先輩の学び(数理科学科)
教師になる未来を見据えて
数学の世界に没頭。
数理科学科の魅力は、ひたすら数学の学びを追究できること。大学に入学してこれほど数学にのめり込むとは想像していませんでした。
特に印象深い授業は「解析学入門」です。数列の極限や関数の連続性、関数列の収束性などに見られる抽象的な問題について考えました。例えば、高校数学でも見られる「αnがαに限りなく近づく」との表現は、厳密性に欠けるという課題があります。どうすれば曖昧さを取り除いて意味を明確にできるか。論理的に考える、数学の面白さが詰まった刺激的な授業でした。
大学の数学ではまず「証明したいこと」が先にあり、証明に必要な数学の性質や法則を活用します。確率の事象を証明するために、微分積分で学ぶ「重積分」を応用できるなど、思わぬピースがパズルの完成につながることがあります。あれこれと試行錯誤を重ねて証明できたときの、ピースがはまったような快感は格別です。複雑で抽象度の高い内容を分かりやすく説明する力も磨かれ、入学時はまだ曖昧だった「数学教師になる」という目標もはっきりと定まりました。
現在一番関心があるのは確率。確率論を専門とする先生の授業を受け、探究心を大いに刺激されたのがきっかけです。秋以降のゼミ活動では、その先生の下「確率過程論」を専攻したいと考えています。この先どんな学びが待っているのか、広がり続ける数学の世界に期待は膨らむばかりです。
数理科学科 3年次
川上 要さん
※掲載内容は取材当時のものです。
数理科学で未来を予測する。
少し先の未来を自分の手で予測することができるとしたら、ワクワクしませんか? 私は地球温暖化に関心があり、地球がこれからどのように変化していくのかを、授業で試算してみたことがあります。設定する条件によって結果はいろいろ異なりますが、私たち人類が今できることをすれば、進行のペースが遅くなり、それに伴い影響の拡大も抑えることができる。何もしないでいるより断然、今の環境を守ることができることをはっきりと知りました。
このように数理科学科の学びでは、数値で示すことができる未来を見ることが可能です。私は将来教員になる夢を持っていたので、進学する際に教育学部に行くべきか、好きな学びができる理学部に行くべきか悩みましたが、想像以上に深く数学を学ぶことができたので、理学部を選んで良かったと感じています。
自分の未来に対しても、大学での学びに影響を受けて選択肢が増えています。高校生までは教員という進路しか見えていませんでしたが、大学で知見が増えて、数理業務を担当する金融業のアクチュアリー(保険数理や年金数理を扱う専門家)なども、今は視野に入れています。学べば学ぶほど、未来の選択肢も広がる。大学は将来の自分のさまざまな姿を見つけられる可能性に満ちた場なのです。
数理科学科 3年次
川原 彩花さん
※掲載内容は取材当時のものです。
純粋に数学と向き合えます。
入学後は、本当に数学に没頭する日々。自然と高校時代よりもさらに数学が好きになり、「やはりこの学科を選んでよかった」と感じていました。
特に先生方の存在は大きかったと思います。大学教授というと、どこか近寄りがたい雰囲気のイメージでしたが理学部では学生と先生の距離が近いのです。気軽に質問できるので、難しい課題も「わからない」と立ち止まるより「わかった!」と理解が進む時間の方がずっと多い。こういう感覚的なメリットは数値化しにくいものですが、毎日のことなので進学を考える高校生には是非、伝えておきたいポイントです。
また自分にとっては「受験用の数学」から解放されたのがよかったのだと思います。大学生の数学は一定の時間内に問題を解くとか、一度のアプローチで正解に辿り付くことが重要ではなくなります。いくつもある結論を検証したり、正解に至る過程に間違いがないか、別の方法がなかったか、ベストの解法はどれなのかを考え抜く。文字通り純粋に数学と向き合い、論理を突き詰める学びが始まります。
自分はもともと頭の中で論理を整理をしていく過程が好きでした。今は「複素解析」という授業に出会って、その研究に取り組もうとしています。これは関数論のひとつで、高校から扱ってきた「y=x」や、「y=x」を使う「実解析」の延長にあります。
ただし、実解析で描かれるグラフが放物線や直線だったものが、「2+i」とか「i」が絡む複素数を入れると、全然違う景色が広がっていて。ネットでも「リーマン面」などと検索すると出てきますが、実に複雑で美しいグラフが描かれます。
現実にはとても描けないような美しい数式が、自分の頭の中だけに展開されるなんて、すごいことだと思いませんか。それこそ数理科学科で純粋に数学と向き合った人だけが見ることができる、価値ある景色です。
数理科学科 3年次
廣松 賢哉さん
※掲載内容は取材当時のものです。
世界を数学で解き明かしたい。
三山崩し(みやまくずし)という遊びがあります。
3つの石の山から、2人のプレーヤーが交互に1個以上の石を取っていくゲームで、1つの山からは一度に何個でも石を取れますが、2つの山からは取れません。そうして最後に1つ残った石を取る人が負けというルールです。
私がいま研究室で取り組んでいるのは、この遊びの必勝法を数学的に証明することです。ものすごく簡単にいえば、このゲームは普段私たちが使っている10進数ではなく、コンピュータなどに使われている2進数で石の数を表すと、勝ち筋が浮かびあがる。
「一見、数学とは関係なさそうなゲームでも、実は数学が勝敗のカギを握っている」というのが、このテーマに惹かれたポイントでした。
大学で数学を学ぶうち、折に触れて現代社会は数学で成り立っている面があると感じてきました。実際に目に見えるような新型コロナウイルスのデータ統計やIT技術の根底にある数学だけでなく、人が普通に生活する中でも目を凝らせば、幾何学や確率統計が顔を出します。
「代数学」は「整数」や「0」、「負の数」など、数学の起源ともいうべき分野。研究テーマにした「三山崩し」も、代数学でいえば「二進和を求めて0にするゲーム」です。この分野を学んでいけば、もっと数学と人の営みの接点が見えて来る気がしました。
大学での数学はシンプルな問いの証明を行うことも多く、先の三山崩しのように、単純なだけに手掛かりが少なくて最初は途方に暮れたりもします。そういう意味で私の中でこの学びの面白さはマラソンに近いのかもしれません。
最初に問題を見たときに「これを解くのは絶対に無理では」と思ったところがスタート地点。途切れそうな気持ちをつなぎ止めながら「こうしたら?」「もうちょっと」と食らいつくうち正解に辿り着く。あの達成感は他に代えがたいものがあります。
本物のマラソンは苦手ですが、思考で挑むマラソンなら負けません。特に「世界の成り立ちを数学で解き明かす壮大なマラソン」ならば、4年間かけて没頭するだけの価値はあると思います。
数理科学科 4年次
古嶋 唯さん
※掲載内容は取材当時のものです。
数学の面白さを伝えていきたい。
もともと数学は苦手科目でした。だからこそ問題が解けたときの喜びは、誰よりもよく分かる。生徒の「分からない」を理解できる、そんな先生に憧れました。
この学科で学んでまず驚いたのは、数学という学問の幅広さです。高校時代まで学んできた数学のさらに高度なもの、幾何学、線形代数からプログラミングまで。自分が苦手意識を持っていた世界は、思っていた以上に奥深かった。数学という学問を純粋に探究する学科だからこそ、希少な分野を専門にする先生に出会え、確率や統計など、リアルとつながる面白さにも気付きました。
また、先生の研究室に分からないところを聞きに行くのはハードルが高いことが多いと思うんですが、先生との距離が近い本学ではすぐに質問ができて、先生から新たなお題をもらってと、細かなラリーを繰り返すことができます。
高校までの数学は式を解いて答えを出せばOKでしたが、大学の数学は、むしろ考えた道筋や結論までの過程が大事。だから、先生とのラリーで自分がどんどん鍛えられていく実感がありました。
高校生の頃に憧れた教員の仕事。教壇に立った暁には、 数学を掘り下げたからこそできる授業をきっと実現してみせます。
数理科学科 4年次
吉村 歓菜さん
※掲載内容は取材当時のものです。