ボロネーゼの謎 2024.02.09

イタリアにスパゲッティ・ボロネーゼは存在するのか?

私の担当する1年次生向け科目「イタリア学入門」では、教科書として池上俊一『パスタでたどるイタリア史』(岩波書店)を使っている。学生はその内容を要約したり、関連事項をリサーチするなどして、イタリアについての理解を深めていく。秋学期初回の導入的な課題は、「イタリアのサイトのレシピも参照しながら、自分でパスタを作って、写真入りのレポートにまとめる」である。中には初めてパスタを料理する人もいて、家族も巻き込んでの奮闘が、新鮮な驚きや感動と共にレポートに綴られる。

今年はスパゲッティ・ボロネーゼ(spaghetti bolognese)を作った学生がいた。「いつも通り、おいしくできました」という学生の言葉に、クラス全体が喜びで包まれるなか私は、「実はイタリアにはスパゲッティ・ボロネーゼはありません」とコメントした。不思議そうな顔をする学生たちに向かって、私は続けた。「乾麺のスパゲッティはナポリなど南イタリアのもので、北イタリアのボローニャではタッリアテッレ(tagliatelle)という卵入りの平たい生麺を使います。また、ボローニャではミートソースのことをラグー(ragù)と呼びます。というわけで、ボローニャの名物パスタはタッリアテッレ・アル・ラグー(tagliatelle al ragù)なのです。」

手打ちパスタの実演(世界イタリア料理週間イベントにて)

ポイントは、まず、スパゲッティはボローニャの伝統ではないので、スパゲッティとボロネーゼという言葉の組み合わせが不自然ということだ(ただし、必ずしもそうとは言い切れないことを後で述べる)。そして、イタリア語では料理の「~風」を示すために前置詞のaを使うので、もしスパゲッティ・ボロネーゼが存在するならばスパゲッティ・アッラ・ボロネーゼ(spaghetti alla bolognese)となるはずである。なお、bologneseの発音は「ボロネーゼ」というより「ボロニェーゼ」に近い。日本人にとって、より馴染み深く、発音しやすい、「ミラノの」を意味するミラネーゼ(milanese)に同化したのかもしれない。

ボロニェーゼはアメリカ生まれなのか?

授業ではこれくらいの説明で終わったのだが、物足りなさを覚えた私はネット検索をしてみた。すると、ガンベロ・ロッソというワインと食を専門とする出版社のサイトの、「スパゲッティ・アッラ・ボロニェーゼ、存在しないレシピ」という記事(2020年4月27日)が出てきた。それによると、1917年にアメリカでキュニバーティが出版したイタリア料理のレシピ集は、その多くが偉大な料理研究家アルトゥージの『イタリア料理大全:厨房の学とよい食の術』(1891年)に基づいており、「マカロニのためのボロニェーゼ・ソースBolognese sauce for macaroni」もそうである。アルトゥージの方は「ボローニャ風マカロニMaccheroni alla bolognese」という料理名で、マカロニの具体的な種類として「デンティ・ディ・カヴァッロ」(「馬の歯」の意)という短い筒状のものを挙げている。それに対してキュニバーティは、使用するパスタをマカロニまたはスパゲッティ(macaroni or spaghetti)としており、これが世界初のスパゲッティ・アッラ・ボロニェーゼと考えられる、ということらしい。

世界イタリア料理週間イベントの会場
世界イタリア料理週間イベントの会場

その後、この料理はアメリカ中、そして世界中に広まることになるが、イタリアでは、特にボローニャでは、外国からの観光客のためにあると言えるだろう。ボローニャの新聞《イル・レスト・デル・カルリーノ》の2019年5月14日の記事「スパゲッティ・アッラ・ボロネーゼ、それを食べに日本からボローニャへ」によると、ボローニャ中心街のレストランで約20人の日本人の団体が、スパゲッティ・アッラ・ボロニェーゼを注文し、もし出してくれないなら他の店を探すと言った、とのことである。おそらく、日本で以前はミートソースと呼ばれていたものが、ボロニェーゼと呼ばれるようになってきたことが影響しているだろう。

タッリアテッレはスパゲッティの一種なのか?

もちろん、スパゲッティ・アッラ・ボロニェーゼを求めるのは日本人観光客だけではない。間違った伝統を正そうとして、ボローニャ中心街の別のレストランでは2018年から、「#notspaghettibolognese」という文字が胸のあたりに書かれたTシャツを販売している。また、ボローニャ空港のレストランは2019年9月に、一流シェフのタッリアテッレ・アル・ラグーを「スパゲッティ・アッラ・ボロニェーゼと呼ばないで。ボローニャの思い出Non chiamateli spaghetti alla bolognese. Un souvenir di Bologna」と名付けてメニューに載せた。

私はイタリアの言葉と文化を学び始めて約30年になるが、日本で生まれ育った者として、イタリアの麺は、丸くても平らでも、生麺でも乾麺でも、「スパゲッティ」と呼んでしまいそうになる。しかし、日本を訪れたインバウンド客に、ウドンとキシメンやソーメンを一緒にされたら困るなあ、というのも正直なところだ。イタリア人の大変なこだわりようは、カンパニリズモ(ふるさと自慢)の国イタリアなので当然とも言える。そして、謎はさらに深まっていく。  

ボロニェーゼか?ボロニェージか?

ボローニャに住むフードライターのブログ記事「ボローニャの伝統のスパゲッティ・アッラ・ボロニェーゼ」(2022年3月7日)によると、スパゲッティ・アッラ・ボロニェーゼには2つあり、1つはアメリカ生まれのミートソースのもので、もう1つの方がボローニャ生まれの伝統的なものである。この「ボローニャのボロニェーゼ」は宗教的な理由によって肉食を控えるとき(例えば、クリスマス・イヴ)に作られ、具材としてマグロが使われる。ただし、この料理はボローニャ以外では、ほとんど知られていない。
一方、誰もが知っているボロニェーゼがボローニャの伝統だと主張する人たちもいて、オリジナル・レシピを2016年に公証人を通じて登記した。料理名は一般的なスパゲッティ・アッラ・ボロニェーゼではなく、複数形の名詞スパゲッティに合わせた形容詞の複数形を直接付けて、スパゲッティ・ボロニェージ(spaghetti bolognesi)としている。この料理の推進委員会のサイトによると、スパゲッティ・ボロニェージは普段のあり合わせの料理としてずっと食べられてきた。タッリアテッレなどの卵入り生パスタは特別なときだけで、他のときはジェノヴァやプッリアから輸入された硬質小麦の乾燥パスタだった。1586年には町に最初のパスタ工場ができ、「ジェノヴァやプッリアの方法で」スパゲッティが作られるようになった…。

ボロニェーゼはイタリアのシンボルなのか?

どうやら、うっかりと底なしの謎にはまり込んでしまった。2023年11月16日に私は、エミリア・ロマーニャ州(ボローニャが州都)の知事の来日を記念して開かれた世界イタリア料理週間イベントに参加し、この謎について地元の人たちに質問したが、満足のいく説明は得られなかった。しかし、話の中で、ボローニャ大学の食文化史の大家、マッシモ・モンタナーリ教授の名前が出た。

 

約20年前、教授が来日したとき、私は講演会で通訳を務めたことがあった。懐かしさもあってネット検索してみると、教授の記事「スパゲッティ・アッラ・ボロニェーゼはボローニャ生まれではない」が見つかった。それによると、1898年4月22日の新聞に載ったトリノのホテルの広告の中に、「ナポリのスパゲッティ・アッラ・ボロニェーゼSpaghetti di Napoli alla bolognese」という料理名がある。1861年のイタリアの国家統一は、トリノのサヴォイア王家によってなされたものであり、そのトリノでイタリア料理を代表するナポリのスパゲッティとボローニャのラグーが統一されたのは偶然ではない。

この記事で、「ボロネーゼの謎」がいくらか明らかになったことだろう。スパゲッティ・アッラ・ボロニェーゼに限らず、どんな言葉でも、その意味には文化や歴史の奥深さがあって、それを知ることが外国語を学ぶ楽しさの一つだと私は思う。そして、その言葉が料理の名前であれば、味わうことの楽しみも付いてくる。そのことも含めて、今学期中に、「イタリア学入門」の授業で説明を補足できそうだ。

内田 健一 准教授
外国語学部 ヨーロッパ言語学科 イタリア語専攻

PAGE TOP