国際関係の見方・考え方-ウクライナ問題の一視点2022.5.9

日々、マスメディアの報道を通じて私達の目に飛び込んでくるウクライナの惨状に、心を痛めている学生は多いであろう。国際関係学を学ぶ私達にとって、生きた教材というには余りに悲惨であり、残酷である。しかし、ウクライナに限らず世界の人々の命、人権、平和、幸福を願うならば、国際社会の現実をしっかりと正面から見つめて、この現状をどう考えるのか、原因はどこにあるのか、自分なりの見解を持つ必要があろう。すでに、河原地教授(2022年2月16日、4月12日)、ノア教授(2022年4月19日)が寄稿しているので、違った視点から検討してみたい。

今から6年前の国際関係学科の「国際関係英語リーディングⅠ」のテキストで、アメリカの国際政治学者Stephen M. Waltの, “Back to the Future: World Politics Edition”(Foreign policy, JULY 8, 2015)を受講生と共に検討した。ロシアのクリミア侵攻(2014年3月)直後に刊行された論文である。ウォルトは「国益」を重視するネオリアリストの代表的な学者であるが、決してアメリカ政府寄りではなく、覇権国アメリカの軍事的パワーの行使に正当性がないと判断する場合、例えばアメリカのイラク侵攻などには舌鋒鋭く反対し、ネオコンに対する批判を展開したリベラルな?リアリストと言えよう。ロシアや中国を批判すると同時に、返す刀でアメリカをも批判する筋の通った論客である。また「勢力均衡」ではなく、独自の「恐怖の均衡」論者としても有名である(『国際政治学をつかむ』p.73, p 113参照)。

“Back to the Future”で展開されている議論は、要約すれば「現在、世界各国の基本的な世界認識は、異なった時代に基盤を持つので、相互理解は困難である。各国の世界観は、現在有する能力と他国への影響力を反映しているので、異なった世界観を持つ国家間での対話は不可能である。」というものである。例として、ロシア、中国、イスラエル、イスラーム諸国等が挙げられているが、ここでは、クリミア併合を行った直後のロシアについての見解を、現在のウクライナ侵攻との関連でとりあげることにする。

ウォルトは、欧米諸国が前提としている現在の国際秩序の根底にある「21世紀の思考・世界観」すなわちリベラル・デモクラシーと、ロシア(および中国)が良しとする「19世紀的な伝統的世界観」は相いれないとする。例えばEUが尊重する法の支配、民主主義、多国間主義、ソフトパワーといった価値について、ロシアの「非リベラルな指導者が規範的な議論や経済制裁に振り回される可能性は低い」とし、ロシアの「外交政策には、国家主権、領土保全、国家能力、そして勢力均衡に対する伝統的な利害関係が反映されている【著者注:ここに言う利害関係は全てロシアにとってのものであり、その実現のためならば他国の主権や領土は侵害される】。ロシアは、その「近隣」における勢力圏を強力に防衛しており、欧米の中核的諸機関の根底にあるリベラルな個人主義に挑戦しており、自らの中核的利益と見なすものを守るために、代理勢力や他の暴力的な手段を躊躇せずに行使する。その目的が領土を侵奪したり、他国での内戦激化が必要ならば、実行する」と述べている。

冷徹な国際関係の観察者ウォルトの見解は、今回のウクライナ侵攻についてもそのまま当てはまる。
ロシアはソ連邦解体後も、かつての勢力圏にある独立した共和国が、民主化を進め、EU・NATOに接近する場合、そうした国々の主権を侵害する内政干渉や軍事的工作、実効支配を絶えず行ってきた。今回のウクライナ侵攻前に、プーチンは「ロシア人とウクライナ人の歴史的一体性について」という論文を発表して(勿論、「一体性」などフェイクである)、主権国家の否定をはっきりと表明している点は従来と異なるが、これまでの対外政策の延長線上にある。ソ連邦時代にも、他の社会主義国の民主化を軍事的に阻止する際に「制限主権論」が主張されたが、ロシアには近代国際法の大原則である「主権国家」の概念を尊重する規範意識が元々欠如している。

私達国際関係の学徒は、歴史的視点、複眼的思考を身に付けねばならない。目の前で次々と生起する事象に目を奪われるのではなく、ブレない軸=専門的知見を持つことが大切である。国際関係の授業で最初に学んだ、「国際社会の本質はアナーキー」という言葉、国家主権・国民・領域の3要素から成る「主権国家」という概念を、ウクライナ問題に当てはめてみよう。私達が当然の前提としてきた戦後の国際秩序は、覇権国アメリカを中心とした欧米(+日)の民主主義諸国によって構築され維持・発展した秩序であるが、アメリカの覇権及びそれを支える欧州諸国や日本のパワーの衰えにより、その秩序が崩れつつある。戦後の国際秩序は「当然の前提」でなかったことが中国の台頭により、またロシアのウクライナ侵攻により、誰の眼にも明らかになりつつある。中国はかつての朝貢貿易に代表される「華夷秩序」を復活させ、ロシアは世界を二分した冷戦時代のソ連、あるいはそれ以前のロシア帝政時代の版図を回復したいと目論んでいるのであろう。欧米の民主主義諸国とロシアとの関係は、ウォルトが「相互理解は不可能である」という通りであろうが、国連総会でのロシアを巡る決議では、常に棄権票や反対票があること、つまり世界の一定数の国々は、これだけのウクライナでの戦争犯罪が明確となっても、賛成にまわらない(あるいはまわれない)という事実を重く受け止める必要があろう。

ロシアや中国のように、過去の栄光ある帝国への回帰を志向する国家が、戦後の国際秩序の組織的基盤である国連の常任理事国であり続けており、中国はWTOを利用して経済グローバル化によるサプライチェーンによって世界中の国々をがんじがらめにし、ロシアは資源大国として先進国を従属させてきた。「伝統的世界観」を内に秘め、国連組織やWTOなど戦後の国際公共財を戦略的に利用して、徐々に内側から戦後秩序を掘り崩してきたとしたならば、「中国やロシアは国際機関への参加を通じて国際ルールを学び、民主化が進む」と考え、未だその従属から逃れられない欧米日の先進国は何と能天気な世界観を持っていたことか。先進諸国の経済発展、その果実を享受する私たちの快適な生活は、中国の生産拠点や市場、ロシアの資源(更に多くの発展途上国)に多くを依存してきたのだが、その付けが今、こうした形で廻ってきているのである。

米中対立、コロナ危機をきっかけとして、先進国経済がいかに発展途上国・新興国(その多くは権威主義国家)に依存してきたかが明らかになった。EUは様々な政策分野における「戦略的自律」を実現すべき目標として掲げた。ウォルトは「異なる世界観を持つ国が相互関係を持つ場合、一方または両方が、相手が理解できる言語で話したり行動したりすることができないことに気付くことがある。例えば、ヨーロッパの「文民権力(civilian power)」は、モスクワに対処する上ではほとんど価値がない」と言う。EUでは「欧州軍」の創設も現実的な日程に上りつつある。日本もウクライナ問題を前にして、「国際協調」だけでなく、「自律」のための選択を迫られている。「新時代リアリズム外交」を標榜する現政権の真価が問われているのである。

鈴井 清巳 教授

国際経済論、EU経済、地域統合

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