前編 EUの「開かれた戦略的自律(Open Strategic Autonomy)」について2023.2.8

1.「開かれた戦略的自律(Open Strategic Autonomy)」とは

近年、EU(European Union、欧州連合)の対外政策に関し“Open Strategic Autonomy”という言葉をしばしば眼にするようになった。EUだけでなく、インドもかつての「非同盟中立」に代わり「戦略的自律外交」を掲げているし(インド外務省HP)、日本政府も2021年末頃から経済安全保障にかかわり、「自律性」を「優越性」「不可欠性」と共に挙げるようになった(内閣官房「経済安全保障の推進に向けて」2021年11月19日)。ただし同じ “Strategic Autonomy” とは言え、それぞれの国の地政学的条件や守るべき国益、根底にある目的・理念は異なるので、抽象的には共通点もあるが、具体的な相違点に注意すべきであろう。

1990年代以降、国際社会ではあらゆる政策領域でグローバリゼーションが急速に進み、世界中の国・地域が複合的な相互依存関係を形成し、お互いに無くてはならぬ関係を(勿論、メリットもデメリットもあるが)築いてきた。それにもかかわらず、なぜ今「自律」が叫ばれ、「戦略的」に自律を実現せねばならないのだろうか。「戦略的自律」と「相互依存」は両立するのであろうか。

本稿では、EUの “Open Strategic Autonomy” の検討を通じてこの問題について考えてみたい。その際、第1に、短期的な視点からではなく、欧州統合というこれまで70年以上にわたる欧州の歴史的経験を踏まえ、且つ欧州統合という人類史上他に類を見ないプロジェクトは、今後もずっと続くであろう「未完のプロジェクト」であるという長期的視点から考察を進めることとする。第2に、日本やインドという単一の主権国家の政策ではなく、27カ国から成る地域統合組織の政策であるという特殊性に着目する。27カ国の国益がEUの共通利益として調整されるまでの政策決定プロセスは勿論のこと、実施段階においても調整は継続するからである。

今回の【前編】では、欧州統合の理念に照らして “Open Strategic Autonomy” の提起された背景を明らかにするため、著名な欧州統合研究者の考え方について紹介しつつ検討を加える。

2.“Open Strategic Autonomy”の背景

“Open Strategic Autonomy” については、多くの調査・研究や議論が行われており、定義が確定しているわけではない。欧州議会自ら(EPRS, European Parliamentary Research Service)、2020年8月から2021年3月までに公にされた約40の欧州にあるシンクタンクの調査レポートを紹介しているという現実がある(What Think Tanks are Thinking, The EU strategic autonomy debate, 30 March 2021)。現在も尚、シンクタンクや研究者による調査レポートが刊行されているので、EU構成国において、いかに “Open Strategic Autonomy” が注目されたかが分かる。

シンクタンクの調査の紹介や様々な定義については次の機会に行うこととし、“Open Strategic Autonomy” の意義を明確にするため、まずは欧州統合、Regionalism、Interregionalismの専門家でありブリュッセル自由大学及びイタリアのLUISS大学教授のMario Telòの見解から見ていこう。Telòは、 “Open Strategic Autonomy” は、1970年代から80年代に主張されたEUの前身であるEC(European Community、欧州共同体)= “Civilian Power” という概念を超える野心的なプロジェクトであるとの見解を示している(The European Open Strategic Autonomy: External and internal conditions for an ambitious project, November 12th 2021、ブリュッセルにあるThe Institut d'études européennes での報告資料)。“Civilian Power”とは、冷戦時代の2極体制を構成した米ソのような “Military Power”とは性質を異にし、軍事力以外の外交交渉や国際協力、文化発信などのソフト・パワーによる対外関係の構築を特徴とするパワー(大国)を意味する(ただしTelòによれば、冷戦期の二極体制においてECはそうしたパワーを発揮する能力も制度も持ち合わせていなかった)。興味深いのは、Telòはそうした“Civilian Power” から “Open Strategic Autonomy” への変化を、6カ国の小規模なECから、初めての国際的パワーとも言いうるグローバル・アクターとしてのEUへの変化と重ね合わせ、これをアナール学派の著名な歴史家F.ブローデル(Fernand Braudel)の言う「長期持続 (longue durée)」に類するものであるとしている点である。ここで注目したいのは、その「長期持続」の解釈の仕方の当否は別として、欧州統合を、そして“Open Strategic Autonomy”を、短期的な事件や中期的な経済・市場の変化ではなく、環境や地理的要因など「長期持続」の観点から捉えていることである。とりわけTelòは筋金入りの欧州統合主義者であるので、EUが短期的・中期的に様々な困難に直面したとしても、欧州統合の将来に対し揺るがぬ確信を持っており、長期的な観点の重要性を歴史学の泰斗ブローデルの言葉を借りて強調したのであろう。

確かに、EUの最重要課題としての環境の変化・地球温暖化は、短期的なものではなく18世紀半ばの産業革命以降の経済活動がもたらしたものである。またパワーシフトについても、16世紀から18世紀には、インド・中国が世界の経済(生産)大国であり、西欧のGDPの合計がインドのGDPを超えたのは1820年、中国のGDPを超えたのは1870年であることを考えれば(アンガス・マディソン『世界経済史概観』(岩波書店)第3章「アジアと西の相互作用」参照)、中国がこの間の150~200年は欧米の帝国主義諸国に搾取された「屈辱の100年」と言うのもあながち誇張された表現ではなく、現在のアジアへの150年ぶりのパワーシフトは、アジア諸国がかつての栄光の時代を取り戻したいという悲願の結果であり、中期的にはアジアに成立したサプライチェーンやデジタル化がもたらす必然的な経済的趨勢であるのかもしれない。国際通貨基金(IMF)は、国内総生産(GDP)を物価水準でならした購買力平価ベースで、中国を中心とするアジア新興国の経済力は2020年に米国を中心とする先進国を追い抜くとした(「経済覇権、150年ぶり交代 競うのは主義でなく賢さ パクスなき世界(2)」日本経済新聞2020年9月7日付け)。

さてTelòによれば、欧州統合を取り巻く国際環境に変化のあったのは、冷戦終結の1989年から2016年の間である。この時期には、特に90年代に「独り勝ち」を誇っていた米国の一極支配が退潮し、代わって多様なアクターによる多極化が進み、また様々な形態の地域統合体も増えた。またこの間に前述のような西洋から非西洋地域(とりわけ中国)へ世界のパワーシフトが生じた。米国オバマ政権は、それに対応してEUとのTTIP(環大西洋貿易投資連携協定)やTPP(環太平洋経済連携協定)の交渉を開始した。EUもTTIPの交渉に応じただけでなく、アジア諸国、カナダ、メキシコ等との二国間通商協定を締結し始めたのはこの時期であるが、Telòはそれを “Open Strategic Autonomy” の表れと見ている。

しかしトランプ政権(2016~2020年)が大きな政策転換を行い、地域・グローバル両レベルでの多国間協力を破棄し、またBrexitを支持することにより、EUの周辺化を目論んだとする。2012年以降、地域統合体としてのEUは、グローバルな行為主体としての野心的な政策指針を示してきたのだが、Telò は、EUが近隣諸国から成る地域連合に留まらず、グローバル・パワーとして形成されつつあると考える。その理由として、EUの人口は世界の約5%を占めるに過ぎないが、GDP、貿易額、通貨、開発援助において米・中に伍している。さらにEUが世界各国・各地域と取り結ぶグローバルな関係(様々な協定・条約の数と地理的広がり)は世界1で、過少評価されるべきではないと強調する。EUのパワーは、こうした対外関係も含んで総合的に(in synthesis)考えるべきなのである。ただしその場合でも、克服すべき弱点(ロシア、トルコ、アフリカ、中国、アメリカとの関係や、防衛・安全保障関連予算の少なさなど)についても指摘は怠らない。

Telòは、結論的にEUがグローバル・パワーとなるために、“Open Strategic Autonomy” により、対外関係を“New Multilateralism” へと転換させることが必要だと主張するのである。“New Multilateralism” については、グローバル・ガバナンスの観点から、他の編著書の中で、国連、WTOなどの国際機関の抜本的な組織改革をEU主導で行うことを提唱しているが、詳細は別途扱いたい(“Introduction. For a new multilateralism: reforming the UN governance through a driving role of the EU” in Mario Telò(ed.)(2020), Multilateralism in Post-COVID Times, For a more Regionalised, Binding and Legitimate United Nations, Foundation for European Progressive Studies)。

今回は、Telòの考え方の紹介を通じて、EUの “Open Strategic Autonomy” を短期的な政策としてではなく、長期的且つグローバルに生じつつあるパワーシフト、またグローバル・パワーを目指す欧州統合との関連において見る視点を示した。次回は、EUの機関(欧州議会、欧州委員会、外務・安全保障政策上級代表)の “Strategic Autonomy” についての考え方を検討する。

最後に、前出のF. ブローデルの言葉を引用しておこう。
「歴史学の任務のひとつとは現在のさまざまな不安な問題に答えを出すこと」(『地中海Ⅰ』序文(初版)・(藤原書店)、P.23)

F.ブローデルが貴重な登記簿を発見した古文書館のあるドゥブロヴニク(クロアチア/筆者撮影)

鈴井 清巳 教授

国際経済論、EU経済、地域統合

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