コロナ禍が育てた若者の「歴史眼」~ナチス・ドイツ史 事始め~

プロローグ

みなさんは「ナチズム」という言葉をご存じでしょうか。「ナチズム」とはヒトラー率いるナチ党の思想を指し、ナチ党が支配した1933年~1945年の間、ドイツの公式なイデオロギーでした。その主な要素には「反ユダヤ主義」があり、この差別的な考え方に基づいて大勢のユダヤ人が迫害されたことなどは、みなさんも高校の授業で聞いたことがあると思います。それらは実際に起こった出来事ですが、しかし今を生きる若い人々の多くにとっては恐らく「遠い昔の、遠い国の話」としか思えないのではないでしょうか。

その縁遠い昔話でしかなかったナチス・ドイツ史について、大学1年次の若者たちが、昨今のコロナ禍で強いられた自粛生活の経験を通じて、それを我が事として見る「歴史眼」を育みました。今回の「News解説」では、ナチス・ドイツ史の学習を舞台とした「コロナ禍の中での若者の成長」についてお話したいと思います。

1. 過去の「想像的理解」~歴史を学ぶ術~

私は本学法学部で近現代ドイツを中心に長らく西洋政治史の授業を担当してきました。近年ではナチス・ドイツ史を主題とする講義や演習と取り組んでいます。授業に際して苦心することは、ナチス期の時代・社会の状況と今日のそれとの間にある「大きな違い」をどう乗り越えるべきか、ということです。というのも、この「違い」が、これからナチス・ドイツ史を学ぼうとする学生の前にしばしば理解を妨げる大きな壁として立ちはだかるからです。

「過去」と「現在」に「違い」があるのは、考えてみれば、「他人」と「自分」が違うのと同様に、言わば当然のことです。したがってこの「違い」という壁を何とかして乗り越えるべきことは、ナチス・ドイツ史に限らず、歴史学のあらゆる分野に通じる一般的な課題です。歴史学はこの「違い」を想像力によって乗り越えようとします。つまり文献などの証拠に裏づけられた様々な事実に基づき、過去の状況を頭の中で映画のようにありありと再現し、自分を登場人物の一人としてその中に置いてみること、それによって過去の人々の心を理解すること、これが「想像力によって乗り越えること」です。イギリスの歴史家E.H.カーはこの知的作業のことを「想像的理解」と呼びました。

私たちの日常のコミュニケーションでも「相手の身になって考える」ことが大事であるのと同様に、歴史学でも「過去の状況に我が身を置いてみる」ことによって初めて「過去」と「現在」との間に同じ人間としての理解の通路が開かれます。そのときに、「過去」を理解することが「現在」をいっそう深く豊かに理解することへと繋がってゆきます。歴史の知識が今の自分を形作る生きた知識と成るわけです。このような歴史理解の方法はナチス・ドイツ史についても同じなのですが、しかしナチス・ドイツ史の場合には、そこで起こった出来事があまりにも異常であり、現在の状況との「違い」があまりにも大きいために、若い学生にとっては最初から想像を絶しているように感じられてしまうのです。

2.ナチス・ドイツ史に立ちはだかる壁

私の科目を受講する学生のナチス・ドイツ史に対する典型的な反応を例に説明してみましょう。彼らによれば、a) 差別、独裁、戦争、虐殺など、ナチス・ドイツ史を特徴づける残酷な出来事は、そもそも人間社会において「あってはならないこと」であり、現在ではもはや「ありえないこと」である。そのため、もしナチズムの下で実際にそれらが起こったとするなら、その理由は、b-1) 当時が道徳面でも制度面でも現在と全く異なる「野蛮の時代」であったからか、あるいは、b-2) ヒトラーという特殊な極悪人が暴力や宣伝によって一般人にそれらの残酷事を押し付けたからだ、ということになります。下線部b-1は、総じてナチス・ドイツ史を特殊な野蛮時代として人間的な理解の範囲から除外する解釈法であり、もっと分かり易く言えば「昔だからあんなことも起こった」として話を済ませる考え方です。下線部b-2は、残酷な出来事の全てを特殊な極悪人のせいにする解釈法であり、「極悪人だからあんなこともやった」としてあっさりと話を済ませる点でb-1と大同小異の考え方です。

いずれの解釈法もナチス・ドイツ史の異常さを他人事として安易に片づけるための汚物処理的な便法にほかならず、ナチス・ドイツ史についての深い理解を邪魔する「壁」となるものです。というのもこれらの安易な解釈法に囚われるなら、ナチス期の差別や独裁の複雑な実態、特にそれらをめぐるドイツ国民とナチズムとの密接な協力関係が理解できなくなるからです。

今から思えば不思議かもしれませんが、当時のドイツ国民はナチ党による独裁と差別の政治を強制されて支持したのでなく、むしろ自ら進んで支持しました。なぜなら、それによって自分たちの生活が改善されることを望んだからです。奇妙に聞こえるかもしれませんが、ナチズムの「独裁」とは「国民の意にかなった独裁」(ゲッツ・アリー『ヒトラーの国民国家』)であり、ナチズムの「政治」とは、「国民でない者」と見なされた人々(ユダヤ人、障害者、他国民など)に対する差別と一対になり、「国民でない者」からの略奪を資源として自国民を優遇する、差別的な国民福祉政治でした。一例を挙げれば、ユダヤ人から押収された家屋や高級衣服がまるでバーゲンセールのように安価で払い下げられ、ドイツ国民は競ってそれを買い求めるようなこともありました。このようなナチス政治の実態の詳細については私の実際の授業に委ねたいと思います。

むしろここで問題にしたいことは、なぜ学生が上述のような安易な解釈をしてしまうのか、ということです。その理由は、実は上記下線部aの考えに示されています。学生はナチス・ドイツ史を学び始めたばかりですので、「あれほど残虐な行為はあってはならないことだ」という考えはナチス・ドイツ史を十分に学んだ上で生まれたものでなく、むしろ自分自身が生きる日本の「現在」と比較して直観的に判断したものと見てよいでしょう。つまり、人権と秩序と平和が保たれる日本社会の現況を「あたりまえのこと」とする思い込みが、反射的にナチズムを「ありえないこと」、「今の私たちに関係のないこと」とする思い込みを生むわけです。ちなみにこの「思い込み」はそれ自体として悪いものとは言えません。なぜなら、それは現在の日本人が抱く民主的な価値観や穏やかな人生観の素朴な表現でもあるからです。しかしそれが「日本の現在」を当然視するあまり、「過去」や「未来」や「世界」を見る日本人の「眼」を曇らせてしまうとき、それは良くない作用を及ぼす悪弊となります。見出しに挙げた「ナチス・ドイツ史に立ちはだかる壁」とはこれを指します。

3.コロナ禍の経験—「あたりまえ」でなくなった平和な日常

さて昨年来のコロナ禍は、このような学問上の壁に穴を空ける思いがけない機会となりました。令和2年度の新入生は、入学式もなければ、キャンパスへの立ち入りも暫く許されなかった、言わば不遇の年次でした。秋に開講された「ファンダメンタル・セミナー」という科目で、私は初めて教室で彼ら一年次生25名と対面しました。

すぐに感じ取られたことは、彼らがそれまでの年次よりもある意味で「敏感」である、ということです。入学した途端に強いられることとなった自粛と鬱屈(うっくつ)の生活を通じて、彼らはこれが果たして学生生活と言えるのだろうか、自分は何のために大学に入ったのだろうか、と自問してきたように思えます。彼らは半年に及ぶこの内向生活の間に、社会の様々な出来事に対する、そしてまた自分自身の生き方に対する、批判と自省の「眼」を知らず知らずに養ったのではないでしょうか。またその「眼」をもってコロナ禍を見詰めたとき、今日でも差別が決してあり得ないわけでないこと、人権がいつどこでも容易く保障されるわけでないことを、直観したのではないでしょうか。

なるほど満喫するはずだったキャンパス・ライフの代わりにそのような疑いの「眼」を手に入れることが直ちに幸せなこととは言えませんし、また彼らの批判意識と自省の念が全体としてどこに向かい、どう結実するかは、まだ分かりません。しかし彼らが、上述したような「あたりまえ」と思い込まれた日常——日本の平和な現況の自明視——に対して自ら問いを発しうるだけの眼力を養ったこと、少なくともこのことは確かなように思えます。思うにこれは、総じて実り豊かな仕方で学問と取り組むための、彼ら独自の武器ともなり得るはずです。

4. ナチス・ドイツ史への「歴史眼」

例年「ファンダメンタル・セミナー」の私のクラスでは、ナチス・ドイツ史の入門書を一冊取り上げて皆で輪読し、学期末に受講生全員にナチス・ドイツ史に関して自ら設定したテーマについてレポートを作成してもらっています。今学期のレポート・テーマについて、上述のことを念頭に置きつつ、受講生に対して、コロナ禍の経験と結びつけてナチス・ドイツ史を論じてみてはどうかと提案したところ、多くの受講生がそれに呼応し、「ナチズム初学者が視るコロナ禍」、「新型コロナによる日本人の差別意識の顕在化」、「政治に対する国民の関わり方」などと題する、期待以上のレポートを提出してくれました。それらを通読すると、彼ら「不遇の年次」が自身の体験や見聞を学問的な問題意識へと昇華する健気な努力を積み重ねたこと、その努力を通じて彼らがコロナ禍の中にある現在の日本人とナチス期のドイツ人との間に人間的な理解の通路を見出していったことが分かります。

彼らの発見は、次のように要約できます。すなわち、健康な人間もときに心身に異常をきたすことがあるように、正常な社会もときに異常な状態に陥りうること、我が身の安全を脅かされるような異常事態の下で人間は心の余裕を失いがちであること、そのようなときに人間は他人に対して差別的に振る舞い得ること、つい最近までハンセン病患者が差別を受けてきた事実からも分かるように、「正当な区別」と「不当な差別」とは明確な一線で隔てられているわけでなく、両者の間には可変的なグレーゾーンが広がっていること、ナチス期の障害者差別政策の背景には、今日でも見られるような優生学的発想とそれに基づく健常者への福祉政策とが存在したこと、自分たちの生活が壊されるという危機意識から心の余裕を失ったドイツ人は言わばすがりつくような激しい思いでナチズムを支持したこと、コロナ禍における日本人の動揺振りを思うならば、ナチス・ドイツ史上の異常な出来事を他人事でなく我が事として見る謙虚な姿勢が必要であること、「人の振り見て我が振り直せ」という格言が歴史学にも当てはまること、これです。

このようにして彼ら1年次生は、コロナ禍の只中からナチス・ドイツ史への最初の「歴史眼」を開きました。学生たちの辛い経験が今後とも成長への確かな転機となることを念じ、彼らの勉学努力を見守りたいと思います。

 
 

川合 全弘 教授

西洋政治史、外交史


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