岐路に立つ「普遍的価値」-「我々の民主主義」はあるのか 2021.04.20

EUは「価値の共同体」と言われ、「民主主義」「基本的人権」「法の支配」などの人類の普遍的価値を、自ら実現すべき理念として掲げてきた。これらの理念が守られねばならないのは、その実現のために歴史上、多くの人の幸せが奪われ、多く人の命が犠牲になってきたからである。被害者でも、加害者でもあったヨーロッパの人々は、EEC発足の際その誓いを不戦共同体として制度化して、ヨーロッパの域内外での試練を受けつつ、実現に努めてきた。第二次世界大戦後、二度と「人間の尊厳」が蹂躙されぬよう誓ったのは、ヨーロッパの人々だけではなく、「世界人権宣言」や「国際人権規約」などにも見られるように全世界の人々の願いでもあったろう。その意味で、「普遍的価値」であった。

しかし、近年、そうした普遍的価値に対し異議が唱えられている。しかも堂々と「我々の民主主義がある」と声高に主張される。「我々の」という言葉は、普遍性を否定するだけでなく、近代西欧で確立されてきた民主主義とは異なった意味・内容を「民主主義」に盛り込む。そして国際政治の原則である「内政不干渉」によって守られた「我々の民主主義」を実施している国(権威主義国家)の数の方が、恐らく普遍的民主主義を掲げる国々(EU構成国、北米、日本など)の数よりも多いであろう。更に普遍的民主主義国にとって悩ましいのは、自国の中に「我々の民主主義国」の強力な指導者の権威主義的政治手法に魅せられて、普遍的理念から逸脱した政策や制度改革を行ったり、「人間の尊厳」を蔑ろにする政治指導者が少なからず存在し、政治を混乱させているという事実である(このことは他人事ではなく、私たちは身近な政治家の一言一句を吟味しなければならない)。同時に、更に悩ましいことは、普遍的民主主義諸国は、経済成長のピークを越え、成長の原動力を、新興国・発展途上国の目覚ましい成長に大きく依存せざるを得ないという事実である。先進民主主義国の人々の生活の豊かさや雇用は、新興国・発展途上国での生産や市場に依存せざるをえないという事実は、このコロナ禍で益々可視化されてきてしまった。

先進民主主義国は、生産だけでなく市場としても、中国に大きく依存しているという事実。現状では中国を欠いたサプライチェーンの構築は不可能であるという事実。冷戦終焉後、先進諸国がグローバリゼーションのもたらす富の増大に酔いしれている間に、人口14億人の大国は、着々と「我々の民主主義」を固め、輸出・FDI主導型経済成長を急速に進め、サプライチェーンで先進民主主義国を「引力場」である中国に強力に引き寄せた上がんじがらめにする戦略を実行してきた。中国市場に大きく依存する自動車産業を抱えるドイツの優れた政治指導者も、世界のアパレルメーカーの首位との差を縮める日本企業のモノ言う経営者も、中国に対しては言葉を濁さざるを得ない。口当たりのよいSDGsやESG投資のスローガンを掲げる社会や企業も、こうした現実の前に、本気度が試されざるを得ない。

「民主主義」「法の支配」「人間の尊厳」といった「普遍的価値」は岐路に立たされ、真価が問われている。

ドイツの国会議事堂前(ベルリン)

鈴井 清巳 教授

国際経済論、EU経済、地域統合

PAGE TOP