オリンピック参加国のメダル獲得数と経済・政治・人権の相関関係 2021.09.07

本解説では、夏季休暇中に開催されたオリンピックの国際関係学的な見方を、クロス京子先生(8月23日の解説)とは異なった観点から示す。まずは次の一覧表を見て頂きたい。

【注】メダル総獲得数は、各国の総合力を計る観点から金・銀・銅の合計数とした。IOC公式HP
なおメダル数は閉会日時点のものであり、その後ドーピングが発覚し剥奪され、次点が繰り上がり獲得した数は反映されていない。
参加国・地域が約200なので、上位約1割の国々がメダル獲得数においてどの程度を占めるかを示すため、20位までとした。
メダル獲得数とは、種目ごとの獲得数である。
名目GDP及び1人当たりのGDPは、IMF統計による。キューバのGDP、1人当たりのGDP、人口は2019年のもの。
民主主義、権威主義等は、筆者の分類による。
近代オリンピックでの国・地域別メダル総獲得数一覧については、近代オリンピックでの国・地域別メダル総獲得数一覧 - Wikipedia
Global Freedom Status は、Freedom House の評価による。政治的自由(60点)と市民的自由(40点)の合計。
人口100万人当たりのメダル獲得数は、第10位まで次のAFPの計算による。第11位以下は、筆者が計算。

パラリンピックについては、考慮すべき多くの要素があり、オリンピックと同様な評価に馴染まないので、今回の対象にしていない。

〈1〉国際関係学を学ぶ者にとってオリンピックとは?

2020オリンピックは2021年8月8日に閉会した。グローバルに拡大するコロナ禍の中での開催について、賛否両論が渦巻く中で強行されたオリンピックであったが、これをどう評価したら良いのか。私個人としては、「大規模災害」と同様、オリンピックを中止し、あらゆる資源を総動員して治療と予防、感染拡大抑止政策及び休業等による収入減に苦しむ事業者の救済に振り向け、できる限りの対コロナ対策をすべきであったと思う。しかし、ここではその点について、深入りしない。

本解説では国際関係学のグローバル且つ多元的な視点から、オリンピックのメダル獲得という結果について、国際関係の基本概念を使って解読し、特に経済統計と政治体制論を踏まえて構造的に捉えてみたい。とは言え、ここでは極めて単純素朴な誰でも思いつく手法を使い、『国際政治学をつかむ』を学んだ国際関係学部生(以下「国関生」)なら容易に理解できる内容の分析を行っている。オリンピックは国際関係を学ぶ国関生にとっては、恰好の生きた教材なのである。

最初に一言。前掲のメダル獲得数による順位をベースとする国別一覧表は、「大会は個人種目または団体種目での選手間の競争であり、国家間の競争ではない」という憲章の理念に反している。国関生は、基本的な国際関係の行為主体は「主権国家」であるが、現在の国際関係において行為主体は「多様化」していることを学んだ。オリンピックが国家目的の下僕とならぬよう、IOC統括の下、NOC(各国・地域の国内オリンピック委員会。一応NGOである)が主催・運営することになっている。そしてIOCの公式HPでも国別のメダル獲得数ランキングが堂々とリストとして載っているが、IOCはNOC別のメダル表なので憲章に反していないと説明している(日本経済新聞2021年8月10日)。これの理屈は妥当であろうか。日本のNOCであるJOCは各種目の連盟や協会の理事が名を連ねているが、組織委員会のメンバーには政府の意向を受けた政治家や財界の重鎮、自治体トップ層が名を連ねており、オリンピックはJOCと一体となって運営されている。こうした事情はどの国も同様であろう。オリンピックという一見すると無色な「スポーツの祭典」では、伝統的な主権国家やナショナリズムが時に巧妙に、また時に露骨に(SNS等を通じて)顔をだすのである。権力志向の政治家は「国威発揚」による権力基盤の強化に無関心ではいられず、巨額の資金が投下されるイベントにコロナ禍で呻吟する各業界・企業が手をこまねいていることはないであろう。オリンピックに対する世論調査でも、開始前にはネガティブな評価が過半を超えていたのが、中盤から逆転してポジティブなものに変化している。推進派の政治家や評論家のいう様に、「国民は金メダルに酔いしれてオリンピックを支持するようになる」のは当たっていた(大会前にはネガティブな評価がポジティブなそれを大きく上回っていたが、大会半ばで逆転している。前出日経8月10日)。ただし、オリンピックの支持が、政権の支持に繋がらなかったのは誤算であり、首相は身をもって実感したことであろう。更にオリンピックに、総裁選や衆院選まで国民を酔わせておくような効能があるとも思われない。政治は、国民の高揚感を総裁選や総選挙まで、オリンピックーパラリンピックの余韻で引っ張っておきたかったのであろうが、有権者は移り気であると共に現実的でもあり、コロナ禍に対する政府の対応については極めて批判的である。

以下では、目の前で繰り広げられる「スポーツの祭典」という事象を、国際関係学の概念を使って分析し、構造的に見てみよう。国関生ならではの視点が共有できているか検証すると共に、気が付かない点があったならばこの機に(オリンピックを教材として)国際関係学的知見に磨きをかけてほしい。
さて、オリンピックの事後的評価として、「世界最高の選手が技と力を競うのを見るのは楽しい」というポジティブな理由が挙げられた。まずはここで言う「世界」とは、真の「世界」なのか検証してみよう。

〈2〉メダル獲得数の国際関係学的分析

多数のメダルを獲得したのはどの国か? 結論的に言えば、①GDPの規模の大きな先進資本主義国、②国威発揚のために国家の資源を集中的に動員・投下できる権威主義国家、③中小規模国であっても以前より継続してスポーツ育成を国策として注力してきた豊かな国々、と言った①~③の上位20カ国が参加国の約1割を占め、メダルの7割以上を獲得しているのが現実である(上位10カ国では54%)。その国の政治体制が民主主義か権威主義(人権抑圧体制)かは決定要因ではない。ただ権威主義体制の諸国の1人当たりのGDPは、中ロは辛うじて1万ドルを超えるが、他は軒並み1万ドル以下の、ミドルあるいはロワー・ミドルの国々である。そうした経済水準の国が「国威発揚」のためにアスリートを育成するためには、権威主義的システムによる、育成資金や人材の動員・集中が不可欠であることは論を待たない。①~③の国々の獲得したメダルの、全メダル数に占める割合は、前回のリオでは69.4%であったが、今回は72.5%と約3%増え、その傾向は益々強まった。このことはグローバルな富の集中の一つの現れであり、豊かでも民主主義でもない国にとって、権威主義システムがメダル獲得という目的にとって有効・効率的であることを示している。以下、国名を挙げつつ敷衍しよう。

まず①について、表中の(G7)が示すように、G7に象徴される先進資本主義国が、今回は10位以内に、前回は11位以内に7カ国全てが入っている。更にG7ではないものの、OECDのメンバーである韓国、スペインもそれらに準じる先進国である。これらは主として世界システム論の「中心国」という事ができる。このことは120年にわたる「累積メダル獲得数」によっても示されている。覇権国としての米英は勿論のこと、フランス、ドイツ、イタリア、日本はそれにあたる。更にこれらの諸国は、積極的な国家的強化政策も功を奏している。特に近年のイギリスは、自国開催(2012年)に向けて行われた成果主義に基づく強化策をバネとして上位国の地位を不動のものとした。今回の開催国日本も当然のことながら2013年の開催決定後、強化費を大幅に増額する等、計画的に強化策に取り組み(9年間で730億円)、イギリスの強化策をモデルとして競技ごとに5段階評価をしながらも、全競技に目配りしたバランス型投資政策を行い、コロナ禍での開催国という地の利も有利に働き今回の結果をもたらしたと言える(日経新聞2021年7月30日、8月12日)。コロナ禍に伴う他国の事情を考慮して、成果を冷静に見直せば、日本のメダル獲得数の順位も割り引いて考えるべきであろう。

次に②について、中国とロシアがその代表である。中国にとってオリンピックは、覇権国アメリカに挑み、世界に冠たる中華帝国の地位を得るための1つの戦場との位置づけである。14億という人口の多さと社会主義が、素質あるアスリートの発掘・育成にとって断然に有利である(但し人口100万人当たりのメダル獲得数は上位20カ国中、最低)。途中まで金メダルの数でアメリカに勝っており、中国が1位だと国を挙げて抗議していたが、結果は今回まだ及ばなかった。しかし次回は分からない。ロシアはソ連邦時代からのメダル獲得数を数えれば第2位となるが、冷戦時代から、社会主義国としてのパワーと優越性を示すため、選手のDNAや体質まで調査した上、ホルモン投与等の筋肉増強により選手を育成していたのは旧聞に属するだけでなく、今は組織的ドーピングという手法で巧妙に維持されている。ロシアがドーピング国として認定され参加資格を剥奪され、1国家として参加できない(ROC=ロシアオリンピック委員会の選手として参加する)所以である。とは言え、今も第3位を維持しているのは、大国意識の発露であり、逆に言えば資源依存型の産業構造からの脱却ができず、サイバー攻撃や勢力圏内諸国での民主化に対する「内政干渉」、すなわち内乱やクーデターの誘発など、ダーク・パワーによらねば「大国」としての国力を誇示できないロシアの苦しい戦略の一つの現れでもある。キューバも社会主義国としてのスポーツ育成政策がある。ハンガリー、ポーランドは、経済水準に比してメダル獲得数の多いが、これは体制移行を果たしEU構成国となったものの、旧社会主義的な選手育成のシステムが維持されていることの現れである(23位のチェコも同様)。ブラジル、トルコは、強権化を強める権威主義且つポピュリズム的国家である。

最後に③について、オーストラリア、オランダ、ニュージーランド、スイスが該当する。これらの諸国は、比較的少ない人口にしめるメダル獲得者の割合の高さが共通している(「人口100万人当たりのメダル獲得数」の数値に示されている)。1人当たりのGDPも軒並み高く、豊かな経済的・教育的環境の下で、アスリート育成が計画的に行なわれてきたことが推測される。この表には載っていないが、その後に、デンマーク(24位)、スウェーデン(27位)、ノルウェー(28位)が続くのも同様に考えられる。 以上から、メダル獲得数の背景には厳然とした「グローバルな格差」問題が存在している。決して「世界」最高の選手ではなく、「世界システム」の中心国で育成された選手がメダルを量産していると考えることができる。1896年以降今日に至る120年間の、各国の累積メダル獲得数は、如実にそのことを示している。加えて冷戦時代に形成された、社会主義国における国家的なスポーツ強化体制が体制転換後の今もなお残っていたり、権威主義国家の政治的統合の手段として利用されていることがわかる。オリンピックという「国家間の競争」では無いはずの「スポーツの祭典」が、国威発揚、ナショナリズム高揚、政局の思惑といった国内政治と深く結びついて展開されているのである。

鈴井 清巳 教授

国際経済論、EU経済、地域統合

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