「納得と共感」を導くプロセスとは?2025.01.17
「納得と共感」内閣
2024年10月、石破政権が誕生した。スローガンとして「国民の納得と共感を得られる内閣」が揚げられた。自民党の裏金問題が取り沙汰され政権交代の可能性が見え隠れし、厳しい政権運営が予想される中での就任であった。確かに対話を重視し、その中で相手から納得、そして共感してもらえるような説明を重ねる必要があるのだろう。彼は所信演説で「国民の納得と共感を得られる政治を実践することにより、政治に対する信頼を取り戻し、日本の未来を創り、日本の未来を守り抜く決意だ」と述べた。国民の一票一票は、政府への「信頼」の表れであり、それが基盤となって政権が成り立つ。その「信頼」を得るには、相手の「納得と共感」が不可欠となる。ただこれには、双方が対話をするということが大前提となっている。政治家と国民の対話の場はどこにあるのだろうか。
トランプ政権の再始動
他方アメリカでは、トランプ前大統領が再選され政権交代が実現した。まさに今月20日には就任式が執り行われ、今後の政策の「不確実性」にアメリカ国内に留まらず、国外からも注目が集まっている。トランプ政権の再始動はポピュリズム(大衆迎合主義)の象徴としても語られることが多い。ポピュリズムの定義や価値は様々だが、そもそもトランプ氏は、どのように大衆と「対話」を図ってきたのだろうか。
トランプ氏はこれまでSNSなどを通じて、パブリックに積極的な発信を行っている。過激な発言や言動や実現性が乏しい内容が問題視されつつも、大衆の「不満」に敏感に反応しリスポンシブな対応をしてきたことは無視できない。分断が進むアメリカにおいて国民の声を聞き、それに反応を示す政治家に「共感」した民衆が存在しているということなのかもしれない。同時に、現状に不満を持ち、社会変革を望む人々が明確な政策を求めた結果としても理解できるだろう。
若者と政治
話は脱線するが、これまで10年余り大学で教鞭を取ってきて、学生が政治について積極的に語るという場面は極めて少なかった。しかし、昨年はその点で例外的な年であった。いくつかの英語クラスで同時に学生が自由選択のトピックとして、都知事選についてプレゼンしたいと申し出た。その理由を聞くと「SNSで話題になっている」と言う。後に「石丸ショック」と評されるほど現職の小池百合子氏に肉薄した石丸伸二氏は、SNSやインターネットを通じて若者や政治に不満を持つ無党派層の票を集めた。安芸高田市議会の様子をインターネットで発信し、議会との軋轢を語る。時折「歯に衣着せぬ」表現も伴う。そんな彼の発信に若者が「共感」し、政治に興味を持つ若者が増えたことは歓迎したい。
ただ、そこに不思議な違和感を感じた。授業中「それについてあなたの意見は?」「どういう分析からその意見が導き出されるのか?」と質問を投げかけると、言葉に詰まる学生が多い。集団として授業を受けている時、自ら手を挙げ意見を投げかける学生は皆無に等しい。一方で、ネット上の世界では前述の石丸氏のようなassertiveな言動に注目が集まる。自分の意見や主張をきっちりと説明し、相手を論破する。そんなやり取りに「共感」する若者が少なからずいると言うことだ。
時折ディスカッションの場面で、反対意見を主張する学生がいる。アメリカでは「play the devil’s advocate」と呼ぶが、直訳すると悪魔の代弁者である。議論が行き詰まった時に、あえて異を唱えて新しい視点から見直す機会を作ることを指す。自分の意見を明確化することに苦戦している若者は、極論的な言い方ででも意見を強く述べることに憧れ、the devil’s advocateになりたいとさえ思っているのかもしれない。
コミュニケーションの基盤
「納得と共感」、私がこれまで医療現場における意思決定過程の研究で向き合ってきたキーワードである。「同意」でもなく「合意」でもなく、人が「納得」するのと言うのはどういうことなのか。そしてさらにその対話の中で両者が「共感」することで何が生み出されるのだろうか。救命医療や不妊治療、遺伝カウンセリングなど難しい判断が迫られる現場で調査をしてきたが、実際の会話の中での「納得と共感」を生み出すプロセスの解明は容易ではない。ただ一つ言えることは、関わり合う双方がお互いの理解や認識、志向などを十分に示し合うことが「納得や共感」を生み出すコミュニケーションの基盤となることだ。
SNSによって双方向のチャンネルができたことで、様々な人と関わり合うことが可能となってきた。選挙や国会だけでなく政治家と大衆の対話が可能となったり、日々の生活だけでは得られない興味が広がったりすることもあるだろう。それがきっかけとなり、若者が自身の持つ新しい視点や意見を相手に伝えることに積極的になってくれたら素晴らしいとさえ思う。ただ実際の会話では、まずは相手の目を見て話を聞くこと、そして相手の視点や話をいかに理解したかを言語化した上で自分の意見を相手に伝えることは忘れないでほしい。そんな中で議論を重ねることができれば、必ず両者が「腑に落ちる」瞬間が訪れる。それを人は「納得と共感」と称するのかもしれない。
