ロシアの魂・ベルジャーエフの宗教哲学

報告者 森 哲郎(本学文化学部教授)
開催場所 京都産業大学 第二研究室棟 会議室
開催日時 2016年11月30日(水)16:00~18:00

発表概要

はじめに

ニコライ・ベルジャーエフは1874年にロシアのキエフで生まれた。1917年のロシア革命の直前に書かれた「ロシア共産主義の歴史と意味」(付)ロシアの魂(1915)と、「精神と現実」(1937)の神秘思想‐その矛盾撞着と成果(第6章)を中心に、ベルジャーエフによってロシアがどのように捉えられていたのかを報告する。

ベルジャーエフの神学観

ベルジャーエフは、神学をある種の客体化というふうに捉え、そういったものとは異なる哲学を志向する。ディオニュソスの密儀は自然的な死と自然的な誕生という、自然的生命そのものの循環にあったが、ベルジャーエフは、キリスト教だけが人間をその元素的自然の循環から連れ出し、独立させ、その精神に自由をふたたび与えた、言う。キリスト教は自然を殺して、人間に自由を与えた。
ベルジャーエフはドイツの神秘主義者エックハルトを引用し、次のように言う。「神様」と呼べるもの、すなわち、言葉でイメージできるものは神ではない。「神は〇〇である」という肯定的なものとしてではなく、「神は〇〇ではない」という否定によって成り立つのであり、神なきところに真の神を見るのである。

ロシアのキリスト教と西欧のキリスト教の違い

西欧の根底には、法律的・人間中心主義な一面があり、神との一体に反発する。
他方、東欧は、生命的であり、「大地に接吻する」、愛の共同体である。ギリシャ正教の神秘思想によれば、すべては高みから下へと下降していくのであり、そこには創造主と被造物とを分かつ深淵がない。ギリシャ正教では、神が人間の相手・対象となることはなく、神が、人間の情欲・欲求の対象となることなど、およそ不可能である。そこでは、神は人間の中に生まれ、我々が神の中で生まれ直す(テオーシス)のである。

ロシアの魂

ロシアには行けども行けども地平線がない。1812年にナポレオンがモスクワに侵攻した際には、「ナポレオンに占領されるくらいならば、自分たちの手で焼いてしまえ」と自らモスクワの町に火を放ったように、ロシアの魂は極端から極端へと動く、極端主義的な特徴がある。
この矛盾の極致、二律背反の国、そこにロシアの不思議な怖さがある。
報告中の森教授
質疑応答の様子
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