2025.08.01

時をこえて。講談で学ぶ京都の人々の挑戦。【講談で学ぶ日本経済史(3)】

経済学部の専門教育科目「日本経済史A」(担当教員:山内 太 教授)は、江戸時代から明治時代にかけての日本経済の発展プロセスを理解し、その特質や制度の重要性、社会構造との関連について学ぶことで、現代日本経済の特質を歴史的視野から見直す授業です。今回は、上方講談師・玉田玉秀斎氏による講談を取り入れた特色ある授業が行われました。幕末から明治期の京都を舞台に、歴史の転換期に奮闘した人々の姿を講談という伝統芸能を通して学ぶ貴重な機会となりました。

(学生ライター 法学部3年次 山川 諒大)

講談を披露する玉田玉秀斎氏

講談とは、演者が高座におかれた「釈代」という小机の前に座り、張り扇で机を叩きながら歴史物語を語る日本の伝統芸能です。落語と混同されがちですが、講談はより歴史的・物語性の強い芸能であり、講談を披露された玉田玉秀斎氏は、幕末の京都を拠点に活躍した神道講釈師・玉田永教の流れを汲む玉田家の四代目にあたります。

天皇の東京遷都により、心のよりどころを失った京都を盛り上げようと奮闘する人々の姿が、玉田玉秀斎氏の力強い講談で語られ、学生たちは物語に引き込まれていきました。

授業で取り上げられた上方講談の内容

物語の舞台は幕末から明治の京都。戦災によって荒廃した京都から物語は始まります。
日本初の小学校が京都に設立され、外国語学校も次々と開校するなど戦災から少しずつ復興していく中、京都の財界人たちは民間の力で何かできないかと模索し、「京都博覧会」が実施される運びとなりました。呼びかけたのは、鳩居堂の主人・熊谷直孝や三井家の当主・三井八郎右衛門、 小野組・小野善助といった3豪商。1871年に日本で初めて開催された「京都博覧会」は準備不足から、家宝を展示した骨董市のような形で終わりましたが、失敗を糧に翌年、「第1回京都博覧会」が西本願寺など3か所で開催され、大成功を収めました。春の京都の風物詩、祇園の「都をどり」が初めて行われたのも第1回京都博覧会でした。
1873年に開催された「第2回京都博覧会」では、京都御所の使用が許可され、多くの方が初めて中に入りました。それ以降の京都博覧会も挑戦を続け、京都の近代化を象徴するような新技術が数多く紹介されました。特に注目されたのが「水力発電」と「気球飛行」です。これらの技術は、京都が単なる歴史都市ではなく、革新と挑戦の精神を持つ都市であることを象徴するものでした。京都博覧会は、京都の未来を切り開く重要な一歩となったのです。


人生で初めて聴いた講談は、私にとって貴重な経験でした。それと同時に、京都は1000年の都として古めかしいイメージを抱いていましたが、実は新しい技術や催しを積極的に取り入れるイノベーションが盛んな地であったということを知ることができました。これからの日本に必要なのは、かつての先人たちのように大胆な発想で新たなことに挑戦していくことなのではないかと考えさせられた時間でした。