2025年 5 月 19 日、文化学部京都文化学科「京都文化演習Ⅰ」(担当:吉野 秋二教授、受講生
14名)で、京都市左京区の円通寺・妙満寺と周辺地域を踏査するフィールドワークを実施しました。フィールドワークに先立ち、事前に2回の授業で、円通寺・妙満寺の歴史や文化財、特に庭園について、担当班で事前発表を行いました。
教室での事前発表
5月19日当日は、まず円通寺を訪れました。円通寺境内地は、江戸時代初期に後水尾天皇(上皇)が幡枝離宮を造営した場所です。後水尾天皇(上皇)は、晩年、修学院離宮を営んだことで知られています。その後、上皇の勅願によって、離宮から寺院に転じ現在に至っています。庭園では、音声ガイドによる説明を聞きながら、江戸時代から変わらぬ姿である静寂な庭園を堪能しました。また担当班の学生を中心に庭園の意匠も確認しました。
次に第二の目的地妙満寺へ向かいました。道中、栗栖野瓦窯跡を見学しました。平安時代の『延喜式』にも記されている窯跡で、ここで製造された瓦は平安宮跡でも出土しています。
栗栖野瓦窯跡出発後、5分ほどで妙満寺に到着し、まず境内のインドブッダガヤ大塔を模した仏舎利塔を見学しました。この塔には、妙満寺に伝わる仏舎利が納められ、1階には日蓮聖人の御本尊、久遠本仏釈迦牟尼仏の尊像、豊田佐吉翁以来の豊田家一門など全国檀家信徒の遺骨が安置されています。
次に妙満寺本坊内に入り、本堂、「雪の庭」、展示室の順で周りました。本堂には、安珍・清姫の伝説にかかわる鐘を観察しました。この鐘は、紀伊国(現在の和歌山県)の道成寺で再鋳した後に清姫の祟りと恐れられ山中に捨てられてしまいました。その後、天正年間に豊臣秀吉が根来攻めを行った際に、大将・仙石権兵衛が発見し、京都に持ち帰り、この寺へと納められました。その後の供養によって現在の霊鐘となったと伝えられています。
本堂を出た後、「雪の庭」に移動しました。円通寺と同様に比叡山を借景とする眺望が綺麗な庭です。妙満寺は1968年に二条寺町から現在地に遷堂しましたが、移転前の境内にも、俳諧(俳句)の祖といわれる松永貞徳が造営した「雪の庭」は存在し、清水寺の「月の庭」、北野天満宮の「花の庭」とともに名庭「雪月花の三庭苑」と称されていました。遷堂に伴い「雪の庭」も移築され、比叡山を借景とする眺望が綺麗な庭として整備されています。担当班を中心に、円通寺庭園との異同に留意しながら、細部を具に観察しました。
妙満寺「雪の庭」
展示室では、安珍・清姫伝説の巻物、清姫を現代風にキャラクター化し有名イラストレーター達に描いた絵画などを見学し、最後に、「雪の庭」同様、二条寺町の旧境内地から移築された「中川の井」を観察し、フィールドワークを締めくくりました。
学期末には、フィールドワークで得た知見を深めレポートにまとめることになります。
妙満寺「中川の井」