前川 真裕子

MAEKAWA MAYUKO
現代社会学部 現代社会学科 准教授
学位
博士/PhD(文化人類学)
専門分野
文化人類学、オーストラリア社会、オリエンタリズム批判、異文化の他者をめぐる表象問題、ホワイトネス批判、植民地主義の問題

研究テーマ

エコロジカルなものに関する問題を人間がどのように扱ってきたのかについて:人間は存在者としての自分を「人間ならざるものたち」から切り離し確立しようとしてきたが、それははたして可能なことであったのか?

高校生に向けた研究内容の紹介

その1)現在もっとも関心を持っているのは、日本の都市におけるエコロジカルな諸問題です。人間が自分たちの周囲に存在するありとあらゆる「人間ならざるものたち」をどのように捉え、どのような共生を目指そうとしているのかに注目しています。特に、動植物の観察会を定期的にひらいている人々の活動に参加し、参与観察をさせてもらっています。

その2)オーストラリアはもともと先住民であるアボリジナルの人々が沢山の集団に分かれ暮らしていた土地です。しかしイギリスの植民地となって以降はヨーロッパを含め様々な国からの移民が流入する国となりました。私が興味を持っているのは、植民地化以降のオーストラリアにおいて支配的な立場を甘受してきたアングロ・ケルティック系住民を中心とするマジョリティのオーストラリアンたちです。最近では特に、それらの人々が自分たちの周囲に広がる自然環境と関わる中で「われわれの故郷」「われわれの国」「われわれオーストラリア人」といった集団的な物語を紡ぎだしていく様子を考察しています。

ゼミナール/研究室のテーマ

マイノリティの視点から眺める

オーストラリアに留学していました。私自身はオーストラリアを専門とする文化人類学者です*。多文化主義を標榜する国、イギリスの植民地であった国、先住民アボリジナルの人々の国、たくさんのアジア系移民が住む国、etc…。さまざまな顔をもつオーストラリアは言語的にも、歴史的にも、民族的にも多様な出自的背景を持った異文化の他者と他者が接触するコンタクト・ゾーンです。特に興味を持ってきたのは、コンタクト・ゾーンにおいて様々な立場の人々を否応なく巻き込んでいく支配と従属の構造や、その構造の中で「マジョリティとマイノリティ」の分断が生み出されてしまう問題です。そういうわけで私のゼミでは、「マイノリティ」に焦点を当てた学びを促していきたいと思います。ですが皆さんはオーストラリアついて調べる必要はありません。ゼミでは私たちが住むこの日本において、私たちのすぐ身の回りにある様々な事象を、マイノリティーの視点から眺めたらどうなるだろうかといったことを考えていきたいと思います。私と一緒に学術的な想像力を持って社会を斜めから見渡してみませんか?
*(ゼミでは皆さんからの要望がない限りオーストラリアの紹介はしません)

ゼミ/卒業研究の紹介

私はオーストラリアでの留学中に、多文化主義国としての同国で様々な刺激を受けました。オーストラリアは言語的にも、歴史的にも、民族的にも多様な出自的背景を持った異文化の他者と他者が接触するコンタクト・ゾーンです。特に興味を持ったのは、コンタクト・ゾーンにおいて様々な立場の人々を否応なく巻き込んでいく支配と従属の構造や、その構造の中で「マジョリティ」と「マイノリティ」の分断が生み出されてしまう問題です。そういうわけで私のゼミでは、マイノリティに焦点を当てた学びを促していきたいと思います。ですが皆さんはオーストラリアついて調べる必要はありません。ゼミでは私たちが住むこの日本において、私たちのすぐ身の回りにある様々な事象を、マイノリティの視点から眺めたらどうなるだろうかといったことを考えていきたいと思います。私と一緒に学術的な想像力を持って社会を斜めから見渡してみませんか?

プロフィール

出身地は神戸です。オーストラリアに留学しアデレード大学の学部を卒業しました。帰国して神戸大学の修士課程に入学した後、再びオーストラリアへ。メルボルン大学の博士課程に入学し、同大学で博士論文を書き上げ提出しました。特にメルボルンは親しい友人が住んでいるので、お気に入りの街です。現在は、京都で人々がどのようなエコロジカルな日常を暮らしているのか彼/彼女らの活動におじゃまさせてもらいながら考えているところです。

高校生へのメッセージ

今の私たちが拠り所としている国家、国民、民族、文化、伝統、法、慣習、価値感が永遠に唯一無二のものだと思ってはいませんか?百年後も千年後も変わらずそこにあるもの....。しかし、絶対に変わることなく存在し続けるものなど、この世に存在しませんよね?私たち一人一人の人間でさえ、毎日の細胞分裂を繰り返し、一秒前に主張した意見を180度ひっくり返しながら生きているのです。つまり物事に永遠に変わらず自明のものとして存在する「本質」はない。もしあるとすれば、それは「変化する」という本質があるということになるでしょうか。私たちの視野を狭くしてしまうのは自分の目の前にあるものにのみ執着しすぎることです。時には周囲を見渡しながら、変化する世界に目を向けてみてはどうでしょう。