日本の排出量取引制度の本格導入にむけて 2025.01.23

去年の11月、日本政府は排出量取引制度について二酸化炭素(CO2)排出量が年間10万トン以上の企業に参加を義務づける方針を明らかにした。各業界の大手企業を始めとする300~400社が対象となる見込みである。もはや経済活動に温暖化対策を組み込むことが当たり前となった今日において、そもそも排出量取引制度とは何か、日本ではどのような経緯を経て設立されたのか、今一度振り返ってみたい。

気候危機と排出量取引制度

世界各地で続く熱波や豪雨による被害など、異常気象が頻繁に発生していることを受け、CO2の排出抑制をめぐる国際社会の対応に一層の注目が集まっている。この目的の達成にむけて注目されているのが、企業間でCO2の排出枠を売買する「排出量取引制度」の導入である。特に、キャップ・アンド・トレード方式による排出量取引制度では、排出主体(例えば、企業)ごとに汚染物質を排出できる量を排出枠ないしは「キャップ」という形で定め、排出枠が余った主体と、排出枠を超過してしまった主体との間で汚染物質を取引するため、社会全体の削減費用を抑制しつつも、CO2削減の確実な達成が期待できる。このことから、主要排出国において脱炭素社会の達成に向けた重要な政策手段の一つとして位置付けられている。
世界各地域の排出量取引制度の導入状況を概観すると、2005年に欧州において設立された欧州排出量取引制度を初めとして、北米やアジア太平洋地域においても徐々に取り入れられている。日本においても、2030年までに温室効果ガスの排出量を2013年に比べて46%削減し、2050年には実質的にゼロにすることを目指し、2023年度から国内排出量取引制度の施行取引を行っているところである。

日本の排出量取引制度の歴史

日本における排出量取引制度の議論が盛んとなったのは、京都議定書が発効した2005年頃からである。2005年に環境省が自主参加型排出量取引制度を開始したが、この制度には参加義務がなく、あくまで企業が「自主的」に参加し、直近の実績以上の目標数値を設定するというものであった。その後、2012年のJクレジット制度に代表されるベースライン・クレジット型のオフセットメカニズム(GHGの排出削減プロジェクトなどを実施し、削減分をクレジットとして取引する制度)が進んだが、決定的な転換点は2015年に採択されたパリ協定を待たなければならなかった。パリ協定を受けて2017年に環境省が「カーボンプライシングのあり方に関する検討会」を開催したことで、CO2排出に対する価格づけを通じて排出者の行動変容を促すカーボンプライシングが重要性を増したのである。さらに、2020年に日本政府がカーボンニュートラル宣言を行ったことで、脱炭素社会の構築を目的として、脱炭素への投資やイノベーションを通じて経済成長に貢献する「グリーントランスフォメーション(GX)」が政策目標として目指された。これを受け、2022年にはGXリーグ準備事務局が設立され、排出量取引制度を実施する議論の場が設けられたことで、2023年4月に自主的な排出量取引制度(GX-ETS)が開始された。同年5月には脱炭素成長型経済構造への円滑な移行の推進に関する法律(GX推進法)が成立し、カーボンプライシングの本格的導入に向けた筋道が開かれたのである。

産業界への影響

2005年頃に排出量取引制度の設立をめぐる議論が始まった当初から、排出量取引制度の導入は国内産業の国際競争力を低下させてしまうという懸念が存在した。しばしば「乾いた雑巾を絞る」と表現されるように、1970年代に起きた2度の石油危機を受けて、エネルギー効率の改善に努めてきた産業界は、総量排出削減義務を設けるキャップ・アンド・トレード型の排出量取引制度の導入は著しく日本の産業界の国際競争力を削ぐ、ということを主張してきた。自国のみが厳しい環境規制を導入するならば、規制のない国の産業と不公平な競争を強いられかねないからである。さらに、自国で排出削減義務が導入されるならば、それに伴う費用負担の増加を避けるために、排出規制のない国に生産拠点を移してしまう可能性も指摘された。その場合、自国でのCO2排出量は削減できたとしても、結局は他国での生産活動が行われることになるので、CO2が自国から他国に漏れ出してしまう、「カーボンリーケージ」が発生する。結果として削減国での努力は相殺されてしまうばかりか、産業の空洞化が加速する、ということが主張されてきたのである。

今後に向けて

上記のような懸念とは裏腹に、これまでカーボンリーケージの主な漏洩先とされてきた中国において、2021年7月より全国炭素排出権取引制度が始動した。インドネシアにおいても2023年9月に排出量取引制度が導入され、ベトナムを始めとした東南アジア諸国においても、排出量取引制度の導入計画が進んでいるところである。さらに、国際競争上の悪影響の緩和とカーボンリーケージの防止を目的として、欧州連合ではセメント、肥料、電気、鉄鋼、水素、アルミニウムなどを対象に、2023年から国境炭素調整メカニズムが導入されている。これは輸入品に対して国内と国外の炭素価格の差額分の支払いを求める制度であり、産業競争力の平準化と環境規制の緩い国や地域にも気候変動対策を促す誘因を与えることが期待されている。
現在、2027年度を目処に排出量取引制度の本格稼働を目指す日本でも、2030年までに温室効果ガスの排出量を2013年に比べて46%削減を達成するために、排出量取引制度への参加と、目標設定と達成の義務化をどのように拡大・強化していくのか、今後大いに注目されるところである。


参考文献

  • 有村俊秀(2024)「カーボンプライシング導入における環境経済・政策学の役割—日本への貢献は−」環境経済・政策研究, 17(1), pp.1-13.
  • 内閣官房GX実行推進室「GX実現に資する排出量取引制度に係る論点の整理(案) 令和6年12月19日」 (アクセス日:2025年1月22日)
  • Masahiko Iguchi, Alexandru Luta and Steinar Andresen. (2015) ‘Japan’s Climate Policy: Post-Fukushima and Beyond’. In G. Bang, A. Underdal, S. Andresen (eds.), The Domestic Politics of Global Climate Change: Key Actors in International Climate Cooperation. Edeard Elgar Publishing.
 
写真は本学海外FRニュージーランド・マセイ大学研修で参加者がホストファミリーと撮影した、自然豊かなオークランド市のビーチから望む朝焼け(夜明け)の様子。海外FR参加中に、たくさんの刺激を受けながら日本の将来について真剣に向き合う機会にして欲しいという願いを込めて。

井口 正彦 准教授

グローバル・ガバナンス論

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