なぜ私たちの細胞には「死」のプログラムが備わっているのか ~「生」と「死」のパラドックスに迫る

なぜ私たちの細胞には「死」のプログラムが備わっているのか
~「生」と「死」のパラドックスに迫る

人体の維持に欠かせない「プログラムされた細胞死」

—私たちの体を形作る細胞には、あらかじめ「死」がプログラムされていると聞きました。すべての生物の基本単位であり、まさに「生」の根幹である細胞に「死」が組み込まれていることは、とても不思議に思えます。そこで、「細胞死」をご専門に研究されている川根先生に、なぜ、細胞には死のプログラムが実装されているのか、なぜ私たちにはそれが必要なのか、その理由をお聞かせいただきたいと思います。

私たちの体は、たくさんの細胞からなる「細胞社会」と例えられます。この細胞社会の秩序は、時として、個々の細胞の死、犠牲の上に成り立っているのです。例えば、不要な細胞や有害な細胞、無能な細胞を細胞死によって社会から除去することで、体を形作り、健康を維持しているのです。細胞社会は、人間社会に比べ、より全体主義といえます。
具体例を挙げると、私たちの手や足の指は最初からこの形で作られるのではありません。もともとは指と指の間に水かきのような部分があり、胎児の間に、その部分の細胞が細胞死によって取り除かれることで、残った部分が指になるのです。彫刻をイメージしてもらうとわかりやすいかもしれません。
また、体が出来上がった後でも、体を構成する細胞を古いものから新しいものに常に置き換えることで、私たちは健康を保つことができます。今このように話している瞬間にも、体の中では途方もない数の細胞が死んでいっています。人体の細胞数はおよそ37兆個。そして毎日約3000億個もの細胞が新たに生まれており、それと同程度の細胞が毎日死んで全体のバランスを取っているのです。血液細胞や消化管の細胞など、さまざまな部分で古い細胞と新しい細胞の入れ替わりが起きています。例えば今、体を流れている血液の赤血球細胞を考えても、数カ月後に生き残っている細胞はおらず、すべて新たな細胞に置き換わっています。今日のあなたと明日のあなたは、細胞生物学的には違う自分と言えるかもしれませんね。
細胞死は、ウイルス感染やがんから体を守るはたらきも担っています。ウイルスに感染した細胞やがんになりかけた異常な細胞で、死のプログラムが起動することで、ウイルスの増殖を阻止したり、がんになるかも知れない細胞を排除したりするのです。
私たちの体を守る免疫システムの成立にも細胞死の働きがあります。免疫システムにとって最も重要なのは、自己と非自己(異物)を区別することです。病原体などの異物を自己と区別し、異物のみを特異的に攻撃することで、私たちの体を病気から守るのです。この免疫システムができるときに、自己を認識し攻撃してしまう免疫細胞が細胞死によって排除されることで、免疫システムが「敵」のみを攻撃するようになります。

細胞死は人体にとって本当に重要なシステムなのですね。もし細胞死の仕組みが正しく機能しなかった場合、どのような影響があるのでしょうか。

起こるべき細胞死が適切に起こらなければ、さまざまな疾患につながることが考えられます。たとえば、がんやウイルスは、私たちの体をより容易に蝕むことになるでしょう。自己を攻撃してしまう免疫細胞が除去されなければ、免疫系が自身を攻撃することで、自己免疫疾患になります。反対に、細胞死のスイッチが誤って発動すれば、まだまだ元気で活躍できるはずの細胞が死んでしまい、やはり、さまざまな病気になるでしょう。例えば、神経細胞が死ぬことによって発症するアルツハイマー病などの神経変性疾患や、インスリン分泌細胞の細胞死による糖尿病、免疫細胞の細胞死によるエイズなどは、細胞死のプログラムが誤って発動することが原因であると考えられています。
 このように、細胞死のプログラムの破綻はさまざまな病気の原因になるため、逆に、細胞死を自由自在にコントロールできれば、そうした疾患の根本治療も可能ということです。細胞死のしくみを理解することがいかに重要か、わかってもらえたと思います。

個の死が周囲に与える影響とは細胞社会における細胞死を理解する

—現在、先生が力を入れておられる研究テーマについてお聞かせください。

細胞社会における細胞死」が重点的なテーマです。これまでの細胞死研究は、死ぬ細胞だけにフォーカスする形で進んできました。その結果、細胞が死ぬときにその細胞内で何が起こるのか、といった、細胞死の仕組みそのものについては多くのことがわかってきました。しかし、改めて考えてみると、死ぬ細胞の周囲には多くの健康な細胞や、同種細胞、異種細胞などが存在しています。そうした細胞社会の中で、ある細胞が死ぬと、その周辺の細胞にも影響が及ぶはずです。例えば、組織に欠員が生じたら、それをなんとかして補わなくてはいけません。つまり、細胞死を真に理解するためには、死ぬ細胞のみならず、その周辺の生き残る細胞も含めた細胞社会全体を俯瞰する視点が必要だと思ったのです。
現在は、特に腸管の上皮細胞に着目しています。腸の細胞は古い細胞と新しい細胞の入れ替わりが激しく、新しく生み出された細胞は数日で寿命を迎えて細胞死するため、腸ではおびただしい数の細胞死が今この瞬間も起こっています。その際、古い細胞は絨毛(腸の表面に生えている小さな突起)の先端から飛び出して剥がれるような形で除去され、細胞脱落という様式で終焉を迎えます(図?)。どのようにして細胞の寿命は決まるのか、周りの細胞は死ぬべき細胞をどのように認識し、それを押し出すよう振る舞うのか。実際に細胞が組織から離れる際には死ぬ細胞、周囲の細胞、双方の細胞内で一体何が起こっているのか。そして、細胞が押し出された後の隙間はどのように埋められるのか。細胞脱落の仕組みについて理解するためには、死ぬ細胞のみならず、その周辺の細胞の関わりも含めて理解する必要があります。このような視点での研究はこれまであまりなされていなかったため、今でもまだわからないことだらけです。その謎の解明に少しでも近付こうと、日々研究に励んでいます。

—川根先生の研究は、広い意味では、「細胞生物学」の分野に含まれると思います。先生は細胞生物学のどのような点が魅力的だと感じておられますか。

私たちの体の中では、想像を絶するほど巧みな仕組みで細胞の働きが展開されています。光や色、におい、味を感じられるのは神経細胞の働きのおかげですし、歩いたり、スポーツをしたりできるのは筋肉細胞のおかげです。また、免疫細胞があの手この手で外敵を駆除してくれることで、私たちは感染症から守られています。こうした個性豊かな細胞の振る舞いは、私達が意識できないレベルで、しかし確かに体の中で行われており、これら振る舞いの働きを深く知り、感動できる点こそが細胞生物学の大きな魅力だと考えています。

生命科学の面白さを共有したい

—ここまでの先生のお話を聞いていて、本当に研究を楽しんでいることが伝わってきました。生命科学部では、3年次生の秋学期から各学生が研究室に分属し、研究を通じて生命科学を学ぶと聞いています。生命科学部では、どのような研究環境で学びが行われているのか教えて下さい。

京都産業大学生命科学部にはソフト・ハードともに充実した研究環境があるので、その点も研究や教育の大きな支えになっています。たくさんの研究室があり、幅広い分野の研究が展開されているだけでなく、研究のレベルも非常に高い。そうした中、研究室間でお互いの研究について議論したり、情報共有したりする機会も多く、たくさんの刺激を受けています。また大学の支援体制も手厚く、生命科学研究に必要な先端機器が配備されているなど、とても恵まれた環境だと思います。そのような環境で、学生達が研究に没頭し、日々成長していく姿を、私たちは目の当たりにしています。

—最後に、高校生の方に向けてメッセージをお願いできますでしょうか。

高度な研究に加えて、教育の手厚さも生命科学部の魅力です。学生思いの教員がとても多く、どうすれば学生にわかりやすい授業を提供できるか、各教員が工夫をこらしています。一人でも多くの学生に生命科学の面白さを伝えていくことが、私たち教員の目標です。教育・研究の環境が十分に整った生命科学部で、ぜひ私たちと一緒に、楽しく奥深い生命科学の世界を探究していきましょう。

コラム「こんな所にも細胞死が!」

プログラムされた細胞死(アポトーシス)は、ヒト以外の多細胞生物でも普遍的に見られる現象です。例えば、昆虫は、幼虫、さなぎ、成虫と、その形態を大きく変化させます。その変態の過程で、例えば、幼虫細胞から成虫細胞へと大幅な入れ替わりが起こります。幼虫細胞が、しかるべきタイミングで組織から除かれなくては、昆虫の変態もうまくいかないのです。
植物は、根から水を吸い上げます。水は、導管と呼ばれる管を通り、根から茎、葉へと運ばれます。実は、この導管の形成にも、アポトーシスが関与しているのです。まず、導管の元となる細胞が縦に連結して並びます。その後、細胞がアポトーシスで死に、死んだ細胞が除去されます。すると、その細胞を覆っていた細胞壁だけが残り、元々細胞が存在していた場所が空洞になります。その空間が、植物が水を運ぶための導管となるのです。

 
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