対グローバル・サウス日本外交の起源 2023.08.24

グローバル・サウスの登場

かつて発展途上国と呼ばれた国々は現在、グローバル・サウスと言われます。グローバル・サウスの中には依然として低所得にとどまる国々が多数あります。他方、中国のようにそこに含めるにはもはや不適当になったようにみえる国もあります。さらに東南アジア諸国やインドなどのように、先進国に近づき始めている国々も存在します。
長年の経緯から発展途上国という言葉には、「発展途上」と言いながらもいつまで経っても発展しない国というイメージがありました。しかし1980-90年代になると、特に東・東南アジア地域の経済成長によって、発展途上国は実際に発展しうる国々であるという力強さが示されます。同時に発展途上国グループは、発展を始めた新興国と所得が停滞したままの国をともに含んだ、多様化した集団になっていきました。

概念の浸透と関心の高まり

グローバル・サウスという概念は、この発展途上国グループ内部の変化を反映させた言葉として徐々に浸透し始めます。筆者は先日『ブルー・ゴールド』という水資源をテーマとした米国のドキュメンタリー映画を視聴しましたが、そこでも登場人物の一人がグローバル・サウスという言葉を使っていました。この映画は15年前の2008年に公開されています。このころにはある程度普及していたことがうかがえます。参考文献に挙げた調査でも、2000年代半ば以降、学術文献での使用頻度が世界的に徐々に増えていくことが報告されています。
ただし日本では事情が異なります。日本における「グローバル・サウス」は、今年になって急に普及しました。試しに京都産業大学で利用できる新聞データベースでこの語を検索すると、総ヒット数701件(日本経済新聞)、244件(読売新聞)、141件(朝日新聞)、126件(毎日新聞)のうち、2023年以降の出現頻度はそれぞれ680件、240件、134件、122件でした。日本では圧倒的に2023年の言葉であることが分かります。この時差自体は興味深いことですが、ここでは触れません。
ともあれ2023年の日本では、インドのような新興国となったグローバル・サウスに加えて、いまだ停滞したままであるものの実際に発展できる潜在力を持つことが今や明らかになった残りのグローバル・サウス諸国に対しても、これまでと異なる積極的な関係構築に乗り出さなければならないという機運が高まっています。例えば、しばらく前の国会公聴会においてある公述人は、現在の国際社会はグローバル・サウスの台頭と先進国の影響力後退という歴史的画期に直面しており、日本外交はこの変化に対応しなければならないと述べていました。そして具体的行動として、先進国の国際社会における地位低下を防ぐために、原油・穀物価格の上昇で苦しんでいる経済的に脆弱なグローバル・サウス諸国に支援を行い、これらの国々との関係を作り上げていくべきであると提案していました。

アフリカ開発会議

実のところ、このようにグローバル・サウス諸国を実際に発展することができる対等な存在と位置づけた日本外交は30年前にまでさかのぼります。1993年に開催されたアフリカ開発会議(TICAD)です。これはほぼすべてのアフリカ諸国の代表が東京に集まった多国間会議でした。冷戦が終結し「第三世界」への関心と援助が縮小していた当時、アフリカとの間でこのような多国間会議を開催するという発想は画期的でした。現在では中国・アフリカ協力フォーラム(FOCAC)や米国・アフリカ首脳会議といった多国間会議が開催されています。しかしこれらの会議の初会合は、それぞれ2000年と2014年でした。先日話題になったロシア・アフリカ首脳会議は2019年に始まりました。
以下は、初回のTICADとFOCACで採択された宣言、及び米国・アフリカ首脳会議におけるオバマ大統領による声明の冒頭です。

我々、アフリカ諸国及びアフリカの開発パートナーからなるアフリカ開発会議(以下TICADという)の参加者は、新たな繁栄の時代に向けてアフリカの開発に対して引続き献身していくことを声を一つに宣言する。(略)

We, the ministers in charge of foreign affairs, foreign trade and international co-operation, economic or social affairs from China and African countries, met in Beijing from 10 to 12 October 2000 for the Forum on China-Africa Co-operation-Ministerial Conference 2000, …

President Obama welcomed leaders from across the African continent to Washington, D.C., for a three-day U.S.-Africa Leaders Summit, the first of its kind. The largest event any U.S. President has held with African heads of state and government, the Summit strengthened ties between the United States and one of the world’s most dynamic and fastest growing regions. …

TICADの東京宣言と米中の会議における宣言・声明との間には大きな違いがあります。まず東京宣言には「日本」という言葉が出てきません。これは宣言全体で一貫しており、2003年のTICADIII10周年宣言まで続きます。代わりに使われているのが「パートナー」という言葉です。また米中の文書では、中国・米国とアフリカ諸国とを併記するとき、米中を先に置いているのに対して、東京宣言ではアフリカ諸国が先にきています。さらに会議の名称にも違いがあります。TICADのTはTokyoですがこれは第1回TICADの開催地を表記したに過ぎず、日本語での名称は単に「アフリカ開発会議」です。米国・アフリカ首脳会議に関してはオバマ大統領の声明文を取り上げていますが、これはイシューごとのファクトシートはあるものの、全体を総括する共同宣言がそもそもないためです。
東京宣言の極めて特徴的な言葉使いは、TICADが冷戦時代には当たり前であった「貧しい国への施し」のような視線を意識的に受け継がず、現在の日本社会がグローバル・サウスに向き合う姿勢に近い新たな対発展途上国政策を当時の日本外交が意図的に目指していたことを表しています。
ちなみに、もう一つの柱であるインドを新興国と捉えた対グローバル・サウス外交も20年以上前の2000年、森喜朗首相の訪印にまでさかのぼります。実に10年ぶりの日本の首相による訪印でした。同首相はインド情報技術産業の中心地となりつつあったベンガロール(バンガロール)をまず訪問し、「21世紀における日印IT協力に向けて」という演説を行いました。ニューデリー移動後の「21世紀における日印グローバル・パートナーシップの構築」という演説は、やがて経済大国になることを見越してか、日印首脳会談の翌日にインド商工会議所連盟で行われました。
日本の対グローバル・サウス外交の両輪は、20-30年前からすでに回り始めていたわけです。

外交力の源

それにしても、このような想像力豊かな外交を実現することができたのはなぜでしょうか。大きな理由の一つは、外交官たちの才知です。参考文献に挙げたTICAD誕生に関する取材記事には、当時の小和田恆事務次官を中心とした外務官僚たちが、冷戦時代とは異なる新たなビジョンを自ら構想し、実現させていった様子が生き生きと描かれています。
最近、官僚離れ・官庁の人材不足が話題になっています。外務省も先日、いわゆるキャリア官僚の中途採用を発表しました。官僚離れの要因として、厳しい労働環境が指摘されています。実際、行政機関も給与引き上げを行い、休日を増やすことも検討しています。先日の人事院による週休3日導入勧告に関して、働き方改革関連の有識者会議のメンバーであったという経営者は、すぐには難しいが2-3年後には効果が出てくるとニュース番組で述べていました。
かつての大蔵省には「ホテルオークラ」という言葉がありました(現在の財務省でもそう言っているようですが)。あの高級ホテルのことではなく、仕事をこなすために泊まり込む大蔵省地下の仮眠室のことです。給与も民間企業に就職した友人たちと比べれば当時もずいぶん低いものでした。つまり労働環境は昔から厳しかったのです(おそらく今よりずっと過酷でした)。昨今の官僚離れの主因が労働環境にないことが分かると思います。激務で給与に満足できなくても働きたい・続けたいと思えるほどの魅力ある職でなくなったことが、事の本質です。
忖度という言葉が流行ったことからも分かるように、ここ10-20年くらいの政官関係の変化がその理由としてしばしば指摘されます。直接的にはそうかもしれません。しかし日本のような堅固な自由民主主義国では、それを支えるのは社会です。少子化問題やデフレ問題においても政治にできることには限界があり、結局のところ、これら課題への社会の向き合い方が行く末を決します。先日ある会合で黒田東彦前日銀総裁にお会いしたとき、政策金利の引き上げ自体よりもずっと引き上げ続けるという認識を社会に与えることが重要であるという、若かりし同氏が経済学者ジョン・ヒックスから聞いた言葉を語っていました。同氏は3月、最後の金融政策決定会合後の会見で、デフレマインドは予想以上に強かったとも述懐しています。
行政組織のあり方も同じです。すべてはわれわれ社会の向き合い方にかかっています。ここ数か月、日本の基盤で長くあり続けてきた官僚組織の崩壊に対する危機意識が頻繁に報道されるとようになりました。このもう一つの危機に対して、日本社会はどう臨むべきなのでしょうか。

引用文書

「アフリカ開発に関する東京宣言」(1993)外務省(https://www.mofa.go.jp/mofaj/area/ticad/tc_senge.html)。
“Beijing Declaration of the Forum on China-Africa Co-operation,” (2000) Ministry of Foreign Affairs, the People's Republic of China (https://www.fmprc.gov.cn/eng/wjdt_665385/2649_665393/200011/t20001117_678999.html).
“Statement by the Chair of the U.S.-Africa Leaders Summit,” (2014) The White House (https://obamawhitehouse.archives.gov/the-press-office/2014/08/06/statement-chair-us-africa-leaders-summit).

参考文献

Pagel, H., Ranke, K., Hempel, F., and J. Köhler, (2014) “The Use of the Concept ‘Global South’ in Social Science & Humanities,” Paper presented at the symposium “Globaler Süden / Global South: Kritische Perspektiven”, Institut für Asien- & Afrikawissenschaften, Humboldt-Universität zu Berlin, July 11, 2014.
白戸圭一 (2020)「特別連載 アフリカ開発会議『TICAD』誕生秘録」(1-7)、『Foresight』 (https://www.fsight.jp/)

文献案内

坂本衛・前屋毅 (1990)『官僚たちの熱き日々』、アイペックプレス。
城山三郎 (1975)『官僚たちの夏』、新潮社。

付記:本稿の見解は執筆者のものであり、京都産業大学の公式な見解ではありません。

山本 和也 准教授

政策科学(主に国際政治を対象)

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