IPEF発足から見える米国の思惑とASEANの反応 2022.07.11

米国の新インド太平洋戦略とIPEF

5月23日、米国のバイデン大統領は「インド太平洋経済枠組み(Indo-Pacific Economic Framework;IPEF)」の発足を発表した .1。これは米国政府が今年2月に発表した新たなインド太平洋戦略の一環として位置付けられた枠組みで、半導体などのサプライチェーン(供給網)における欠品を防ぐことを目的としている。現在、米国政府は今年度の優先課題として掲げているインフレ(物価高騰)抑制を実現するため、COVID-19による影響によって混乱した国内サプライチェーンの復興や生産移転を通じた国際サプライチェーンの再構築にともなう安定供給網の確立を目指している .2。そういった意図をもつ米国政府にとって、IPEF発足は、まさに国際サプライチェーン再構築の一環であり、それは友好国で生産供給する「フレンドショアリング」の実現により対外脆弱性を低下させ、経済安全保障を強化させる意味を持つ。

ASEANのIPEF参加の重要性

また米国にとってIPEFの発足は、中国に依存しないサプライチェーンの構築を通じて中国のインド太平洋地域に対する相対的影響力を低下させることを可能にし、それは2000年代以降低下の一途を辿る米国の当該地域に対する影響力の復活につながる。とりわけ中国の一帯一路構想の影響を強く受ける東南アジア諸国連合(Association of South East Asian Nations;ASEAN)のIPEF参加は、今後のインド太平洋地域の国際関係を占う資金石となるため、米国の新たな戦略において不可欠である。実際、 IPEF発足発表前月の4月に日本を仲介役としつつ、米国はASEANに対し積極的に参加を呼びかけ、その結果、ASEAN10カ国中、特に中国との繋がりが強いカンボジア、ラオス、ミャンマーの3カ国を除く7カ国の参加が実現した .3。当該地域へのコミットを低下させている米国にとっては、この新たなインド太平洋戦略の船出は及第点に達していると言えるだろう。

ASEANの対米観

それではIPEFへ参加したASEAN諸国は、本当に米国の新インド太平洋戦略に同調していると考えて良いのだろうか。この疑問を解消するためには、今日までのアジア地域における国際的枠組みの変遷の中で、ASEAN諸国が米国をどのように捉えてきたかを知ることは大きなヒントとなる。
以前のニュース解説(2020年8月25日)でも言及した様に、確かに反共の旗のもとで設立されたASEANであるが、本来、第三世界国で構成されていることからただでさえ非同盟主義の思考は強く、大国の意思決定に振り回されることへの抵抗感は強い。例えば、1989年に発足したアジア太平洋経済協力(Asia Pacific Economic Cooperation;APEC)は多くのASEAN諸国も加盟しているが、その加盟検討にあたっては、日米などの大国主導となる可能性が高いことを理由に、特にインドネシアとマレーシアは強い警戒感を抱いていた .4。その警戒は決して的外れではなく、1960年代から強まった東南アジア地域の「冷戦化」と突然の米中和解にともなうコミットメント低下、1997年「アジア通貨危機」の発生と国際通貨基金(International Monetary Fund;IMF)を通じた極端な融資コンディショナリティの強要、2009年の米国オバマ政権の親中政策に代表される東南アジア地域へのコミット低下と南シナ海問題への不介入、そして米国自身が主導してきたはずの環太平洋パートナーシップ(Trans-Pacific Partnership;TPP)からの突然の離脱など、実際ASEAN諸国は、その時々の米国の対東南アジア政策の変遷に振り回されてきた経緯がある。この事実からも、IPEFに参加したからと言って、ASEAN諸国が米国の新インド太平洋戦略を全面的に信用しているとは言えないことを、我々は理解しておく必要があるだろう。

IPEFに対するASEAN首脳陣の反応

今回のIPEFについてはすでに多くのASEAN首脳陣が言及している .5。マレーシアの元首相であるマハティールは、IPEFはこれまで他国の経済成長に貢献している中国を排除していることに言及し、この枠組みが経済的なものではなく政治そのものであると批判した。そして、カンボジアのフン・セン首相は、IPEFがTPPと同じ道をたどるのではないかと懸念を表明している。またシンガポールのリー・シェンロン首相は、IPEFと中国の一帯一路の競争を念頭に、ほとんどの国が二者択一を望んでいないにも関わらず、米中の対立は両国どちらかに肩入れするかを迫ると述べ、これまでのASEANの苦悩を代弁している。注意しなければならないのは、IPEF参加・不参加に関わらずASEAN首脳陣の米国の新インド太平洋戦略に対する警戒感は強いように見えるが、それは決して米国の関与を拒絶しているわけではないということである。ASEANが求めることは、大国間競争に巻き込まず、それでいて定常的かつ継続的な関与を約束することに他ならない。


  1. The White House (2022), FACT SHEET: In Asia, President Biden and a Dozen Indo-Pacific Partners Launch the Indo-Pacific Economic Framework for Prosperity MAY 23, 2022, STATEMENTS AND RELEASES
  2. The Coucil of Economic Advisers (2022), The Economic Report of the President 2022, PP.191-220.
  3. IPEF参加国は、米国、オーストラリア、ブルネイ、インド、インドネシア、日本、韓国、マレーシア、ニュージーランド、フィリピン、シンガポール、タイ、ベトナムの13カ国.
  4. 佐藤考一(2006)、『ASEANレジーム』、勁草書房、pp.72-73.
  5. 以降の首脳陣発言は、日本経済新聞社(2022)、「第27回 国際交流会議 アジアの未来(日本経済新聞 2022年6月21日朝刊)」より引用.

吉川 敬介 准教授

開発経済論、ASEAN経済、地域研究(カンボジア)

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