ゼレンスキー大統領の民主主義と正義 2022.06.21

今年世界に知れ渡った政治家といえば、ウクライナのゼレンスキー大統領でしょう。2月に始まったロシアによる侵攻後に同大統領が国際社会に訴える姿は、民主主義と正義のために戦う闘士というイメージを与えています。ここでは、同氏がどれくらい民主主義の理念と正義を体現しているかを考えます。

侵攻までの経緯

ゼレンスキー大統領が登場した背景には、同国の政治腐敗があります。オリガルヒと言うとロシアを思い浮かべますが、ウクライナ政治でも政商と政治家・高官たちによる汚職は甚だしい状態にあります。国民の政治不信を汲み取るように、にわか政治家として登場したのが、エンターテイナーであったゼレンスキー氏でした。いわゆるポピュリストの政治家です。

侵攻の帰結に対する国際社会の当初予想は、過去に米軍が小国に介入した時のようなイメージで、ある程度の死傷者が生じるものの、ロシアが数日で現政権を打倒し戦闘は終結するというものでした。しかしそれでもこの帰結はゼレンスキー大統領自身にとっては死の可能性も意味していました。コメディアンと侮る当時の見方に反して、同氏には死も厭わない覚悟ができていたかもしれません。その後の展開は予想と異なり、4か月経った現在まで戦闘は続いています。甚大な被害が生じ、さらにそれが拡大していく様相です。しかし大統領は、怯むことなく抗戦を継続する様子です。

民主主義者の資質

身を挺しつつ、正義を貫くために決して妥協しないゼレンスキー大統領。同氏は民主主義の理念をどれくらい実現しているでしょうか。2月24日に侵攻が始まると、ゼレンスキー大統領は、インターネットによるメッセージの発信によって国内及び国際社会に対して巧みに支持を訴えます。日本の報道でも、人々を惹きつける見事な発信力に対して、コロナウィルス対策におけるニュージーランドのアーダーン首相と重なったか、現代民主主義のあり方を熟知した優れた指導者と同大統領を評価する解説がよく見られました。しかし、このこと自体は人心を惹きつける単なる手段に過ぎません。それはエンターテイナーが人気を集めるための工夫と同じです。同氏の経歴からすれば、それはお手の物でしょう。これは悪用されれば大衆心理の操作であり、プロパガンダとも言われます。

民主主義の指導者に必要な資質は、限られた選択肢の中で、それでも人々の幸福にとって最もよい(ましな)政策を見つけ出し、時には人々にそれを説得する姿勢です。いかにロシアが邪悪であっても、悲惨な結果しか予想できなかった戦いを回避しないことは多くの人々にとって利益とは言えません。NATO加盟を諦め当面の危機を回避したところでロシアは時間をかけてじわじわ「浸透」してくると考えたかもしれませんし、実際にそうであったかもしれません。さりとて、(運にでも恵まれない限りは)勝ち目がないと判断される戦いに向う見ずに挑み、妥協していた場合よりも交渉力を弱化させることになることが明らかな政治判断は、人々の幸福に資するものではありません。

同氏自身は正義を貫くことで英雄的な死も考えているかもしれませんが、それも単なる自己満足です。4か月も続く戦闘によって、死者そして生存者が失ったものは筆舌に尽くし難いものとなりました。本音では戦闘継続に消極的と言われるフランスやドイツのメディアでは、着の身着の儘で立ち尽くす人々が、戦闘に突入しさらにそれを続けることを批判する場面も流れます。もし侵攻を回避するために譲歩していればゼレンスキー大統領の政治生命は潰えたかもしれません。しかし、自身を犠牲にしてでも人々の利益を考えることができる人物が真に優れた民主主義の指導者です。

正義の戦いの意味

それでもゼレンスキー大統領が世界で共感を得られる理由は、侵攻に対する正義を貫いているという姿にあります。以前のこのコーナーでも少し触れましたが、戦争における正義の議論において一番手にくる正戦の根拠は、侵略に対する防衛であるというものです。この点で、ウクライナの戦いは国際社会の多くの人にとって正戦と理解されるはずです。しかし正戦論でもこの要件を満たすだけでは正しい戦いであるとは言いません。満たすべき要件のなかには「成功の見込み」というのもあります。ゼレンスキー大統領の判断がこの点を著しく欠いていることは明らかでしょう。同大統領が5月のダボス会議でのキッシンジャー氏の助言を一蹴したのは記憶に新しいところですが、無点法(無鉄砲)な戦いは正義でもないのです。

侵攻のゆくえと大統領の評価

未来は分かりませんから、この紛争が今後どう展開するかは予断できません。ロシア軍の士気低下、クーデター、経済破綻、プーチン大統領の死などによってウクライナの反転勝利となり、ゼレンスキー大統領がヒーローになる可能性も皆無ではないでしょう。しかしそれは結果論であり、同大統領の資質に対する評価を変えるものではありません。可能性が高いのは、甚大な被害の上に領土を占拠されている、膠着状態の中での交渉です。この時少なからぬ国民は、侵攻前よりも不利な状況に対して「あの時妥協をしておけば」と批判の矛先をゼレンスキー氏に向けるでしょう。

大統領の民主主義と正義は、そのいずれにおいても危ういのです。

付記:本稿の見解は執筆者のものであり、京都産業大学の公式な見解ではありません。

山本 和也 准教授

政策科学(主に国際政治を対象)

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