パンダと日中関係 2023.02.24

中国へ帰ったパンダ

東京・上野動物園のジャイアントパンダ、シャンシャンが2023年2月21日に日本を離れ、中国へ返還された。シャンシャンは2017年に誕生してから、その可愛らしさで人々の人気を集めていた。出発当日の上野動物園には別れを惜しむ人々が集まり、シャンシャンを載せたトラックを涙で見送った。また翌22日には、和歌山県白浜町のテーマパーク「アドベンチャーワールド」のパンダ「永明」「桜浜」「桃浜」の3頭も中国に旅立った。16頭のパンダのお父さんとして親しまれた永明と、永明の双子の娘パンダたちの最後の一般公開には大勢のファンが訪れた。

今回は、このパンダを手がかりに、報道の側面からみた日本と中国との関係について考えてみたい。

日中国交正常化とパンダブーム

そもそも日本に初めてパンダが来たのは、1972年の日中国交正常化がきっかけだった。日本はそれまで中華人民共和国とは国交がなかったのだが、1972年9月に田中角栄首相らが訪中し、数日間にわたる交渉の結果発表された日中共同声明※1により、両国の間に国交が樹立されることとなった。このとき、日中友好のシンボルのシンボルとして2頭のパンダが中国から贈られることも決定した。日中共同声明の発表より約1ヶ月後の10月28日に上野動物園に到着したパンダのペア、カンカンとランランは一躍人気者となった。11月5日の上野動物園の一般公開には、開門前に3,000人が行列を作るほどの熱狂的なパンダブームを巻き起こしたのである※2

中国への関心の高まり

このときのパンダブームは、国交正常化直後の中国との「友好」を重視した報道姿勢ともあいまって、日本人の中国に対する関心の上昇に直結した。

内閣府の1977年の世論調査で、日本がアジアの国々と緊密な関係を持つべきだと思うと回答した割合は70.7%と高く、その回答者のうち、最も緊密な関係を持つべき国を3つ選ぶ問いに対して「中国」を選択した人の割合は66.3%である。この数字は、2位の韓国(39.4%)を大きく引き離しており、中国への関心の高さがわかる※3

また、中国に対する親近感についての調査をみると、1978年~1988年の10年間は「親しみを感じる」と答えた人の割合は7割前後で推移している※4。遠い国だった中国が、国交回復後に親近感を感じる対象となり、それがその後10年以上にわたって継続していたことがわかる。日中国交正常化というタイミングでパンダを送ることを決めた中国側の演出は、大成功をおさめたといえるだろう※5

もう一つの要因

しかし、このパンダブームと中国への親近感の関連を考える上で、もう一つ注目すべきことがある。それは、日本では当時の中国に関する情報が極めて少なかったことである。国交回復前はもちろん、その後も中国での取材には規制が厳しく、特派員の数も少なかった。そのため、中国の現状に関する正確な情報は日本にはあまり入ってきていなかった。

1975年の内閣府の調査で、中国のどのようなことに関心を持つかを聞く問いに対し、最も回答数が多かったのは「国民生活」であったことも、中国の現状についてあまり情報がなかったことを示している※6。つまり、日本の人々は中国の人々がどのような生活をしているのかよくわからないまま、パンダを迎えていたのである。

中国の実情は

では、日中国交正常化当時の中国社会は、どのような状況だったのだろうか。

現実は、平和で穏やかなパンダのイメージとは真逆の状態だった。1966年ごろから毛沢東の主導で始まった「プロレタリア文化大革命(文革)」がまだ終結していなかったのである。文革とは、毛沢東が権力を一手に集中させることを目指した政治運動で、旧思想や旧文化とみなされた文物は、紅衛兵らの手により破壊された。学者や芸術家なども暴力をともなう攻撃の対象となった。中国の社会は大混乱に陥り、この文革の約10年間で百数十万人もの死者が出たともいわれる。この時期、現在の習近平国家主席も反動学生として批判され、16歳だった1969年から陝西省に「下放」(思想改造を目的として農村での肉体労働を行う)されている。文革の正式な終結が宣言されたのは、日中国交正常化の5年後の1977年であった。

こうした中国社会の現状について、日本では中国研究者もふくめてほとんど知ることができなかった。こうした情報の欠落が、日本人の目が可愛いパンダにのみ集まり、パンダブームが中国への関心上昇に直結した背景に存在していたのだ。

相対化されるパンダ

現在では、中国に関する情報は、新聞・テレビのみならず、インターネットやSNSを通じても得ることができる。情報量は、日中国交正常化時点とは比較にならないほど多くなった。それに反比例するように、中国に対する親近感は低下している。1989年の天安門事件で中国における民主化の弾圧を目の当たりにしたこと、2000年代に頻発した反日デモ、そして2010年代からの尖閣諸島をめぐる日中の対立がその要因としてあげられる。また近年の中国の新疆ウイグル自治区になどにおける苛烈な少数民族政策についての報道も影響しているだろう。

中国に対する情報量の増加の中で、パンダに関する報道は相対化されている。いまパンダが来たとしても、カンカンとランランのときのような大ブームを引き起こすことも、中国に対する親近感が急上昇することもないだろう。もちろんパンダは大歓迎だが、それはパンダに対してのみ向けられ、中国には向けられないだろう。今回のパンダの旅立ちをめぐっても、日本のパンダファンにとっては「パンダと中国は別」とする意見も聞かれた。

しかし、中国側ではパンダとの別れを惜しむ日本のファンの様子が報道され、中国の華春瑩報道官は自身のツイッターに日本語で「長年にわたってシャンシャンを大切にしてくれた日本の皆さんに、改めて心からの感謝を申し上げます。シャンシャンファンの皆さん、今度はぜひ中国まで会いに来てくださいね。お待ちしています!」と投稿している※7。懸案事項の多い日中関係のなかで、柔らかい言葉のやりとりがなされる場面は珍しい。

日中関係は今後も変化し続けるであろうが、国家間の対立点のみに焦点を当てるのではなく、またパンダをめぐる報道だけを見るのではなく、多元的な日中関係を複数の視点から見ていく必要があるだろう。


  1. 「日本国政府と中華人民共和国政府の共同声明」(1972年9月29日)
  2. その一端は、次の短い動画からもうかがいしることができる。「パンダブーム」(NHKアーカイブス 1972年)
  3. 「外交に関する世論調査」(昭和52年8月調査)
  4. 「中国に対する親近感」(内閣府世論調査)
  5. 外交の重要局面で中国政府がパンダを送ることは、日本以外の国に対しても行われていた。たとえば同じ1972年には、アメリカのスミソニアン国立動物園にもパンダのペアが贈呈されている。これは、アメリカ大統領が初めて中国を訪問したことを記念した事業だった。その後1981年に中国がワシントン条約に加盟すると、絶滅危惧種のパンダは保護対象となり、「贈与」から繁殖・研究を目的とした「貸与」への時代に変わった。こうしたパンダをめぐる外交史については、家永真幸『中国パンダ外交史』(講談社 2022年)に詳しい。
  6. 「外交に関する世論調査」(昭和50年7月調査)
  7. 中国では、TwitterはLINEやYouTubeなどと同様、一般には使用が禁止されているが、中国の報道官らは対外的な情報発信として使用している。

須藤 瑞代 准教授

中国近現代史、東アジア国際関係論

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