日本文化研究所への期待

所報 創刊 號 掲載(平成7年9月発行)より

本年、京都産業大学は、創立三十周年を迎えたが、この意義深い年に、新しく日本文化研究所を設立するに至ったのである。

もちろんわが大学は、創立以来、日本文化の顕揚につとめ、ことに海外においても、その本質について理解してもらうように努力してきた。特にニュージーランドのマセイ大学における日本語教育に協力して、日本文化の国際的理解に顕著な成果を挙げてきたのである。それからすでに十数年経ち、パーマストン・ノース市に文化交流のための事務所を設け、毎年、教授を派遣するに至っている。このような試みは、さらにインドネシア等においても為されようとしている。いわば、当然の発展であるとしてよい。とすれば国際化時代に対応して活躍すべき我々は、今こそ、日本文化についての正しい理解を持つべきであり、そのための研究を深めるべきである。それが日本文化研究所を設立するに至った一つの理由である。

さらに視野を拡げてみれば、今年は、戦争が終って五十年という節目の年である。これまでの半世紀にわたる期間は、もっぱら、破壊され、焼土と化した状態から立ちあがり、経済力を回復し、国民の生活水準を高めるために総力をあげ努めてきた時期であった。いわば経済発展に努力を傾注してきたのである。とすれば、おのずから、日本文化については、忘れたわけではないが、いつの間にか軽く見るようになってきていたことは否定することができない。  しかし今日になれば、国際交流がはげしくなり、自らのもつ文化とは異なる文化に生きる諸民族とともに生きていかなくてはならない。我々が、敢えて「日本文化研究所」の設立に踏みきったのは、そのためである。いわば国際化時代において活躍しなくてはならなくなったからこそ、「日本文化」についての深い研究を必要とするようになってきたのであ る。

こうして日本文化研究所が設立されたのは、四月であるが、それから半年、早くも所報の第一号が発刊されることになった。まことにめでたいことである。所員諸君の連日にわたる努力の成果が、早くも一つの実を結んだのである。これからの発展に大きな期待を寄せたい。

ところで、これからの日本文化の研究について、特に私の望むところ、いや明らかにしていってもらいたいことを幾つかあげてみることにする。

その一つは、やはり、日本文化の始原的な形成期の状態については、いまだ判っていないことが多いと思われるが、それについて深く研究を進めていってもらいたい。ことに戦後は、実証主義的研究が主流となり、たとえば考古学的証明を伴わない研究は、なんとなく軽く視られるようになっている。しかし伝承などによる民俗学的研究、神話の持つ意義についての研究などは、決して軽くみられてはならぬ。また日本民族はどこから来たか、日本語はどうして成立したか、日本文化の原型は如何なるものなのか等は、他の専門分野の協力なしには、明らかにすることはできぬ。日本文化の本質に迫るには、このような研究が極めて重要である。

二つには、日本文化の発展の過程についてみるに、それは、概して、極めて内向的・内省的な方向をとって進んできたのであるが、それが日本文化を非常に判りにくいものにしているように思われる。さればその特質を明確に浮かび上がらせるという研究が重要となってくる。

言うまでもなく、日本文化も、すでに古い時代において、中国大陸から高いレベルの文化をとり入れて発展してきた。しかし日本は島国であって、孤立しており、絶えざる交流ということは容易にできなかった。けれども一たび取り入れた文化についてはそれを消化し、日本的に同化していくのに長い時間をかけてきた。やがて鎖国政策がとられ、いわば文化孤立の状態に入るに至った。それが一面では、文化の独善主義を醸成することになった。しかし他面では寧ろ内面的に自らをより深く掘り下げていき、その深さを増すという方向をとって進むことになった。あるいは内省的に、あるいは精神的に、いよいようかがい知りがたいところまで至った。諸般の文芸について見ても、また諸種の手技術において見ても、そう思われるのである。茶の湯や俳諧などで言う「わび」だとか、「さび」だなどという言葉は、外国人には、容易に判ってもらえそうにない。それが、あるいは日本文化の一つの誇るべき特質なのでもあろう。

ところが、その日本文化が明治以来、怒涛のように押し寄せてきた泰西文化に呑みこまれてしまった。と言っても日本文化は、どこかへ消えてなくなったと言うことでもない。その中で生きてきた日本人は、依然として日本文化の中で生きつづけているのである。ただ絢爛たる西洋の科学文明の前では、あたかも日かげもののように見えるに至ったのである。しかしそれでは困るのである。我々は、進んで長い年月にわたって培ってきた文化の特質を明確にし、もって国際的な文化交流に対処していかなくてはならない。

もちろん、世界の将来は、それぞれの民族、あるいは民族国家が、それぞれに異種異質の文化を背負いながら、しかもそれぞれの文化特質に応じて、相互に扶け合い、相補い合って、もって一体となっていかなくてはならない。その意味で世界は一つになっていかなくてはならない。私が長い年月にわたって主張してきた「職分協同体」というのは、そのようにして一体化した世界を、終局の目標としているものである。(別稿「文明への展望」参照)

かくして日本文化研究所に対する私の期待は、極めて大きい。

学長 柏 祐賢


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