、ここに、経済人と公共的な権益が結び付くようなものがあった。
公共圏に関して言えば、18世紀にヨーロッパで成立したそれは、政治の外部に形成された。いわばメディアを通じて、政治の外部から、権力の外から権力に対して言論を発していった。
人民主権について言えば、アメリカを含むイギリスをはじめとするアングロサクソンの考えと、フランス的な人民主権の考えでは、前者が革命のたびに代表制へ立ち戻ることを要求していたのに対し、後者では、代表制へのチャネルが長らく閉ざされていたために、そこへ立ち戻ることができず想像力なき革命が続いた。政治の再発明に利用されたルソー的思想は代表制を忌避し、直接民主制への親近感が出てくることとなった。さらにルソーの徳の考えは、経済人批判、ブルジョワジー批判に通じた。

今日の市民社会についての整理

権力と経済界の一体性が意識される中で、出発点であった経済人と市民社会の関連が失われていくこととなる。例えば日本においては、マルクス主義の影響や1960年代の反公害運動によって、政界と財界(=権力と経済界)に対する反権力の市民運動として現れた。フランスでは、ルソー的な思想の中で徳治が表に出て、公教育重視といったフランス的平等観の定着があった。アメリカでは、国の成り立ちからして、ヒロイックな経済人像があり、成功し寄付をおさめることで、国家に貢献することが善き市民のモデルとなった。
ところが、グローバル化(-zation)という現象の中で、主義主張としてのグローバリズム(-ism)vsナショナリズムという構図が、ふたつの共和国を宿命的に覆うこととなった。フランスにおいても、アメリカにおいても、ナショナリズムが左右問わず、グローバリズム批判として出てきた。しかし、フランスでは人民主権への呼びかけが、アメリカでは政治の外部にいる成功した経済人に頼る形で、ポピュリズムに行き着いた、という政治文化に規定されたプロセスの違いを見落としてはならない。

おわりに

ビルンボームにならって言えば、「強い社会/弱い国家」としてのアメリカ、「弱い社会/強い国家」としてのフランスということが言える。グローバリズムvsナショナリズムが、右派vs左派という形式を飲み込み、経済人をめぐる議論が大きな対立軸として現れてくるのではないか。
報告中の中谷教授
質疑応答の様子
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